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会えなくても繋がっている【2012.08】
特別養護老人ホーム 山岡 睦

  先日、ユニットことの入居者、武雄さん(仮名)の友人の川戸さん(仮名)の自宅を久しぶりに訪ねた。二人はかつて一緒に働いてきた仕事仲間で親友であり、酒飲み友達だ。歳をとって二人は長い間音信不通だったが、武雄さんがまだグループホームに居たころ、ある日偶然、読んでいた新聞の慶弔欄に川戸さんの奥さんの名前を見つけた。武雄さんは、自分で警察や役所に電話をかけて調べ、川戸さんとの縁を手繰り寄せた。そしてそのときから電話や手紙、年賀状などでやりとりを続けてきた。
  ある時の手紙には五つ葉のクローバーが同封されていて『あなたが元気になるように』という言葉が添えられていたり、ちょうど武雄さんの気持ちが落ちていた時に『死ぬことばかり考えないで笑って生きよう。弱い人を助けてあげてください』というメッセージをくれたりしていた。その頃の武雄さんは川戸さんの存在に随分救われていたと思うし川戸さんもそうだったんじゃないかと思う。  
  そのころは川戸さんは、北上市内の養護老人ホームに居た。再開の計画を実行したのが3年前の2月。数10年ぶりの再開に2人は何も言わずに抱き合った。私はその時初めて武雄さんの涙を見た。それから何度かホームを訪ね、武雄さんが特養へ移ってからも、スタッフの酒井さんと出かけるなど、川戸さんとのつきあいは続いていた。その後酒井さんが異動になって、しばらく会いに行っていなかった。私が異動になってからも、訪ねて行こうと思いながらもなかなか動けずにいた。最近になって、武雄さんは体の不調の訴えが続き、モヤモヤしていた。こちらの動けなさとどこかリンクしていたのかもしれない。
  そこで日程を組んで出かけることになった。以前と違い、川戸さんは施設を出て、北上市内の自宅で一人暮らしをしている。電話がないためアポなしでとにかく行ってみるしかない。買い物などで居ないこともあるかもしれない。そうか、“運が良ければ会える”ということか・・・私はそう思いながら、しばらく会っていなかった間の状況もわからないし、川戸さんが今どうしているのか、元気なのかも気になり、まずは行ってみることにした。
   午後に出かけることになり、手みやげも用意して「川戸さんに会いに行くよ」と伝えると、武雄さんは嬉しそうで、そわそわしていて待ちきれない感じだった。場所を知っている酒井さんに書いてもらった地図を片手に車を走らせる。近くまで行けば武雄さんも思い出すかなと思ったが、いざ近くまで来たものの「わげわがらねな。誰かさ聞いだ方がいいんだ」という武雄さんだった。近所の人に道を聞きながらたどり着いた。ところが玄関には“留守 食品買物”と書かれた札がかけられていて、鍵がかかっていた。そうかタイミングが悪かった・・・でも「せっかく来たしね」とちょっと待ってみようと玄関の前に腰を掛けて待った。しばらく待ったが帰ってこないので、ちょっと買い物してこようと、少し時間を潰して戻ってみたが、まだ帰ってきていなかった。時間は16時を過ぎたところ。「来るまで待つべじゃ」という武雄さん。夕飯までにはさすがに帰ってくるだろうし、もうこうなったらとことん待つぞという気持ちになる。
  待ちながら武雄さんは「(川戸さんに)会うの初めてだったか?」と私に聞いてくる。「最初に施設に会いに行った時も私も行ったし、それから何度かお茶飲みに行ったから、よく知ってるよ」というと、「んだったか。んじゃいいんだな」とどこかほっとした様子だった。
  かなり待っても帰ってこないので、武雄さんも時計を何度も見 て気にし始める。そして「なんぼ待ってたっていづ帰ってくるかもわがらねんだもんな。わがねんだ、何か書いで置いて帰るべし」と切り出してきた。万一会えなければ置き手紙とは思っていたけれど、私の中では帰って来るまで待とうと決めていたので「えっ、武雄さんいいの!?」と聞いてしまった。「いいのだ、書いでけろ」ということで書き置きを書いた。武雄さんの字で残したほうがいいと勧めるが「いいんだ、俺が来たってことがわがればいいのだから。書いでけろ」と託してくれた。私はちょっと緊張して手に力が入った。
  手紙を玄関の戸に貼りつけ「本当にいい?今日のところは帰るよ?」と確認すると、「おう、行くべ」と明確だ。「場所もわかったしまた来るべね」と帰る事にする。私の中では、せっかく来たのにと悔しさも残ったし、武雄さんにも悪かったかなぁと思いながら帰ってきた。帰ってきて駐車場に車を止めると武雄さんが「あー、いがったな」と言うので、えっ!?と私は耳を疑って驚く。「えー?会えなかったのに??」と思わず言ってしまった。すると「うん、会えなかったのは残念だどもよ、いいのだ」と平然という武雄さん。私にとっては意外な反応だった。
  でも考えると、会えなかったけど川戸さんの家を私も覚えたし、出かけて留守だったことでむしろ元気で暮らしている感じも伝わってきた。書き置きというのもどこかインパクトがある。
  個々人が携帯を持ちいつでもすぐに連絡がとれて繋がれる時代。メールで即座にメッセージを送ることもできる。インターネット等の通信手段で世界中何処にいても、いつでも簡単に繋がることが出来る便利さの只中で、電話がなく訪ねていく約束も出来ない、行ってみて居なければ待つしかない、いつ帰るかもわからない・・・待っている間、こんなことがあるんだなぁと不思議な感覚になった。でも考えてみれば電話すらなかった時代は、連絡が簡単には出来ないのが当たり前だった、そんな時代のほうが遙かに長かったはずなのだ。
  確かに現代はいつでも、何処でも簡単に“繋がる”ことが出来るけれども、それは本当に繋がれているんだろうか。相手が出ないだけで不安になったり、返信が遅いだけでもイライラしたりする。本当は繋がることにまるで自信がなく、怖くなっているのが実体かもしれない。人の繋がる手段が簡単になればなるほど、かえって不安は増してしまうのかもしれない。そうなると便利になることが必ずしもいいことではない。
  連絡の手段は手紙か直接出向くしかなく、そうした機会はそれほど多くは作れない。だから一回一回会うことが貴重で重みが感じられる。今回も出かける前から、「会えるかな」「元気でいるのかな」と気が気ではない。家を探すのもナビで検索したわけでなく、地元に人に聞きながらだったし、たどり着いたときには「あった」と感情が動く。留守だったおかげで、待つことになったが、ほとんど予定の見えない「待ち」は私にとってある種未体験ゾーンだった。そして「書き置き」。帰ってき友人は、すれ違ったことに感慨を抱きながら、訪ねてきた人がこの場所に居たことを想像するだろう。「居なかったけど、いいのだ」といった武雄さんのすがすがしい感じは、会えないことで、心の豊かなやりとりをしていたのではなかったろうか。現代人の私は、会えなかった事だけに囚われ、残念な気持ちしかなかったが、武雄さんには豊かな心の動きがあったに違いない。携帯やメールなど情報器機を持たない分、心のやりとりがはるかに豊かに行われるのかも知れない。
  3日後、川戸さんから手紙が届いた。やはり繋がっていたと嬉しくなった。こうなると会えなかった方がむしろ繋がった実感があるような気がしてきた。人と繋がると言うことはどういう事か考えさせられた友人宅訪問だった。
 
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