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2011夏祭り【2011.08】

副施設長 戸來 淳博

(はじめに)
 毎年恒例の里の『夏まつり』が8月7日(日)に開催されました。利用者や入居者をはじめ、御家族、地域の皆様など約400名の方々が来場されました。
 今年は3.11の震災があり夏祭りの開催を迷う気持ちもありましたが、夏祭りを通して被災地支援の夏祭りとして開催を決定しました。沿岸の被災地からの乾物など海産物の販売ブースを設けるとともに、被災地支援活動の状況をパネルで紹介させて頂きました。関係各社からの協賛金も被災地支援ということで例年の実績を上回り、過去最高額となりました。協賛いただいた関係各社の皆様と来場いただいた方々に心より感謝申し上げます。
 夏祭りの収益は、被災地支援の活動資金としてすべて還元させて頂くこととしました。以前の通信でも触れていますが、銀河の里では、ワークステージのスタッフ佐々木哲哉氏が中心になって被災地の支援活動に参加してきました。たすきプロジェクトに賛同し神戸から被災地へGIFT(衣類)バックを届けたり、県内の活動家と共に必要なモノを被災地へ届けたり、避難所の後片付けなど行っています(詳しくは、あまのがわブログで。)今後も、銀河の里では被災地への支援を模索していきたいと考えています。


(まつりを終えて)
 「祭りなんてやらなくていいんじゃないの?」という考えの私が夏まつりの実行委員長になってしまった。今年の実行委員には、単独でギターライブもこなす特養2年目スタッフの酒井さんが祭りのリーダーとして加わり、お店でもDJをやっていたというデイ新スタッフの斎藤氏が実行委員に加った。組織としても毎年イベントの場数を重ねているので準備・運営・撤収も慣れたもので万全の体制なのだが、毎年どこか気乗りしない。とりあえず初回の打合せで「これからの10年に繋がる夏祭りを皆で悩みながら作ってゆきたい。」と切りだし、『復興支援』と『11年目の銀河の里』というテーマを掲げて準備を進めた。
 各部署へ準備段階でお願いしたことは、入居者や利用者を祭りに巻き込んで欲しいと言うことだった。その意図を各実行委員はしっかり受け止めてくれたようで、さんさ隊の練習も特養の交流ホールやユニットの中でやってくれた。ことの新人スタッフの成美さんがユニットで太鼓の練習を始めると、その日、ショート初利用で、落ち着けないでいた良夫さん(仮名)が太鼓に合わせてリズムを取り始め、一緒に特養内を練り歩いてくれたりもした。
 交流ホールで全体練習では、太鼓の音が聞こえると、オリオンの入居者の桃子さん(仮名)は、車いすの紀子さん(仮名)を誘い一緒に交流ホールに来てくれた。そして、次から次と各ユニットから入居者やスタッフが集まり、練習を見守ってくれた。看板作りでは、広報担当の万里栄さんをワーカーの昌子さん(仮名)が手伝ってくれた。先月、石神の丘美術館で行われたプリン展に作品を出した昌子さんは、制作意欲満々で看板も制作をしてくれた。交流ホールにドラマ『マルモの掟』の主題歌を流しながらノリノリ。その雰囲気に特養の入居者の康子さん(仮名)は「今日はここで何かあるのかい?」と声掛けたり、建物内散歩中の修さん(仮名)は色つけを手伝ってくれた。


 夏祭りの前々日、特養を会場にし、夏まつりの「前々夜祭」が開催された。交流ホールに各ユニットからみんな集まり、グループホームからの参加者も加わった。一撃劇場でお馴染みの酒井さんと組長ことコラさん(仮名)のライブに、新生銀河さんさ隊が加わってそれだけでも凄いところに、弥生さん(仮名)の合いの手が入ったり、一緒に踊り出す入居者もありで大いに盛り上がった。前々夜祭は大盛況でこれだけで夏祭りは充分と言っても良いくらいだった。
 今年の祭りのリーダーだった酒井さんは柄にもなくその重責に夜も眠れなかったというが、本番当日は朝から大勢の人で賑わった。花巻中学校ブラスバンドのステージで幕が上がり、酒井さん扮するタイガーマスクはギターを抱え、オンステージを披露すると、それまで緊張で堅めだった中学生のブラスバンドもノリの良いハーモニーを奏ではじめた。スタッフの斎藤さんは自前のターンテーブルを用意し、DJとしてレゲェの音楽を響かせて会場の音響を仕切った。
 そしていよいよ銀河のさんさ隊が登場。今年のメンバーは、殆どがさんさ初挑戦。みんな新鮮は挑戦だったと思う。そのひとり真央さん(仮名)は引きこもりが長かっただけに、祭りで大勢の前で踊ることはとても大きな挑戦だったにちがいない。周囲はもちろん本人もどうなるのだろうと心配だったが、見事に踊りきったし、踊りも上手だった。隊のリーダー、厨房スタッフの小野寺さんは、毎年、盛岡さんさに参加してきたトップクラスの太鼓の打ち手だ。


(各ユニットやワークステージでも驚くべきことがあちこちで見られ、感動的だった。その内容はデイサービスの米澤里美さんの文に重複するのでそちらを読んでください


 祭りの仕上げは、ソウルバンドTAYUTAのライブ。ライブと聞きつけて、デイとショートの利用者の西野さん(仮名)は、セッションの直接交渉をした。ライブ前半のラストにゲスト出演で往年のジャズピアニストの復活。2度の脳梗塞を経て今年80歳。ミスタッチは目立ったが、またそれがいい味を出し、若いTAYUTAのメンバーをきりきり舞いさせた。もちろん、会場は大盛り上がりである。一人暮らしで転倒し、寝たきり状態でもう危ないのではと心配された2年前から見事な復活である。指も気持ちも止めようのない、しぶとく渋い演奏だった。
 今年のポスター作成は、2年目のスタッフの万里栄さんが担当した。去年のポップなデザインから一新し、夜空に流れるあまのがわをイメージしたデザインは、里のイメージとマッチして評判であった。
 私は毎年、夏祭りは、いま一つ気持ち乗り切らず、一歩引いて見ていた。特に特養の開設後は日々の業務やローテーションで手一杯で夏祭りどころではない状況にあった。特養の開設に伴い一気に30名の職員が増え、そこには他の施設の経験者や、仕事にモチベーションの低い人も混じっていて、銀河の里に、世間の風が嵐のように吹きまくった感があった。このまま介護工場化してゆくのか、里らしい新たな道を見つけるのか、大きな岐路に立たされていたように思う。
 昨年も夏祭りの準備期間に、勤務外に遅くまで準備や練習をしているのはご苦労なのだが、どこか腑に落ちず、違和感が強かった。それは職員が仲良しこよしの集団と化し、利用者とは断絶したなかで、学園祭で盛り上がるような雰囲気になっているのが嫌だったのだと思う。あくまで利用者と共に生きていることが大事だと思うのだが、それを伝えるのは難しい。
 利用者の世界と職員の世界がきっぱりと別れて2つ別々動いている状況に陥りやすいのは福祉の宿命でもある。大半の施設がそうした状況にある。銀河の里はデイサービスやグループホームを通じてそこを克服した珍しいケースだと思う。特養の立ち上げはそれを守り、再び勝ち取る戦いでもあった。イベントでは特に両者の世界が隔絶しやすい。今年の夏祭りの成功はイベントを通じて利用者とさらに深く関わることができたことに尽きると思う。それ故にそれぞれのスタッフの個性が輝き、利用者の個性が光った。表舞台も裏方も、スタッフも利用者も、役者が揃い、はまるべき所にはまって祭りを作り上げた感がある。かけがえのないエピソードがひとりひとりに生まれ大事な思い出となった。そのひとつひとつのエピソードは、誰かと誰かが繋がり、その繋がりが全体で支えられているような場をつくり出したように思う。
 こうした繋がりは、やがて時空を超えて明日へ、未来へと広がって行く感じがある。銀河の里の伝統はそうやって生み出されて行くに違いない。新たな始まりを感じさせられるこれまでにない夏祭りとなった。
 
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