トップページ > あまのがわ通信 > 2012年8月号 地域・人・つなぐ 〜ケアマネージャーの孤独と方向性〜

地域・人・つなぐ 〜ケアマネージャーの孤独と方向性〜【2012.08】
ケアマネージャー 板垣 由紀子

  3年前、新人ケアマネージャーとして初めて新規受け入れのケースを担当したのがAさんだった。認知症で骨折して入院し、その退院時の相談だった。その後私は特養の現場に入り、この4月にケアマネージャーに復帰した。その間、Aさんの環境にはかなり変化があった。今年2月に主介護者であった夫が亡くなり、長女と二人暮らしになったが、長女は無職で、特定疾患もあって通院治療が必要なため、経済的に自立は難しかった。主介護者として長女は、母のAさんを充分に介護する能力はなかった。
 ケアマネージャーとしてはAさんの介護サービスをつなぎたいのだが、経済的に難しかった。そんな状況では認知症の人はたちまち生命の危険にさらされる。なんとかサービスで支えられるような環境を作ろうと苦慮したが、そのためには長女の生活支援と金銭管理が必要だった。とりあえずは長女さんが自分の通院を続けながら母の面倒を見て、ケアマネージャーの私も出来る限り訪問しながら安否確認し、状況を見守った。幸い近所の親類の協力があったのは救いだった。中央包括も、何か困ったことがあれば一緒に行って話を聞くと、ケアマネージャーの後方支援の立場で関わることになった。
  ところが長女の生活支援のための必要な手続きがなかなか進展せず、暗礁に乗り上げた。Aさんへの必要な介護サービスを実現するには、まず長女のケースワークが緊急に必要な状況だった。そのことを中央包括や市に相談をするが、縦割り組織の悪弊から極めて動きは鈍かった。担当者会議を開こうと根回しをするが地域福祉課は会議に出ないというので出端をくじかれた。理事長が市と交渉をしてなんとか開催にこぎつけ、市の長寿福祉課と地域福祉課、中央包括、当事者などが集まってやっと一歩踏み出せた。その会議で、月1回だけ、ヘルパーを入れることが決まった。そうしてヘルパーが生活援助で訪問すると、新たな事実が見えてきた。Aさんの生活の環境が、衛生面からも厳しく、夏を迎えるには清掃が必要な状況だった。そこで2回目の会議を開いた。この会議の後、障害者地域支援センターも加わり、関係者が集まって大掃除する事や、ヘルパー利用を週1回に増やすことなど具体的に動き始めてきた。大掃除では、寝室の環境を整え、その時必要な書類等も見つかるなど一歩ずつ進んでいた。
  ヘルパーが入れるようになったのは大きかったのだが、遅きに失した感もあった。すでにAさんは、やせ衰え食事も全うには取れていない状態が続いていた。長女にあまりに負担と責任がかかりすぎていた。私も訪問の回数をできる限り多くしながら様子を見ていたが、体調の低下を考慮して受診の予定を早めにしようと日程を決める程度しかできなかった。その矢先、Aさんは脱水状態で衰弱し救急車で搬送された。たまたまヘルパーの入る日で、異変に気づいたヘルパーが救急連絡したのだった。週1回のヘルパーに救われたが、まさに危機的状況だった。  
  これを受けて3回目の会議を行った。私は危機的な状況と 対応の緊急性を訴えるのだが集まったメンバーに危機感はなく、厳しい会議になった。なんとか夏場を乗り越えたいと、週3回ヘルパーが食事作りで入れるよう提案したが、行政からは発言がなかった。包括は、「ケアマネさんは、一生懸命考えてくれていると思うけど、どうするかは、家族が決めて・・・経済的なこともあるんだし・・・、救急車で運ばれるリスクは、高齢者のいる家族ならどの家にもあるし、サービスが入っていない家だってあるんだから」と極めて後ろ向きの言葉に怒りを感じた。何を課題として、どういう感覚でこの会議に参加してきたのだろうか・・・?話が通じて仕事もできる、感覚のいい人と組めればどれだけ楽だろう。感度の低い担当者に、ケースに必要な介入の程度を説明し、説得しなければならないような、時間や労力の余裕はこちらにもケースの状況にもない。時間をかけて作った会議の資料もほとんど関心は持たれないし、家族や関係者が追い込まれないような支援をしていきたいのだが、「どこかで線を引かないと、自分を守らないと」などと最前線の担当者から信じられない言葉が返ってきてあきれてしまう。
  先日、訪問先で、障がいのある子どもと夫の介護で長年頑張ってきた方が「(花巻の)体質は絶対に変わりません。その人(やる気のない担当者)がいなくなっても空気みたいなのが残りますもの。」とあきらめがちに言われた。絶望やあきらめしか与えないような行政や福祉関係者では最悪の地域だとしか言えない。だが、ここであきらめる訳にはいかない。変わるのは困難かも知れないが、ここで誰かが動き始めなければ始まらないと逆に熱い思いがこみ上げてくる。
  この夏を何とか乗り切ろうと、やっとサービスが繋げられた矢先、Aさんは心不全で亡くなられた。ここまで来たのに「間に合わなかった」という悔しさで、私の胸は張り裂ける思いだった。
   葬儀には50名ほどの方が参列されていた。日常的にも近所の方の手助けがあり、葬儀にもたくさんの方が参列してくれる。ここには、ご近所さんがある。まだまだ地域の力はあるのだと感じた。30年昔とは社会事情が激変している。行政は昔と同じ申請主義事を固執し、市民一人一人の置かれている状況を知る術もなく、その変化に全く対応できていない。人のつき合いの薄れる現代、この地域のマンパワーを紡いで行政に働きかけ、地域をつくっていくことも私の仕事の一つにちがいない。
  今回、経済的理由によって制度サービスが使えなかったAさんの場合、緊急対応の弱さや関係機関との連携の取りにくさ等を痛感した。しかし今後も、年齢や障がいという縦割り区分だけでなく、多重多問題を抱えたケースが増えていき、地域や関係機関が集まって検討しなければ、サービスをスムーズに繋げない場合が出てくるだろう。フォーマルなサービスが使えない状況の時こそ、ケアマネジメントの力が試される。現場で直接その状況に出くわした時、居宅介護支援事業所の限定された役割を超えて、調整していかなければならないことがあると教えられた。決して、Aさんの死を無駄にしたくないと強く感じた。
 
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