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誇れる仕事【2012.09】
理事長 宮澤 健

 最近悩んだ末についにハッセルブラッドを手に入れた。噂には知っている程度の世界に名だたる中判カメラで、先日亡くなったアポロ11号のアームストロング船長達が月に持っていき月面の写真を撮ったのがハッセルブラッドだという話を当時中学生の時に聞いた。そのカメラで撮った月面の写真集「フルムーン」は、里の特養の交流ホールにも一冊置いてある。人類にとってやはり大きな出来事であり、フルムーンもそれを記念する意義深い写真集であるにちがいない。私にとって子どもの頃からのあこがれと言うより、手の届くことのない、遠い世界の夢のカメラだったのだが、時代はすっかり移り変わった。12枚撮りのブローニーフィルムで、ややこしくて、面倒なカメラで丁寧に写真を撮るような時代ではなくなった。携帯やスマホで撮られる画像が今やほとんどだろう。
 悩んだというのは、お金もかかり、手間暇かかるからなのだが、だいいちブローニーフィルム自体売っている店がない。以前はいろんな種類のフィルムが売られていたのだが、昨年から生産中止が相継いで、フィルムは消えてなくなってしまいそうな状況にある。手元に届いたハッセルブラッドに、30年くらい前の重厚な交換レンズをつけて、磨いたり、シャッターを切ったりして、しばらくは浸っていたのだが、やはり実際に撮影してみたくなった。自宅の冷蔵庫にブローニーフィルムが数本保管しておいたのを思い出して取り出してきた。それを見て驚いた、品質保証期間の日付が2003年3月になっていた。買ったのはおそらく2001年あたりだろう。今はなきコニカの35mmフィルムも一緒に入っていた。以前、マミヤの645判の中判カメラを持っていたので、フィルムを買い込んでいたのだが、ほとんどそれは使わないまま、デジタルでは撮らないという若い写真家にあげたのだった。
 取り置いていたフィルムが、使わないまま、あっという間に12年も過ぎ去ったのかと思うと、渦中では夢中なのでさほど意識していないのだが、フィルムの日付を見て、この間の凄まじくせわしい怒濤の日々だったことを改めて実感してしまった。ちょっとゆっくりやろうぜという感じなのか、何でもデジタルで手っ取り早くなってしまうのに抵抗しようとしているのか、往時の重厚な精密器機が見捨てられてしまうような値段で売られているのをいいことに、アナログ器機にはまりがちになっていて、今、ハッセルブラッドを磨いていると言うわけだ。
 この数年で、レコードプレーヤ、オープンテープデッキ、フィルムカメラと30年以上前の器機に魅せられている。くだらないことなのだが、それらの古い器機は、ちゃんと作られていると感じる。ちゃんとというのは、作り手の意図が器機ににじみ出ていて、個性が強く、味があって、それらがキチンとこちらに伝わってくるということだ。言い方を変えれば思想があると言えようか。乗り物を含めて今はそうした物作りができなくなっているように感じる。古いこれらの器機の特徴はどれも、使うのにかなり手間暇かかって、面倒だということだ。メンテナンスも日常的に必要とされる。そのぶん、知識と道具があれば、かなりの部分まで分解したりして修理が可能だ。生産から30年以上経って機械としてちゃんと使えるし、それなりに堂々と鎮座して雰囲気を出 しているのだからそれはすごい事なのではないかと思ってしまう。今生産されるデジタル器機のなかで、30年後にいい雰囲気を漂わせながら、実際の使用に耐えうるものがあるだろうか。

 今は音楽の音源媒体はネット配信始め多くの種類があるが、30年前は、家庭のオーディオの音源と言えば、一般にはレコードとチューナーしかなかった。今は両方とも過去のもので、特殊な形でしか生産されていない。そのチューナだが、簡単に言えばラジオの電波受信機なのだが、音楽を聴くために音が良く設計されたものだ。戦前から、通信機の専門メーカーだったトリオ(現ケンウッド)はこのチューナに関しては技術が飛び抜けており、値段も音も良かった。80年代になってデジタルチューナーになっていくのだが、それまでは、バリコン(バリアブルコンデンサー)でチューニングをする仕掛けだったのだが、その鮮明な音は人気があったらしい。それこそ伝説となった機種もあって、そのひとつトリオKT9900というチューナを九州の古物商から手に入れた。デジタルではないので、ダイヤルを回すと、糸で繋がったバリコンに連動し、周波数に合わせる。これがデジタルとはひと味違った生々しい音を伝えてくるので気に入っていた。ところがある日スイッチを入れると、音がする前に焦げ臭い臭いがして煙が出てきた。慌ててスイッチを切ったが焦げた臭いは抜けない。これを修理に出そうと「ケンウッド」に連絡をした。30年以上前の、しかも前身の会社である「トリオ」が作った製品だ。断られるものと思っていた。ところが、品川の白山サービスセンターで、どうなるかわからないがまず見てみるから送ってくれというのだ。それからしばらくすると、担当サービスから電話があって、新潟のサービスセンターで修理をしてみると言う。さらにしばらくすると、新潟の技術者から直接電話があって、今目の前で分解して開いているが、部品がすでにないので、完璧には直せない。ただ音は出るようにはできる。将来的な補償はできないがそれでいいかと聞いてきた。もちろんそれで充分なのでお願いした。数日後、修理後、数時間使ってみたが何とかいいようなので送ると状況を説明してくれた。そして、製品が故障したことに対して迷惑をかけて申し訳ないと謝り、今回の修理費は無料でいいと言うのだ。これには驚いた。いくら自社の製品とはいえ30年前のものだ。直接メーカ補償付きで買ったのではなく、古物商から手に入れた骨董品だ。それを謝罪する必要も本来はないだろうし、修理費を取らないというのはおかしいと言ったのだが、補償をつけて直せたわけではないのでというのでその通り送ってもらった。ケンウッドが音響メーカーとして今、景気がいいわけではないと思う。他のメーカーと同様、危機的な所を踏ん張っているに違いない。そのなかで、技術者は、自社の製品にここまで誇りと責任を持っているということに感動させられた。おそらくデジタル製品ではこういう事は起こりえないだろうと思う。
 手作りに近い、誇れる技術がそこにあるから、30年経った製品に、今の技術者も誇りを持って臨めるのではないだろうか。できあがった時だけきらびやかで、年の経過と共に輝きを失い廃れるものは空しい。日本人のわびさびも廃れるほどに美しくなる何ものかに価値を見いだそうとしたことで出てきた感覚だったのではないだろうか。我々も30年後の後輩達が自分の事として語り、自信を持って誇れるような仕事をしたいものだ。
 
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