トップページ > あまのがわ通信 > 2012年4月号 痛みの多義性

痛みの多義性【2012.04】
施設長 宮澤 京子

 3/25に法人内で事例検討会を行ったが、その事例『新たな旅のプロセス〜異化の春』は91歳の一人暮らしをしてきた女性Sさんがグループホーム銀河の里への入居後、高熱による入院や転倒を繰り返しながら、奇跡のような変容を遂げた3年間のプロセスが語られたものだ。2時間の発表と2時間の討議ながら、あっという間に過ぎた濃密な時間だった。一緒に暮らすことになった若いスタッフが、特にも入居から10日間にその方向性が集約されていくなかでの様々な心の葛藤や課題は、聞く者を圧倒し、それぞれのこころを揺り動かした。私もSさんのキーワード「痛いです!」が強烈に印象に残り、改めて「痛い」の持つ意味を考えてみた。

 「いたい」という言葉を聞くと、まず心や身体の「痛み」、リンゴの腐敗や屋根の損傷の「傷み」、亡くなった方を偲び悲しむ「悼む」等が浮かぶ。
人は誰しも、痛みを避け、痛みから解放されたいと願い、そのために懸命になる。一方で、人は他者の痛みの除去や緩和のために耳を傾けようともする。この痛みに対する二つの側面はとても重要だと感じる。具体的にSさんと私の「痛み」から考察していきたい。

〔Sさんの場合〕
 Sさんは「先生、足が痛いです」とスタッフを呼ぶ。そして一旦対応がはじまると長時間ジャックされることになる。既往歴には老人性関節症や骨の変形症があり、痛み止めとしてブロック注射や座薬を処方されていた時期もあったようだ。その他尿路結石や胆石、胃潰瘍があり、それぞれ今では完治はしているものの、痛みを伴う病歴がある。激痛を伴ったであろうかつての「身体的痛み」は、入居当初のSさんが「一人で生きていきます!」という「意志」を踏みにじられたことへの怒りや混乱として、つまり「心理的激痛」となって復活してきたのではないかと想像する。
 グループホームで「先生」と呼ばれてもドクターはいない。Sさんのふくらはぎをさすりながら、「ここですか?どんな痛みですか?」と問いかけながら、様子を伺うしかない。そのとき「違います。違います。痛いです。」を連呼し、キョロキョロと他の誰かを目で追うときは「こりゃ、私ではだめかも」と、他のスタッフとチェンジしなければならない場合もある。1時間以上さすっていても「まだ、痛いです。」と許してはくれない。特にも、こちらが忙しいときなどは、見透かすかのように、掴んだ手に力が込められる。
 「良くなりました」という言葉はこの3年間一度も聞いたことがない。良くなればなにもかも終わってしまうのかもしれない。(痛みの終焉は生の終焉か?)眠りに就いたり、気持ちが穏やかになり、しがみついていた手の力がゆるむのを感じとって、スタッフはやっとその場を離れることができた。
 3年の間にSさんの「痛い」の様相は大きく変化した。当初は脅迫的で縋りつくような「痛み」の訴えで、スタッフも翻弄され、慌てて通院もしたのだが、やがて「痛い」という言葉で「私のところに来て下さい。」という呼びかけや、様々な日常の要求にその言葉が使われていることが解ってきた。それは「ここに居たい」「あなたに会いたい」という肯定的な「いたい」として語られるようになっていった。具体的に痛みの部位があり、その痛みが説明されると、聴く側はその訴えられた症状の対処を考えてしまい、Sさんの真意を推し量るイメージは、極端に不活性化させられたであろう。今も「痛いです」と語るSさんだが、下剤以外の薬は処方されていない。Sさんの「痛い」は、他者とのつながりを切らないための訴えだと思えてならない。事例のタイトル「異 化の春」のとおり、自己を外界の状況に適合するように変化させる過程(ユング)を超えて迎えた春へのプロセスは、生命の神秘や躍動を感じさせる。

〔私の場合〕
*身体的な痛みには、とても敏感。
  私は痛みに敏感で、予防注射でもアルコール綿で拭かれただけで「痛い」と声を上げ、「まだ刺していませんよ」と笑われるのが常だ。歯医者では、機械音を聞いただけで脂汗が滲み、「痛いときは手を挙げて教えて下さい」の言葉に、全神経を集中させて手を挙げようと備える。12年前に心臓のカテーテル手術をした時、麻酔が効きにくい体質であることがわかった。手術中の「麻酔薬追加!」との声にホッとした。歯の治療も、心臓の手術も「麻酔をします」と言われると安心する。「無痛化の処置をする麻酔」は痛みに極端に弱い私には救いである。もし治療に「痛み」が伴うと解れば、先延ばしして手遅れになり「生命」を失ってしまうタイプだ。幸い手術は成功し、心臓はさらに強化されたようで、その後、銀河の里の立ち上げに奮闘することができた。

*精神的な痛みには、鈍感かも?
 私は9人兄妹の真ん中、どうやっても「繊細」になりようがない。親は家業の魚屋でなんとか生計を立て、子ども達を食べさせるのに精一杯。兄妹達はそれぞれ勝手に逞しく生きていくしかなかった。だから少々のことではへこたれないし、転んでも何かを握って起き上がり、マイナス要因があればあるほど、絶好のチャンスと逆にバネにしてのし上がっていく。そんな私だが、30代半ばに人生の節目となる大きな選択をした。その選択は、大切な人の人生を狂わせてしまうが、私は自らの「意志」を貫いた。もちろん「後悔」はない。しかし持ち前の精神のタフさは、他人が受ける「痛み」に対して鈍感であった。「意志」を貫いた直後から、髪の毛が周期的あるいは突発的に抜け落ちるようになった。洗髪の度に抜ける大量の頭髪に恐怖を感じた。皮膚科の医師に「無意識に溜まったストレスが身体に出たのでしょう。焦らないでじっくり待ちましょう」といわれ、「案外、デリケートなのかも?」と‘普通の人間’を認定されたような気がした。
 それから20数年を経た今はこう考えている。あの脱毛は、相手が受けた‘抜け落ちるような欠落感’や‘はぎ取られるような痛み’そして不安や恨みさえも混ざった恐怖とシンクロしていたのではないかと・・・。自分が引きおこしたことで、自分がその傷を負うことは当然覚悟していたが、相手の痛みを、自分の身に帯びるという感覚はその時は持ち合わせていなかった。時を経て、相手の心の傷が癒えるにしたがって、私の髪も再生したのかもしれない。

 人は、痛みが何の疾患から来るものかを検査してもらい、診断を受け、治療方法を問う。因果関係がわかると、ずいぶん楽になる。しかしその痛みが「なぜやってきたのか?」病厄の意味を受け止めるには、また別の次元での理解や受容が必要になる。
 事例の「痛み」に触発され、2003年に発行された森岡正博著『無痛文明論』を再度読み直した。現代社会は、今、無痛文明という病理に飲み込まれようとしている という衝撃的な書き出し。人間の「欲望」について掘り下げて考えなければ、快適で長い人生を手に入れることと引き替えに、人生から「生命のよろこび」が奪われ、死にながら生きる化石のような人生に陥ると警告する。
 氏によると、現代社会は快楽と快適さと刺激でみたされ、人生がコントロールできるようにシステム化され、人間は自己家畜化文明からさらにその先の無痛文明の道を歩んでいるという。人間は人工環境や食料の自動供給、自然の驚異から遠ざかるなどの要因で次第に自己家畜化してしまった、その結果、苦痛が少なく快の多い状態を得て、予想した通りに進む安定した人生を手に入れ、多くのしたいことをし、したくない事をしなくてすむ人生を 得た。しかしそれは安楽な世界であると同時に、何か恐るべき圧迫感に迫られ「濃い砂糖水の中で溺れ死ぬような漠然とした不安を感じる世界」だという。さらにその先の無痛文明は、快適、楽、安定のために人生を犠牲にし、自分を変える喜びを失い、直視すべきことを目隠し、苦しみ、痛みを予防的に消してしまう。そこでは無痛化と安定を引き替えに生命の喜びは消え、死んだまま嘘の人生を生きるしかない。一気に見通し、安定と確実を得てしまうと生命のエロスは死んでしまうと指摘し、その克服のために「生命を自分自身に問いただす事だ」として生命学を提唱する。自分を絶えず崩しながら変容させ、生きる意味を追い求め、新たな自己を発見し続けることだと訴える。
 現代は「自分とは何か」との問いかけを迫られる時代だが、人はその問いから逃れるために自閉する傾向があるという。自閉すると、外の声、他者の声が聞こえなくなり、完結した自分だけの世界になり、甘美で心地よい世界に浸れる。この世界は他者と交流できず、その世界を守るために、自分だけの救いや癒しを求めて、他を傷つけ殺してしまうようになる。氏は結論として、今はコミュニケートという闘いが必要で、救いや癒しはむしろいらないと言い切る。
 無痛化の渦を作り、生命の歓喜を奪うのは何か。制度やシステムか、科学や教育、はたまた現代という時代なのか。しかし外に敵はなく、本体は人間の内に棲む「身体的欲望」であるなら、どうそれと闘うのか。はたして身体的欲望は悪なのか?それとの闘いに勝利した「生命のよろこび」とはいかなるものか・・・次々と疑問が沸いてきてグルグルしてくる。(この著書に対して、批判の論文がいくつも出るなど、反響も大きく、注目された。それらの批判に対して、森岡氏は「大いに議論して欲しい」と丁寧なコメントを書く。自分自身をさらけ出し、自分を通してものを考え語ろうとする氏の姿勢には、まさに自ら苦しみを引き受ける誠実さと真摯な姿勢を感じる)

〔私の違和感・・・さらなる追求へ〕
 昨年亡くなられた梅棹忠夫氏が昭和40年代に今西錦司らとともに書こうとしていた幻の著作があったという。それは全27巻に及ぶ世界の歴史シリーズの最終巻『人類の未来』だ。梅棹は人類の未来に対し、どう思索を巡らしても、暗澹たる壁につきあたる。その要因は科学で、科学は人間の「業」であり、欲望と知能が結びくと果てしなく発展しつづけ、それを止める術はなく、ついに環境破壊や、資源の枯渇に至り、人類は滅びる運命に晒(さら)され、未来は極めて悲観的だという。その問題が打開できなかったからか、その他の理由なのか『人類の未来』は完成しなかった。ところが死後、草稿が発見され、中身は詳しくは書かれていないが「光明について」という段落があった。生前の梅棹の講演や著作からその光明の内容を類推する番組や著作が企画されたりした。
 梅棹氏の「暗澹たる未来」と森岡氏の言う「無痛文明」はほとんど同じ視点で見た人類の姿だと思う。その要因を梅棹氏は「科学は人間の業」として捉え、同じ状況を森岡氏は「無痛化」として提示した。問題は、両者とも未来の光明をもたらす糸口を提示していない。確かに原発問題しかり、ばく進する人間の欲望をどう制御するのかは難しい問題だ。梅棹氏でさえその光明を探れず『人類の未来』は刊行されなかったのかもしれない。はたして光 明は本当に無くて人類は終わりなのだろうか。あのホーキング博士も講演で、宇宙の知的生物との遭遇を質問されたとき、「あり得ない」と言い切り、その理由を「知的生命は自らの文明で滅びるからだ」と当然のように語ったという。科学の知見では、人類は自ら滅びるしかないようだ。
  しかしここで、福祉の現場からそうした結論に「待った」と言いたい。人間は傷つく存在であり、釈尊も指摘したように四苦八苦が人生の諸相である。我々の現場には病や老いや障がいによって弱さを抱えた人たちが集まる。個々が運命として引き受けた、障がいや老いや病、さらに誰しも平等に確実に至る「死」という運命も含めて、無痛化に病んでいる人間や社会を転換する糸口が、それらの中にこそあるのではないか。そうなると道は意外と身近なところにあることになる。ただ因果論や心身二元論の「科学の思考」で、科学の克服を考えてはダメで、重要なのは傷や痛みを対象化してはならないと言うことだ。従来の科学の論理でそれらを取り除こうと、対象化し操作的に扱おうとしたとたんに、再び無痛化の永遠のループに呑み込まれてしまう。たとえ薬や手術によって身体的に無痛化しても、心の痛みはそうは行かない。さらに痛みには、身体的・心理的だけでなく社会的・霊的(魂)な痛みがあり、それらは重層的に関連して感受されるものだと思う。「痛み」の「治癒」は本質的には他者との繋がりを必要とする。そこには欲望の肥大とは逆の力動が生じる。これこそ光明を開く可能性そのものではないか。
  今回の事例検討でも明らかなように、「痛み」や「傷」は人と人の出会いを通じて、その両者の言わば「間」、あるいは両者が存在する「場」で生きられる可能性がある。「傷」や「痛み」はそれを背負った当人の中にだけにあるという一元的な前提から解放されると、人は他者の「痛み」を自分のものとして受けることができるし、「間(あいだ)」や「場」を通じて「あなたと私」の両者で生きることができる。人間には想像力と、なにかと繋がる能力がある。そうした能力を発動させて、男性原理の一元的なものの見方ではなく、女性原理的な、両者の間(あいだ)を生きるありようが創造され、そこに未来の光明が現れるものと信じたい。福祉現場にこそ無痛文明打開の糸口があるにも関わらず、そうした認識がされず、貴重な窓口がことごとく抹殺され見捨てられているのは極めて残念なことだ。
 これからは「身体」を「精神」との対立概念で捉えるより、市川浩が『身の構造』で言うように、身体を超えた錯綜体としての「身」を想定することは重要な視点であり、それを日本人は理解できる感覚を持っていると思う。また、西村ユミ氏は、『語りかける身体』や『交流する身体』などの著作で、臨床現場の経験と現象学の知を基盤に、看護者と患者である前に「身体的な存在を持つもの同士」が、触れ合う行為によって、ひとつの「病」を生きる経験ができると述べている。これらはまさに「銀河の里」の実践と重なっていて興味深い。今回の事例も、介護する側とされる側を越えた関係性において、その両者の「痛み」がシンクロし、それぞれが変容していくプロセスの物語が生まれてきた。今後も「銀河の里」では、人類の未来を開く光明としての「痛み」と向き合い、現場からケアを捉えなおす挑戦を続けていきたいと思う。
 
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