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法人概要 銀河の里について 理事長より

理事長宮澤健の熱き戦い
 人生あっという間だ。気がつけばもう50年も生きている。色々あったし、随分生きてしまったものだなとも思う。近頃では、自分が子どもだった頃に周囲にいた大人がほとんどあちらに逝ってしまった。父と8歳で死に別れた私は、人はこの世を去り、あの世に逝く存在だという強い認識を持って育った。
 母の再婚による二人目の父も、私が40台の前半に亡くなった。妻の父は結婚したときすでにこの世にはなかった。私は頼れる父やじいさんがほしかったがそういうものには恵まれずこの世を生きてきた。いずれ人間は、ある程度の孤独を引き受けざるを得ない存在なのだから仕方がない。
 今から10年前、私の周囲で生き残っていたのは、すでにばあさん達、女だけだった。女はしぶといが、その女達ももうほとんど残っていない。気がつくと自分の番だ。
 父達がそうであったように、私が逝った後、私にまつわる女達はしぶとく生き続けるに違いない。そこは自分の手の届かないところなのでそれぞれ頑張ってもらい、男とはかように無責任な存在だとあきらめてもらうしかない。
 私は半分冗談で「くよくよしなくていい、心配しなくても人生あっという間に終わる」とよく言うのだが、一方でこの瞬間を真剣に生き、何かの役に立ちたいと願う誠実さも幾分は持っているつもりだ。しかしそれは他からはほとんど理解されない。
 生来の率直さと口の悪さが災いして、地域では「悪いやつ」で通っている。本当は人の良いやつで、情にもろく、賢治さんには及ばないが割と自分のことを勘定に入れない損得のないいいやつだと自分では思うのだが。だから不気味がられるのかもしれない。


 あっと言う間の50年、されど50年。長いと感じるとすればそれは時代の激変のせいかもしれない。私が育ったのは広島の田舎だが、そのころ村にはテレビはおろか、ガスも水道もなかった。電話は郵便局にあっただけで、自家用車などはあり得なかった。水は庭の井戸からポンプで汲み、風呂はバケツで30杯も運んだ。湧かすのは薪だった。その薪を冬の間、山に籠もって木を切り出し、一年分を積み上げておいた。木を切り出すのも橋がない川を飛び石で渡り、つづら道を何キロも歩いて山奥から運び出した。背負子に薪を背負い、川を渡るとリヤカーに積んで5kmも運んだ。
 大変な不便と労力のいる生活だが、「暮らし」の豊かさはあったと思う。15年前、東京の生活を離れて岩手にやってきたのは、暮らしを取り戻したかったからに他ならない。
 特に高齢者施設では、冷暖房完備、三食介護付きの至れり尽くせりながら、暮らしのない状態は、隔離と排除と管理といった非人間的な何かを突きつけられる感じがした。
 暮らしは歴史によって蓄積された知恵の集大成だと思うが、今は暮らしでは、生きていけなくなった。 ゲンナマが必要な現代に、暮らしはそれを生みださない。しかし人間の生きるリアリティは暮らしにある。福祉の現場に、暮らしを活かしてみたかった。いまや暮らしを持てるのは福祉ぐらいで、それは福祉の特権ではないか。生きるリアリティや実感を福祉現場から復活できたらと願う。若者のたましいやこころを育てることを社会のどこかの分野が果たしていかなければ未来は惨憺たることになる。


 私の素人農業の下積みは9年続いた。貧困を極め、ひどい目にあった。それでも夢は持ち続けた。夢は持ち続けることが大事で、夢の実現ほど怖いことはない。
 9年目、農業の暮らしの器なかに、銀河の里が立ち上がった。2001年、新世紀の始まりと同時に、認知症グループホームとデイサービスが運営開始になった。6年一巡りの感があるが、一人一人の出会いは大きかった。
 認知症の人は、世間的な社交はうまくやれないが、人間の本質的なところはむしろはずさない。認知症が深まるほど、その傾向は強く、存在の威力がある。人間としての深い部分での関わり、出会う、能力と可能性に満ちている。表面だけを形式的に薄っぺらに生きざるをえない時代のなかで、認知症の人との出会いは私にとって奥深い魅力に満ちていた。
 直前の記憶ができない里子さん(仮名)は、名前こそ覚えてくれなかったが、私の本質を見つめ理解してくれた。「旦那さん」と呼んでくれたのも的を得ていた。「まなこったまぎょろぎょろさせて普通の人ではないんだ」と私の背負った責任や使命も見抜いていた。こうしたまなざしの支えは大きい。ご飯を食べたことを忘れるが「さっき食べ終わったよ」というと「そうかお前がそういうならそうなんだ」という度量があった。どの方も個性全開でそれぞれ独自の存在の深さを持っていた。システム化され、整えられ均一化した一般社会と、そこで表層の安逸を生きるしかない薄っぺらさが馬鹿らしくなるほど認知症は人間の深さと魅力を見せつけてくる。我々スタッフはそうした力に支えられ鍛えられてきた。
 2005年に開設した授産施設では知的障害者や精神障害の方と一緒に働き、歩んできた。弱さが虐げられる社会ではなく、弱さを誇れる社会の成熟を願う。
 現代人はパワーの競争のなかで、勝他の念に囚われやすいが、弱さ、協調、関係を重視し、利他の社会を育てる真の力が、認知症や障害者の中にある。残りの人生をそれに意味をもたらしていく戦いに賭けたい。その戦いを通じて次代を担う人材が地域に育って行くことに全魂を注ぎ、この人生が終れるならこんな幸せはない。


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