トップページ > あまのがわ通信 > 2012年6月号里のバンド発進

里のバンド発進【2012.06】
グループホーム第2 酒井 隆太郎

 俺は、営業マンから転職して2年が過ぎた。濃密な日々で、とても充実していた。利用者さんとの深い出会いがあり、別れもあった。介護の資格も経験もない俺だったが、周囲からも支えてもらいながら、ギターを抱えて、何とか特養でがむしゃらに走ってきた。
 ところが急に立ち止まった。疲れたわけでもないのだが、心が静止した状態になってしまい何処を走っているのか分からなくなった。そんな俺に、理事長と戸来さんが声をかけてくれた。
 「グループホームに異動しましょう。」そして俺は、修行のつもりでグループホーム第2にやってきた。不安もあったが、次へのきっかけが欲しかった。それが、去年の12月のことである。それから5ヶ月が過ぎようとしている。グループホーム第2は、暗いのか明るいのか分からない感じで、確かに怪しい雰囲気もあった。特養と違い、時が来ると一斉に利用者さんが動き出す。不思議な感じで、特養とはまた別の世界であった。
 転職当初から「酒井さんはギターを離さないように」と理事長が言っていたが、今度は「バンドを結成しましょう。」と言われた。いままで、たった一人で、ギター一本でやってきたのだが、バンドだと楽器やメンバーも多くなり、確かに楽しそうだ。
 「任せて下さい」と即座に返事をした。実は、俺の頭の中でバンドメンバーは決まっていた。グループホーム第2のスタッフ、佐藤寛恵さんは、身長があって、不思議な感じの人だが、吹奏学部でコントラバスを弾いていた。特養のユニットで新人の俺に仕事を教えてくれた人でもある。その時からバンドメンバーとして声をかけようと決めていたが、今回実現した。楽器はエレキベースだ。もうひとりのスタッフ二唐美奈子君は、身長は小柄だが、寛恵さんとはまた違った不思議な雰囲気をもつ、独特のキャラクターだ。銀河の里は、スタッフも個性的な変わった人ばかりでどこか魅力がある。彼女は現役でコーラスクラブに所属しており、全国大会にも出る歌姫である。ヴォーカルは決まった。声をかけると当然2人とも二つ返事で引き受けてくれて、とりあえず3人の出発になった。グループホームで昼間から練習できるし、利用者も自然に参加してくれる。早速、音を出してみるとまあまあではないか。数日練習を重ねて、男性利用者豊さん(仮名)の99才誕生会を初演奏で祝った。曲は、グループホームで日常的に出る“ハワイ航路”や、利用者をイメージして選曲した、昭和のメロディーだ。
 この時の盛り上がりようには俺が驚いた。ひとりのおばあちゃんが立ち上がりステージに流れ込んできた。その後、他の利用者も踊り始め、歩けない人も巻き込んで最高に盛り上がった。こんなことが起こるものなんだなと、俺は改めて音楽の力を感じた。気持ちが繋がった一体感があって大成功だった。熱の入った練習がその後も続いてた。そこにオファーが入り、「5月の運営推進委員会で演奏を」と言われ引き受けた。メンバーはその後2人増えドラムが加わった。デイサービスの新人、高橋さんは長年バンドをやってきた経験者で、ギターも弾ける、かなりの腕前の心強いお兄さんだ。そこに「ドラムを叩きたい」と言って乗り込んで来た川戸道美佐子という新卒の社会人1年生。フワーっと風と一緒に揺らいでいるような感じで、本当にドラムできんのか?と思わせるが、高橋さんの指導もあり、叩いてみると全くの素人ながら、いい感じになった。早速、選曲して、昭和メロディーを中心に練習を始めた。“東京ブギ”“上を向いて歩こう”“憧れのハワイ航路”と3曲に、私のレパートリーである竹原ピストルさんの歌を2曲を加えた。
 練習を開始すると、ドラムのパワーがありすぎたのでアコースティックギターをエレキギターに代えてみた。存在感はバッチリになったが、ゆったりした曲にはなじまない感じもある。そこで試行錯誤しながら一番ゆったりとした曲のハワイ航路のリズムをレゲエのようなリズムで弾いてみるといい感じだった。これをアップテンポにすると、なんと沖縄民謡の雰囲気になった。これにはメンバーも絶賛で、その日の練習は、メンバー全員大笑いだった。俺も長年やってきて、曲がこんなにも変わるものとは驚きだった。練習メンバーやその場のノリや成り行きなのか、そうなって行った。家に帰ってからも思いだし笑いするくらいだった。リズムが決まったので、ギターはアコースティックにもどし、アンプで調整した。
 翌日も、俺はそのリズムが気に入って頭から離れず、グループホームでギターを持ち出して弾いていた。前奏をチャカチャカとならし、ニヤニヤとしていた。二唐さんに「昨日は最高だったな」などと語りかけていた。楽しい気持ちで、“沖縄バージョンハワイ航路”を弾きながら、日勤の片方さんに「この曲なんの曲だかわかる?」と思わせぶりに問いかける。すると「沖縄の曲でしょ。」と言ってくれるので、俺はよしよし、してやったと、したり顔になっていると、女性利用者のクミさんが俺の方を見て、何事もないような顔で、「晴れた空だべ」とニコっと笑った。俺と二唐さんは、唖然とした。俺は、前奏しか弾いてないし、歌もうたっていない。現に片方さんは「沖縄の曲」と言っているにもかかわらずだ。「なんで解るの」と驚いた。
 運営委員会当日は、沖縄バージョンハワイ航路をトリに持ってきて、外部にバンドの初お披露目となった、みんな引くぐらいの大音響で盛り上がった。特に利用者さんは音が出る前から続々と集まってくれた。ドラムの椅子に座ってバンドメンバーになっている人もいた。何で利用者はこんなに関わってくれて、乗ってくれて、支えてくれるんだろう。「晴れた空だべ」と“ハワイ航路”をあててしまったクミさん(仮名)は、いつもは「帰る」と外を歩いているはずの時間だが、このライブでは最前列に座って、途中で自分のスリッパを裸足でやっていた俺に渡してくれた。当然スタッフはクミさんの人柄がわかるから心を打たれる。外部の人には利用者や参加メンバーとの間にどんなやりとりやドラマが起こっているかは解りにくいと思うが、雰囲気は伝わったのではないだろうか。
 その日俺は、家に帰って考えた。バンドは利用者を盛り上げる役のつもりなのだが、里ではバンドも利用者も一直線上にいて、みんなで盛り上がってしまう。音楽を聴かせているのでも、聴いているのでもなくなり、まさに、繋がってしまうのだ。俺達も、ただ歌うだけでなく、ただ演奏するだけでなく、その日あったことや、人の思いや気持ちや祈りを、音楽や歌で表現する感じになって、利用者さんと一体になってしまうんだなと思った。俺達のバンドは支えられている。言葉を越えて、音と歌でもっと表現してみたい。俺に新たな方向が見え始めた。
 
〒025-0013 岩手県花巻市幸田4−116−1
TEL:0198-32-1788 FAX:0198-32-1757
HP:http://www.ginganosato.com/
E-mail: