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終戦記念日を前に【2012.08】
施設長 宮澤 京子

  【はじめに】
  里が始まって、高齢者の方々とのおつきあいをさせてもらっていると、「戦争」を抜きにして、その方を理解することは出来ないと痛感させられることがある。太平洋戦争の「敗戦」がもたらした多大な犠牲や深い傷は、個々の人生にどう影響を与えているのだろう。
  Mさんは、戦後、平和運動や社会運動に身を投じてきた方だった。認知症になる前に、自らの戦争体験記を冊子にまとめていた。グループホームに入居になってから、時々スイッチが入ることがあった。そうなると目つきが変わり、裏庭に裸足で出て、南方のジャングルで敵兵と対峙した時にタイムスリップしたかのように、スタッフに襲いかかって来ることがあった。また、宙に向かって格闘したり、箸が武器として腹巻きに幾本も入っていたり、「隠れろ!殺されるぞ!」と叫ぶこともあった。  社交で覆い隠したり、無意識のうちに押し込めてきた強烈な体験や感情が突如立ち現れて来る瞬間に出くわすスタッフはその迫力にたじろぐ。兵士として戦場で勇敢に戦いつつも、「正義」と「殺戮」の狭間で生きた苦しみが想像させられた。
 当時、私の「戦争」への関心は、Mさんの言動を理解するための歴史的事実としての「戦争」であり、Mさんに傷を残した過去の「戦争」に過ぎなかった。ところが最近、戦争という人間社会の暴力は形を変えて、今この時代に、私自身を巻き込んでうごめいており、そこをどう意識し、生きるのかという課題を感じるようになってきた。
  【私の信条】
  中学生の時に映画『ひめゆりの塔』を観て、戦争の悲惨さを強烈に認識した。自分と同年代の女学生が、普段は軍需工場で働き、やがて傷病兵の手当てに戦争にかり出されたうえ、戦局が悪化し沖縄が戦場となると、「生き恥をさらすな」、「玉砕」などという無謀で理不尽なかけ声のもとに、命を落としていった事実に、憤りと悲しみがこみ上げた。今でもその一つ一つのシーンが思い出される。
  それから戦争に関するドキュメンタリーの番組を意識し、戦争を取り扱った書物に触れてきたのは、戦争の悲劇を風化させず、平和のありがたさを忘れないために自らに課してきた信条でもあった。おかげで、心に響く作品にたくさん出会った。一昨年は、倉本聰の『歸國』を、職員の文化研修として30名ほどバスに乗り込んで観に行った。お国のために死んで英霊と奉られた兵士達が、現代の日本に帰還したときその様相はどのように映るのかという問いかけは、他人事ではないリアリティがある。彼らが命を賭けて守った日本を、私たちは誇りに思えるだろうか。それにふさわしい国を築いているだろうか。兵士と現代を生きる私たちとの繋がりを、英霊の目を通して問いかける感動の舞台だった。この舞台を私が『ひめゆりの塔』を観たときと同じ歳の、15歳の息子も一緒に観た。私は戦争の持つ暴力性より悲劇性に痛みを感じたが、彼には『歸國』は、どのように響いただろうか・・・。
  昨年はNHKのドキュメンタリー「兵士の証言シリーズ」をことごとく観た。証言はそのほとんどが痛みを伴って吐き出されるようで、聞いていていたたまれない気持ちになった。戦後66年を経て、語らぬまま、あの世へいくつもりでいた元兵士達は、このまま永久に闇に葬られていくことを避けるために、痛い記憶を語ってくれたのだろう。そして最後まで語らぬ、語れぬ人たちも多くあるに違いない。
   今考えれば馬鹿げたことにしか思えないが、ほんの数十年前、 日本国民の意識が「戦時一色」に染められ、大量の近代兵器に竹槍で挑もうとしていた事実がある。しかし時が流れ、過去となり、当時の体制や政治を悪者にしたり「攻撃しなければ、侵略される」という帝国主義の時代のせいにしたりして、「戦争」を客観化・対象化し、自分とは関係の無い事として生きている。
   「戦争」に組み込まれた私を想像する
@ 私が当時20代の男性だったとすると、私は身体を鍛え進んでお国のために生命を捧げる軍国青年になっていたと思う。私は時代の要請に従い疑問を持つことのない一般的な人間だと思う。鋭い感性と意志で体制に抵抗する選ばれた人間にはなれないような気がする。
  しかし選ばれた人であっても、軍隊に入れられれば絶対的な服従を強いられ、感情を殺し、命令で動く駒になるしかない。矛盾だらけの蛮行にも耐えなければならない。「富国強兵」の時代精神から外れた、選ばれた人は、上官の神経に障り、生け贄の犠牲者にされやすい。同僚にとってみれば、犠牲者の存在は、自分自身がとばっちりを受けないための安全パイであって、救いの手をさしのばす事はない。現代のイジメと全く同列の現象がそのままそこにある。自分がそうした下劣な人間になることは、その時の状況にもよるが、可能性は否定できない。
 私は、上官にへつらうことはしないだろうが、目をつけられないように要領よく立ち回り、自分に攻撃が来ないように細心の注意を払う。人間的な魅力も能力もない上官に対しては、心の中では徹底的に馬鹿にし、軽蔑しつばを吐きかける。しかし反抗心をうまく自制し気づかれることなく、卒なく事を処理し、強いこだわりや癖もないので、きっと上官から頼られる存在になる。こうした自分を守り適応させていく構えは、戦時であろうと常に変わらないように思う。
  A 私は想像する・・・体制や時流に迎合しないマイノリティの意味とその価値。
  社会的弱者としての障がい者や高齢者、協調性のとれない個性の強い人、体制に合わない宗教や思想を持っている人は、戦時体制の中では「厄介者」「危険分子」としてはじかれる。また戦地に行けないことで、地域で肩身の狭い思いをしなければならず、戦地に行っても、生きて帰ると肩身は狭かったのだ。しかしマイノリティは、結果から言えば、軍国主義に対して「その存在」を持って反体制ではなかったろうか。それに比べて国や社会に「期待される人間」は、往々にして体制側に利用されやすいのではないか。
  戦時中は、様々な事実が意図的・恣意的あるいは無意識的に情報操作され、国民が集団ヒステリーのような高揚感に浸ることもあり、時代の流れに呑み込まれて生きるしかない。時を経て過去を俯瞰して初めてその時の立ち位置が明らかになる。もう元には戻れない・・・それが歴史であり、人生なのではないかとさえ思える。
  戦後の「豊かさ」の享受は、実態のない砂上の楼閣ではなかったかということを「3.11」の震災で思い知らされることになった。「社会システム」に代表されるように、大いなるものとの「関係性」や、死者を含めた人との「関係性」を奪われ、「孤独」なまま「刹那」を生かされている現代の実態が見透かされたように感じる。それでもなお、「原発」は日本経済を支える大事なエネルギーとして多くの人々が「継続」賛成に傾く状況にある。これもまた、「物質的な豊かさ」を追い続ける時代のうねりに呑み込まれた姿なのか。
  B そして、私は想像する・・・これからの戦争で利用される人々のこと。
  「戦争」は「愛国者」ではなく、むしろ普通の人々が利用される。ロボット兵器の登場で、兵士は戦場から遠く離れた地球の裏側の、攻撃される恐れの全くないオフィスで、画面に向かって任務を果たす。「殺す」ことに実感の伴わないゲーム感覚で行われる「戦争」が登場する。直接的な生の殺し合いではなく、相手の見えない殺し合い。そこでは、「期待される人間」は、「期待されるテクノロジー」に置き換えられる。湾岸戦争では現実に、ミサイル攻撃の様子を世界中の家庭で、テレビで見ながらご飯を食べていた・・・。今の軍隊は「無痛化」の中で人々を殺せる。私も無痛化の軍人になって、知らないうちに、殺戮のボタンを平気で押してしまうかもしれない。
  C 最後に私は、想像する・・・希望について。
  宗教が機能しない現代、個人は「孤独」の中で自ら哲学や宗教に匹敵する生きる支えを模索する必要がある。それはほとんど不可能に近いことだが、可能性は連綿と受け継がれて来た人々の生きる知恵や、大義名分に添えないマイノリティの存在にあるではないかと思う。
  最近、三田善右エ門著の『光陰赤土に流れて』を読んだ。著者は当法人の三田理事の父上だ。善右エ門さんは1938年(昭和13年)に岩手県から満州国に渡り、理想郷建設の夢に純粋に燃えて邁進した。しかし敗戦を迎えその夢は打ち砕かれた。この本は、満州国・吉林から占領軍統治下の日本へ引き揚げる動静を克明に綴ったドキュメントである。
  終戦直後の満州に住む日本人は、敗戦の事実を突きつけられ大混乱となる。五族の共存共栄を掲げていたものの、戦争に負けたとたんに日本人への報復が始まる。立ち退き命令や略奪が日常化し窮地に追い込まれる。手のひらを返したように態度を変える中国人がいたり、日本人も形だけの共産主義者が出たり、反共の国民党(蒋介石軍)勢力と結ぼうとする潜行運動が起こったりと、様々な妄動が露わになる。そんな中「日本人会」を創設し、日本人引き揚げに身命を賭して携わる善右エ門さんの人間としてのブレなさに、私は日本人の誇りを感じる。引き揚げの混乱で日本人が、飢餓、疫病など困難に窮しているなか、彼は軍政府と交渉しつつ、引き揚げの大事業を完遂させていく。窮地に立たされながら、常に彼の中には「死」の覚悟ができている。犬死にはしない・・・だが必要があればいつでも命を投げ出す。そうした覚悟の元においてこそ、偶然という必然が彼を助け、「最善」がそこに実現してきたのではなかろうか。
  【現代を生きる私たちにとっての戦争】
  現代における、あらがいきれない時代の潮流は、森岡正博氏が言うように、家畜化された「無痛奔流」にあるように感じる。このことは、戦争の持つ「暴力性」が、「愛国心」という大義名分に隠され塗り込まれたと同様に、現代の「飽食」や「原発」に代表されるような欲望をエスカレートさせ、大量消費を基盤にした快楽こそが「善」であり「人生の幸せ」であるという刷り込みにやられている。気がつかないうちに「生きる喜び」や「品格」を奪われ、自制がきかない荒れを蓄積し、それが吹き出ようとする「暴力性」に恐々としている。科学技術に支えられて「痛み」を極力排除し、最大限に「快」を享受しているが、一方で「傷つくこと」や「痛み」に対して過敏になり耐性を持っていない。かつてのような「戦争」はもう起こらないかもしれないが、無自覚、無反省な「暴力性」が、無痛奔流の只中で大量殺戮を企てているように感じる。そうした殺戮はかつての戦争のような明確な目的さえ必要がない。
  福祉現場は一般には「善」が実践されているように認識されている。しかし現実は操作主義やマニュアル等による管理によって、生命の営みが最も枯渇させられる状況におかれている。現場の個人が、主体と責任を持って考えるということを止めた途端、関係性や互いの個性は消滅してしまう。現状では介護現場は暴力の巣窟と言っていいくらいだ。もちろん殴る蹴るという直接的な暴行のことではなく、人生最終章で成されるべき個人の課題や、継ぎ残すという人間の本質的な役割を放棄させ、受け継ぐべき多くのことを抹殺することが、個人と人類への「暴力」という意味において・・・。
  また「福祉現場」における「関係性」の希薄さや、逆の共依存的な親密性は、社会問題化している「暴行・虐待」を引き出す危険性を孕んでいる。人間の闇を極限まで引き出しうるエネルギーが人間の関係には渦巻いているということに無自覚でいるわけにはいかない。また、一見正しくて良いことは、同時にかなりの暴力性を併せ持っていることにも自覚が必要だ。
   自らのうちに引き起こされる暴力性に「なぜその行動に、なぜその言葉に、なぜその存在に、私の怒りが引き起こされるのか」を問い、自らの感情を賦活する相手に直接向かうのではなく、その怒りを窓口に深く私という存在に焦点を当て続けていく必要がある。つまり介護現場に立つ者は、修行にも似た、自分との「闘い」を内的作業として求められる。現場の訓練とも言えるこうした闘いは、無痛化の誘惑に打ち勝つ数少ない道であると私は思う。無痛化に翻弄される現代人の欲と快楽への方向を、ケアのもつ本質が方向の転換をなさしめる可能性を持っていると考えたい。それはそのまま、戦争の要因としての人間の持つ暴力性との対峙であり、心の闇との対峙でもある。
  高齢者や障がい者など、今までは「弱さ」として見られていたことの中に人類の希望と可能性が秘められているのではないかと私は感じる。そこにしか希望がない状況にまで我々は追い込まれている。日本人はそのことを世界に先駆けて気がつくべきだと思うし、我々の文化の中にはそうした知恵が古くから育まれてきたように感じる。
   命というのはそうした感性を持っている不思議な存在なのではないだろうか。痛みや悲しみの深みからのみ芽生える言動やまなざしは、パワーや効率の世界とは全く別次元の世界を顕わしてくれる。特にも認知症の高齢者の言動や存在には圧倒的な異次元の魅力を感じさせられてきた。その価値を見失ってはいけないと思う。
   繰り返されてきた戦争は形をかえて、平和の続く日本人の中に強烈な暴力を蓄積し、あらゆる所に噴出しつつある。戦争の時代よりも、ややこしい暴力に我々は包囲され呑み込まれつつある。その解決の方向性は見いだせないままだが、介護現場つまり、ケ アのなかにそのかすかな道筋があるのではないかと淡い期待を抱いて、終戦記念日を迎えようとしている。
 
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