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イメージ豊かな物語に包まれて【2012.09】
特別養護老人ホーム 中屋 なつき

 オリオンのリビングの窓に広がる田んぼの風景。そこにご近所さんの家もある。その家の屋根に人がいて、「いっつもこっちを見てる」と言う紀子さん(仮名)。スタッフは訝って、「え〜?あの白いやつのこと?あれ、アンテナだよ」とか、「あの、ベランダの所?あれは布団だよぉ、お布団、干してるの」などと最初は現実で返していたのだが、「人だ、ふたり立ってらんじぇ!」と紀子さんは譲らない。…うーん、その人たちは屋根の上でいったい何やってるんだろう?「見張ってらんでねっか?ここらで火事があったから」とか「話し語りしてら」「ほっかむりしてら」などと、ずいぶん具体的な話になる。そのうちみんなその気になって「どう?今日もいる?」と尋ねたりする。「今日はいねぇなぁ…」と探すこともあれば、「雨でも降ったか?コウモリ傘さしてら。おなご三人よ、みんな女だ」と人数が増えたり、しまいには、「ひとりは白い着物着て、自転車、乗り回してる。ウ〜ラウ〜ラ、ウ〜ラウ〜ラ♪ってな。ふたりは色っぺ悪ぃ服着て、歩いてこっちさ来る。今、屋根おりたばりだ」と、だんだんこちらに近づいて来ている?!あまりに鮮明な描写で「オメには見えねぇのっか?」なんて言うもんだから、「ぜひ見てみたい!」とスタッフの関心も高まっていく。
 紀子さんは認知症ではない。認知症の方が持つイメージ世界の物語とはまたひと味違って、普段は現実のやりとりがしっかりした紀子さんが言うので、不思議な感じがして興味が湧いてくる。“屋根の上の人々がこちらを見ている、守っている”というストーリーは、この春くらいから始まって、毎日のように語られている。紀子さんにとってどんな意味があるのか、どういう展開を見せるのかとその話に注目してきた。
 
 そして6月に入り、唐突な感じで「オレよぉ、月のやつ、来ねぇ…」と言ってきた紀子さん。“妊娠”したとのことで、「近々、行かねばねぇ、下ろしさな」と病院に連れて行ってくれと頼まれ、戸惑うスタッフの宮川くん。これまでも時々「夢だったか?」と本人も不思議そうに言いながら独特な世界がさまざまに現れてくることのある紀子さんだが、どうやらこの“妊娠の話”は、夢でも若い頃の体験がふと蘇った訳でもないよう。なぜかその話は男性の宮川くんにしか話さず、時間が経ってもストーリーは一環している。昼寝から起きて来ておやつの時、「な、頼むじゃ、花巻の病院さよ」と宮川くんに再度のお願い。うーん…と返答に困り、宮川くんは「産んだら、わぁねの?」と言ってみた。「わがねぇに決まってらじゃ〜!歳なんだじゃ、ここでは育てられねぇし、だから頼むじゃ」
 ユニットスタッフの平野さんやナースの明美さんにも相談。「どうしたの?どこか調子でも悪いの?」と、あえて“妊娠”には触れずに声をかけるが、やっぱり女性にはハッキリとは話さない紀子さん、はにかみ笑いを見せて曖昧にするだけ…。「水曜の回診で先生に相談してみようよ」と提案するが、「あの先生じゃわがね」ときた。そこで明美さんが、内科も外科も婦人科も整形も…と「なっても看てくれる先生だから」と促すと、「…んだか」と一旦は納得したようだった。
 突如として出てきた“妊娠の話”。しかも“育てる”のではなく「ここでは育てられねぇ」から“下ろす”と言ってること/タイムスリップしてる訳でもない“93歳の妊娠”であること/なぜ男性にしか話さないのか/この後どう展開していくのか・・・。不可思議な点がいくつもあったが、いずれ、とてもデリケートな内容だから「丁寧にみていこうね」とユニットで話し合う。
 翌日は“妊娠の話”は出ず、回診の日にも「何か先生に相談したいこと、あったんじゃなかったっけ?」と切り出した明美さんだったが、いつも通りヒザや腰の痛みを訴えるだけの紀子 さんで拍子抜けだった。数日しても宮川くんにも紀子さんからはいっさい話が出てこなかったので、平野さんが思い切って聞いてみたりする。それでも、「子供?」と本人はピンと来てない 様子だった。“妊娠の話”はすっかり消えてしまったのだろうか。あぁ…、充分に暖められなかったかなぁ。オメたちの今の力じゃまだ育てられねぇべ?ってことかなぁ…と、少し残念な気持ちもしていた。

 “妊娠の話”が消えてしまってから一週間後のある日、“屋根の上の人々”が“人”ではなくなる。「33番の観音様が並んでら。1番の観音様、きれいだな」と言うので、驚きながら「私には見えない…どうすれば見えるの?」と問う片桐さん。
 「なぁに、登れば見えるんだ。札に書いでらからよ」
 「ふだ?」
 「どこそれの観音様は何番の観音様だかってことがわかるようになってらのよ。33番まで書かさってら帳面、売ってらからよ、オレも持ってらったし」
 どうやら家の屋根にかけて一階から二階まで観音様がズラリと並んでいるらしく、“1番の観音様”は一番右側に居るらしい。「1番の観音様よぉ、山の上から下まで飛んで来たんだ。だからオレ、1番の観音様、拝みさ行ってる」と続くが、「上から飛んで降りて来たんだじゃ!」と、「すげぇべ!」と言わんばかりの表情の紀子さん。
 「んだから、下に清水様って立派な寺建ててよ、拝みさ行くのよ」
 清水寺は紀子さんの自宅の近くに実際にあるお寺さん。そこへ熱心に拝みに行っていた話がとつとつと語られる。若い頃から信心深い人だったことが伺われるが、それにしても、そんなにハッキリと観音様が見えちゃうもんなんだろうか?観音様が並んでておったまげたとか、見えて感激しているとか、そんな感じは全くなく、当然のことのようにサクッと言ってのける姿が印象的。

 そして、そのさらに一週間後。紀子さんが久しぶりに事務所にやってきた。「家さ電話かけてけで」とのこと。家には孫の孝男さん(仮名)がいる。おやつやパーマ代などのお小遣いが欲しくなったタイミングでお金のお願いをするため、今までもときどき電話をかけていた紀子さん。今日は何の用件かと聞いてみる。すると、思いがけない返事が返ってくる。「このめぇ、だなどの、会いさ来たったからよぉ、家さ居るかと思ってよ」…一瞬、ん?と思うが、すぐに、わぁ!という感激に変わる。紀子さん、すごい、会えるんだ!だって、紀子さんの旦那さんという人は実際にはもう亡くなっている。その事実を忘れてしまっているとか、夢を見たとか、そういうんじゃない感じで、紀子さんも平然として言うので、こちらもあえて平然と尋ねる。
 「そっか、会いに来てくれたんだぁ!いつ?」
 「2〜3日前よぉ」
 「そう、久しぶりだったでしょ?元気そうだった?」
 「ん…、まずな」
 「何かお話ししたの?」
 「なぁに、別に何も話はさねかったが」
 付き添ってきていた片桐さんは、私と紀子さんとのやりとりを、(え?亡くなった人じゃないの?え?)という表情で後ろから見ている。(うん、そうだよ、そうだけど、紀子さん、ホントに会えたんだねぇ!)と目で伝える。(ほえ〜!)と驚き顔の片桐さん。「もしかしたら、だなどの、孝男の所に行ってるかもしれねぇから、電話して確かめてぇのす」との要求に応えて電話してみる。孫さんの所には居ないそうだと伝えると、「んなんだな」とあっさりした感じの紀子さん、「秋田さ居るんだ、生まれた家によ」そう納得すると、“だなどのが会いに来た話”はこれで終わりとなった。
 この一連のストーリー展開、紀子さんときたら、なんて豊かに満たされているんだろう!子供を授かり、観音様に祝福され、旦那さんまで会いに来てくれて…!こんなふうに恵まれた物語を生きていけるんだぁ…と関心させられる。というのも、3年前、銀河の里へやってきたばかりの頃を振り返ると「紀子さんの世界もずいぶんと大らかに広がったなぁ」と感じさせられるのだ。
 里に来る前はケアハウスにいて、身の回りのことは自力でやっていたが、だんだんと身体的にも衰えてきて、生活のあれこれが心配になってきた頃、ちょうど銀河の里の特養が開設となり、縁あって入居となった。「何一つ自分ではできなくなった、何をするにも人の手を借りなければならない」と落ち込み、開設当初のドタバタで職員の入れ替えが目まぐるしいなか「誰に何を頼んでいいものやら、いっこう訳がわからない…」と不安も不満も大きかった。「いっこ、できなくなった」を繰り返し、「申し訳ねぇなぁ」と遠慮の塊だった。こちらも「心配なことは何でも言ってね」と折ある毎に声をかけ、なんとか安心してもらえるようにとアプローチしてきたのだった。3年経った今ではスタッフとも気心が通じ、すっかりリラックスしている様子がうかがえる。うまの合ったスタッフ、勝巳くんを頼りにし、「あいつ、ががぁ、もらったか?」と気にかけてくれ、彼がグループホームに異動になってからも、折を見て一緒にお出かけするほど慕っている。新しくオリオンのリーダーとなった万里栄さんには、「オメ、本当に結婚してねってか?」とさっそく世話を焼いている。紀子さんが大好きでたまらないという片桐さんに至っては、孫さんの名前で「おい、孝男!」と呼ばれることもあったり(女性なんだけど…)。ユニット内の利用者同士の関係性も大きく動いていて、紀子さんも苛立ちや怒りなどの感情を紀子さんらしく豊かに出してくれることが増えている(通信H24.3月号の施設長の文章を参照)。入所当初、あんなにオドオドと遠慮して、不安に身を小さくしていた紀子さんとは大違いの姿! 毎日一緒に過ごす周囲の人との関係が広がったのを感じて、こちらも嬉しくなる。
 8月の誕生日にはドライブに出かけ、久々の清水寺参りをしてきた紀子さんだが、自分がお参りしたいというよりも、初めて行く片桐さんに見せてやりたいという気持ちの方が強い様子だっ た。ピカピカの観音様に感激する片桐さんをしっかり見守ってくれていたという。そして、「山のてっぺんから観音様、降りてきたんだ」という“八方山”にも寄ってきた二人。数日前から、その山道を登る気満々だった紀子さんは、「わらじ、あったったか?」とか、「オメ、わらじ、こしぇれるってか?ワラあるっか?」と、これもやっぱり、自分が履くためというよりは片桐さんのために用意したい、無いなら作ってやる、作ったことねんば教えてやる・・・という気持ちがすごく動いていた。“継ぐ者”を得た紀子さんの物語が始まったように感じる。これからも、紀子さんの語りの世界に楽しませてもらいながら、関係のプロセスを歩んでいきたい。
   
 【 解 説 】
 人生の最後にぶち当たる“わたしの宿題”ってのがあるのかもしれない。銀河の里でこれまで出会った利用者さんひとり一人が、それぞれに繰り広げてきた“物語”は、どれも凄まじいリアルな存在を感じさせてくれた。年齢を重ねるに従って、途方もない喪失感や失望感を味わった末に、病や障がいを得て里に来た方々。抗いもがき、戸惑ったり、諦めの境地に入る姿もある。それに対して私はただ必死にそばにいるだけ。紀子さんも、身体の衰えの不安を感じ、他人に頼ることに引け目を感じ、身を小さくして暮らしていた。単純に励ますことはできなかった。というより、「できなくなる」ことくらい、大した問題じゃない…と思う私がいたのかもしれない。「どんなあなたであっても、あなたと居る」という想いが私の根底にいつもある。そうやって覚悟を決めて一緒に居ると、わけの解らない不思議なことがたくさん起こってきて、おのずと関係性が動いてくる。“わたしの語り”が展開され、言葉を超えて“体感”的な出来事も展開される。頭で理解しようとすると見えてこないことばかりだが、“あなたとわたし”の間に起こったその出来事は、“物語”となって、深く心に響いて、“わたしたち”を繋ぐ、大きな支えとなっていく。“物語の最終章”を描く人と“次に継いでいく者”とが出会う場に生まれてくる豊かな物語。我々は傷によって初めて互いを理解し合い、その物語の力に支えられ、生きていけるのだと思う。
 
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