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「記憶」を超えて【2012.05】
施設長 宮澤 京子

【近代自我の問い】
 一昨年の夏からショートステイを利用しているカナさん(仮名)は「どうして私はここに連れてこられたのでしょうか?」「私が頼んだわけでもなく、自分で此処にやってきた覚えもない、誰がどんな理由で私を此処に連れてきたのですか?」と滞在の間じゅう問い続ける。87歳で、かつて教員だったカナさんは、日本の伝統的な部分と、近代自我の両方を持っているような感じがある。ショートステイは「私の意志ではない!」と、不可解や理不尽を質問で追求し続ける。そうしたカナさんの近代自我の問いに、こちらも正論で「(理由)家族さんが出かけて留守になるそうです。カナさんのご飯の用意やお風呂の世話が出来なくなるので、家族さんから頼まれて、(誰が)担当の者が(どんな手段で)車でカナさんを連れてきました。」と説明する。しかし全く納得せず「そのようなことを言うなら、家族に確認しますので、電話をして下さい。本人が納得していないのですから、あなたの言うことを信じるわけにはいきません。」と延々と続く。当初は、スタッフも余裕がなくなり疲れ果てていたが、私はマシンガンのような質問や、理屈に理屈を重ねて突きつけてくる攻撃口調が、キャリアウーマンの鏡として「かっこいい」と感じてしまうのだった。
 しかし、最近、雰囲気が変化してずいぶん柔らかくなった。キッとしてゆずらない感じも和らぎ、「いつ帰られますか?まだまだですね。後、何日ですね」と自分で帰る日を計算して納得することもよくある。「家族に会いたいです。おなかの具合が悪いです。電話してもらえませんか。」と弱気な感じになったり、「こんな年寄りになってしまったから、家族も放り出すんだな。」と両手で顔を覆ったりするので、こちらも切なくなって言葉に詰まることもある。

【記憶】
 そのカナさんが、何度も語る話しがある。
 「小学校の恩師の家で、まんま焚きして掃除して、そうやって、私は女学校に入れてもらった・・・。」ふぁっと天を見上げるように「有難いことです。」「私の初任地は、沢内村の猿橋小学校です。昭和18年のことです。ここと違って、雪が多くて、陸中川尻駅(現在の「ほっと湯田」駅)に着いたら、窓の上まで雪が積もっていました。地域の大人の人が、駅のまわりを雪かきしていました。そのころは小山田から沢内まで行くのは、まるで冒険のようでした。釜石線で花巻に行き、東北本線で黒沢尻(現在の北上)に行き、横黒線(横手と黒沢尻を結ぶ)に乗って川尻駅までは、本当に遠かったです。お父さんは、布団を背負って、鍋カマもって、一緒に行ってくれました。てくてく、てくてく、6里の道程(みちのり)を歩いて行きました。途中でにぎりめしを食べて、また、てくてく、てくてく歩いていきました。小学校は、雪に埋まっていて、PTAの人達が雪かきをしていました。そうやって私は、初任地の猿橋小学校に着いたのです。父親というものは本当に有難いものです。」恩師について語る時と同じように、ふぁっと天を見上げるように一息つく。「小学校には、グランドがありません。野っ原が広がっていて、走るところだけ、土が出ているだけです。」「学校に入ったらすぐ、生徒達みんな‘奉安殿’に向かってお辞儀をします。」
 カナさんは大正13年生まれ(87歳)、国民学校を卒業したあと、2年間の高等科を出るが、兄弟も多い農家で、経済的な理由もあり一旦は就職した。戦争で男性が戦地に送り出される中、カナさんは小学校の担任から女学校に行くことを進められ、その先生夫妻の家に住み込んで、女学校を卒業し初任地の猿橋小学校に赴任した。
  教師として定年まで勤め上げ、自分の人生は、女学校に通わせてくれた恩師や、遠く離れた雪深い初任地「猿橋小学校」まで送ってくれた父親のおかげであるというこの話しを、スタッフに何回も語った。私は、雪深い山奥の僻地の「小学校」に父親と共に赴いたときの話が大好きで、何度聞いても胸を打たれ、あたたか い気持ちにさせられる。話の内容も結末もわかっていながら、まるで‘昔話’を何度もせがんで聞かせてもらう幼子のように、胸がときめく。方言で、張りのある声とリズム、「先生口調」の語りに引き込まれ、何度聞いても新鮮で、宝のような物語に思える。
 私は、カナさんが「呆け」を意識し始めた頃、それに対抗してなのか、決して忘れてはならない人から受けた「恩義」を、自身の人生を支えてきた物語として、繰り返し周囲に語り、伝え残そうとしているのではないかと感じた。

【関係性と場】
 カナさんの話を何度も聞いてくれる相手がもう一人いる。利用者の桃子さん(仮名)だ。彼女は辛口の口撃が身上で、理不尽な作り話で攻めたてたりするので、スタッフも振り回され閉口してしまう、なかなかの猛者だ。しかし根は情が深く、気が小さいが優しくて、いろんな人の世話を焼いてくれる。カナさんにも填(はま)って、車いすを押したり、話しに耳を傾けてくれている。
 私は、カナさんの語りが心に響くので、その話しをもとに一代記を書いてみたくなった。インタビューは一対一ではなく、桃子さんもいれて3人の場を作ることにした。二人だと息が詰まる場面も出やすいが、桃子さんが加わることでいい感じの場ができる。
 桃子さんは「おばあちゃんの話を本にしてくれるよ」と私を紹介する。カナさんは「私は、そんな人間ではありません。地域には立派な人がいっぱいいるのに、恥ずかしいです。」と言うが、おでこをぱちんとたたき、「呆け婆なんだ!」と愛らしく笑い、いつもの語りが始まった。
 身振り手振りを入れて語ってくれるカナさん。小さな身体で箒をせわしく動かし、しもやけの素足で雑巾がけをし、カマドでご飯を炊きながら勉強している若きカナさんの姿を思い浮かべながら、私は米問屋で奉公しているテレビ小説‘おしん’のイメージが浮かぶ。桃子さんは「どっこの学校の校庭にも二宮金次郎の銅像があってな、カナさんは、その女版みたいな人だな。」と言う。カナさんの話しから、私も桃子さんもそれぞれイメージが引き出され、記憶も蘇り、今の心情と重さなって、新たな物語がつくり出されていくような創造の時間がもたらされる。

【記憶の支え】 
 私がカナさんに魅力を感じるのは、87歳の年齢にしては「自分の意志」という近代自我を培いながら、一方で伝統的日本人の浸透的な自我の両方を持ち合わせているからだ。それは私自身と私の世代以降の葛藤でもあるように思う。近代自我は個個人が全ての責任を負うので、「私の意志」が前面に出てくる。それが弱いと「現代」を生きてはいけない。「誰がどういう理由でここに連れて来られたのですか」という執拗で厳しい問いは、カナさんの近代自我が語らせているように感じる。一方で、貧しかったカナさんに目をかけ、進学させてくれた恩師と、初任地の山奥にナベカマを運んでくれた父親への恩義を忘れることなく、大切にして生き社会の役に立とうとして頑張ってきたカナさんがいる。カナさんの人生はそうした思い出に支えられ、先人の恩に報いるための努力を基盤に描かれたものであったと想像する。そこには日本人らしい人生観があり、それに惹かれて私は一代記を書きたいと思ったのではなかろうか。
 
 日本人2世である英国の作家カズオイシグロを、昨年、銀河セミナーで取り上げた。ブッカー賞も受賞した彼の小説は「追憶」や「郷愁」をモチーフにしている。映画化され日本でも公開された『わたしを離さないで』は、臓器提供を目的に生まれてきたクローン人間を題材に重いテーマを描いている。ヘイルシャムという特別な施設で隔離されて育つクローン達は、やがて臓器提供によって命を終わらせる運命を背負っている。この物語の背景には、医療技術の進歩による生命操作や人間の持つエゴや残酷さが秘められているが、あくまでも読みとしては人間存在のメタファーとして捉えるべき作品であると思う。主人公キャシーは、大人になってヘイルシャムが偽りのシェルター(揺籃)であったという衝撃的事実を突きつけられ、多くの親友も臓器提供で失う。彼女は、臓器提供で死ぬという現実よりも、記憶にある鮮明な過去 (へイルシャム)こそが、誰にも奪われることない自らの「存在証明」であると捉え、ノスタルジックな記憶を支えに、死を決意し臓器提供に向かう場面で物語は終わる。記憶の持つ「郷愁性」が、過酷な人生を乗り越え得るという物語は、どこか日本的な潔い死や、逍遙として死に向かう境地を描いているように感じた。
 カナさんの人生の原動力は、カナさんが何度も語る、恩師や父親の恩義にまつわる‘記憶’によって支えられてきたにちがいない。認知症は脳の疾患に起因した記憶の障害であると言われている。しかし認知症の方と現場で出会ってきた感触では、そうした記銘・保持・再生という記憶のメカニズムとは違った「記憶」があるように感じさせられる。同じ話を何度も繰り返すその話には、その人の人生が詰め込まれて、「人格・性格」が精鋭化されて顕現してくる。カナさんは自分の人生が何であったのかを忘れないように、また伝え継ぐためにその根幹の物語を何度も何度も語ってくれているように感じる。

【記憶のその向こう】
 そんな大切なカナさんの記憶を紡ごうと、桃子さんも加わって3人でお茶飲みをする時間はとても暖かくてかけがえのない時間になり、いろんな話しが湧き上がってくる。3人でおなかをよじらせて大笑いする場面がある。桃子さんも話しの内容はすっかり覚えていて、上手に合いの手を入れてくれる。
 カナさんに「立派なお父さんでしたね」言うと「父親は、上等な教育などいっこと受けていない、どん百姓でした。ただ働くだけの人でした。」と言う。女学校の入学式で、お父さんが代表で挨拶をすることになり、カナさんは心配で身を小さくして緊張していたら結構立派でホッとしたエピソードを話してくれる。「短かったけれど、立派に喋ったのでビックリしたぁ!」という。「旦那さんはどんな人?」と聞くと「旦那は小学校からの同級生で、よく知っていた。好きも嫌いもありません、結婚は親が決めるのだから。そりゃ、良いときもあれば、悪いときもあります。夫婦だもの。自分の夫のことを、ここも良いあそこも良いなんて褒める人は、いないんだ。とにかく、私にとっては掛け替えのない、すばらしい人です!わっはっはっ」と大笑いする。私たちの世代の女性では考え難い。結婚相手は親が決め、好きも嫌いもないという伝統的な自我もカナさんの中にしっかりある。「なんでそんなに家に帰りたいのですか」と問うと、「わがままや勝手なことが許されるのが家族です」と本質を突いている。
 
 認知症のため、今までのような対処や理解ができなくなった世界に投げ込まれる。周辺世界が自分の知らないところで動き、納得できない。そんな恐怖の中での拠り所は「家族」だ。その家族の依頼でショーステイに来たと説明を繰り返すと「そっか、家族が自分を捨てたんだな、こんな呆け婆になったから。」と言う。これを聞いていると、家族に捨てられるのではなく、カナさんが家族から離れ、遠くに旅立つ準備をしているのではないかとさえ感じる。
 最近、あれほど繰り返し語ってくれた話の内容が断片的になり、「忘れてしまった」と言うこともある。何度も聴いた話しなので、こちらから話すと、「そうそう、あなた、なぜ知ってるの?私が喋ったってか、あきれた呆け婆だな」と大笑いしている。
 認知症が進み、記憶が忘れられたとしても、それは悲しいばかりではないと思う。むしろこの世のしがらみから解放され、新たな世界に旅立つプロセスに繋がっているような気がする。カナさんが長年抱き続けてきた記憶は、とても大切で人生そのものであったと思う。記憶を抱え、それに支えられて死に逍遙として向かうという姿勢も見事だが、それをさらに超えた次元もあるように感じる。大切な記憶が消え失せたとしても残るものがある。それは、桃子さんと私を巻き込んでできたこの3人の「場」もそうだ。私は、さらに記憶も消えたその先にある‘何ものか’を信じたい。カナさんの「なぜ」という近代自我の問いは変容しつつあり、記憶も消えるかもしれない。ただそれは「諦め」や「認知症の進行」という因果論でかたづけるのでは、あまりに浅薄だ。近代の自我意識を越えて、カナさんには日本人として浸透する意識が脈打っている。そこは「なぜ」を必要としない世界であり、大いなるものに触れるような、「存在」そのものを支える「生命の記憶」に 繋がるような次元ではないだろうか。そのように思えるのは、これまで里の暮らしの中で、認知症の方達の「生命の記憶」の体現に、私自身が生きる支えを感じさせられてきたからである。

【深い記憶への洞察】
 現代美術家の杉本博の活動を記録したドキュメンタリー『はじまりの記憶』のDVDジャケットには、「そこにただ問いだけがある」と記されている。彼は、写真を思考の媒体として用いつつ、現代美術のなすべき役割が、過去から連綿と受け継がれている目に見えない精神を、技術としてのアートによって問いかけ、物質化していくと語っている。現代美術の存在意義は多義的で明確な答えのないものを表現しいく挑戦と言えるだろう。これは銀河の里の挑戦と通じる感覚だ。里のスタッフが、認知症高齢者や障害者と生きていくなかで、何を感じ、何を聞きとり、何を構築して、次の世代に伝えていくのかという、絶え間ない問いの中に日々投げ込まれている状況は、現代美術家の挑戦と変わらないと思う。里において、杉本の「物質化」する行為としてのアートに対応しているのは、変容していく関係性を、「事例」という「かたち」に表現してきたことだと思う。杉本の「太古とつながる記憶」に挑む作品作りの姿勢に、里の存在の意味と方向性を示唆される。杉本のスタンス「ただ問いがあるだけ」は、我々の現場にそのまま通じる衝撃的な指摘だ。
 
 ここまで原稿を書き進めたところで、カナさんへのインタビューとして、3人のお茶のみ時間を持った。これまで繰り返された話しを聞こうと水を向けるが、なぜかカナさんは一向に乗ってこない。「忘れてしまった、呆け婆なんだなぁ」とのんきな様子。ただおきまりの「私は、どうしてここに連れてこられているのでしょうか?いつ帰られるのでしょうか?」という問いが来る。 「毎日、明日明日と言っていつの明日なんだか。」という桃子さんに「明日の来ない今日はないんだな」と余裕で応えるカナさん。
 桃子さんが「カナさんいくつ」と聞くと、「おらハ、大正13年」「あれ、大正15年って聞いたよ。」という桃子さんに、「私は、大正13年って、そう思っています。ばか婆になってしまったんだな。」と緩やかな口調で、正誤にこだわらないのも、これまでとはまるで違うカナさんだった。(事実はカナさんのいう大正13年)
 「米寿のお祝いだよ。長生きしたね」と私が言う。
 「ほぉー、長生きしたもんだ、私も古狸になった。」と派手なジェスチャーで、驚く。「狸や狐は、人を化かすんじゃないの?」と私。「ここにいたら、化かすんだか化かされるんだか?」と頭の回転が速いカナさん・・・どっと3人で大笑。
 そこでまた「ところで、私はどうしてここに連れてこられたんでしょうか?」の質問。
 「此処にいたから、長生きしたと思わなきゃ。ここで一緒に遊ぶべし」と桃子さん。すると「私は、あの世に行くのを楽しみに生きているの。」と今までにないカナさんのセリフに驚く。「あの世さ行っても、また帰ってきて、一緒に3人で話っこすべしな」と桃子さん。
 「その時は、あの世の様子を教えてちょうだいね。」と私が言うと、「あの世に行って、また帰ってきて、こやって笑うべし。おもしろいな。そんなだば、死ぬのもこわくないな。」とカナさん。(このセリフも初めて聞いた。)
 「若くなって帰ってきたりして」と茶化す桃子さん、また大笑いになる。
 「どうしてここへ連れてこられたんでしょうか」の問いは、いつの間にか「私はどこから来て、どこに行くのか」と、人間存在の根源的な問いに変容している。それを知ったとき、私は言葉では表現できない「生命のよろこび」(『無痛文明論』:森岡正博著)というような高揚感に充たされた。お茶目なカナさんらしく、あの世を楽しみに待つ好奇心と、「こわさ」を同居させながら、「行ったり来たりできるなら怖いことはないのに」とご先祖さまになったら、たまにあの世から帰ってきて一緒に笑おうというわけだ。近代自我を超えた次元に至っているのが凄い!大いなるものと繋がる日本人の文化を基盤に、死生観が息づいているのを感じる。
 
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