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神戸研修【2012.04】
特別養護老人ホーム 三浦 元司

 3月10日に神戸で開催された≪第11回気づきを築くユニットケア全国実施者セミナー≫に参加し、その中のターミナルケアの部門で発表をした。
 現場経験2年の若輩の私が、全国の場で発表するのは怖かったが、里のみんなに支えられ頑張ることに決めた。
新人の私を鍛えて育ててくれた、入居者Tさんとの10ヶ月間のかけがえのない出会いと別れを考えて、できる限りそれを伝えてみたいと思った。20分の制限時間があり、原稿にまとめるのがまず一苦労だった。10ヶ月の出来事を日誌から拾うだけでも膨大な量になり、とても20分にまとめられそうではなかった。理事長や施設長に何度も何度も直してもらってやっと原稿が整った。
 発表の2ヶ月前がTさんの一周忌だった。生前一緒に行ったことのある、今はTさんが眠っているお墓や、自宅の仏壇を拝ませてもらって、Tさんに力をもらった。家族さんにも発表のことを話し、応援してもらって「やってやるぞ!」と腹が決まり意気込みが盛り上がってきた。 それでも、神戸に向かう数日前にはプレッシャーで眠れなくなった。「発表することによってTさんが傷つくのでは…。銀河の里では、普段からケース会議や事例検討会をしてて一緒に悩んだり傷ついたりしてくれるスタッフがたくさんいるから守られているけど、全国の会合で同じ思いで聴いてくれる人間がいるんだろうか…。ただのドキュメンタリーと思われてしまったら私自身も傷つくかもしれない…。良い話だったねと言われて終わったらどーしようか…。だったら発表しないほうがいいかも…。」などと不安がよぎった。前日も、一睡も出来ずに発表当日の朝を迎えた。
 会場の神戸学院大学・有瀬キャンパスはとても広く校舎もきれいだった。こんな会場や大会で発表なんてした事のない自分は、会場に着いたとたん体が震えてきて、緊張はピークに達した。同行していた戸來さんが気遣って緊張をほぐそうとしてくれるが、引きつった苦笑いしかできなかった。
12時から大会がはじまった。私の発表は14時20分からだったので、それまで他の発表を聴いて回った。緊張しながらも「他の施設の発表はどんなんだろう。どんな物語が聴けるのだろうか。」と楽しみでわくわくしていた。ところが、その発表を聴いて唖然とした。全く内容がない。はっきり言って、もの足りなくてくだらない感じなのだ。「え?何の話?は???」と頭の中が混乱した。これ全国レベルの発表でしょ?しかもターミナルという人間の死に関する重要なテーマじゃないか。ついに腹が立ってきた。

■「Drが施設にいるから、いつでも万全の形で送り出せるんです。」
■「お尻の傷は綺麗に治して送り出す。これが出来たから悔いはない。」
■「亡くなったら、利用者やスタッフ一同で玄関から送り出す。そしてみんなで手を合わせましょう。これをやれば、家族さんも泣いて感謝してくれて、今は東京で講演会もしています。」
■「新人研修で数日かけて医療行為について指導しているんです。そこから死についても学べます。」
■「全利用者に、月1回の外出のケアプランを作成しております。その人のQOLの上昇にも繋がりますし、利用者さんの要望を叶えたくて。これが、その時の写真です。良い笑顔でしょ。」
■「介護拒否でこの方に私は苦労しましたが、先輩の指導通りやったらば拒否せず受け入れてくれたんです。」
■「その方への思いやりの一言が大切です。痛くてもがんばっている方にガンバレでなく、痛いですよね。よーく分かります。と、声を掛けることが重要です。」


 「ふざけるなよ!!全国大会での発表内容がこれかい!施設の体制とか医療のこと?人が亡くなるってそんな簡単なことなのか?!バカにしている!!」と暴力さえ感じて、悲しくなるやら、腹が立つやらでたまらなくなった。
 怒りの中で、いつのまにか緊張や不安はすっ飛んでいた。もう1度自分の原稿を読み返すと、「今から俺はまったく違うジャンルの発表をするんだ。できたら今日ここにいる人たちみんなに聴いてもらいたいな…」と感じはじめていた。理事長が「全国で食らわしてこい、度肝を抜いてやれ」と言っていたのが解るような気がした。
 いよいよ私の発表の時間がきた。戸來さんがパソコン担当で横にいてくれて心強かった。声は少し震えたが、聞いてくれているみんなの心に伝わって欲しいと祈るようだった。発表中…会場はやけに静まりかえり、妙に怖かった。制限時間20分を少しオーバーした。司会の人が20分経過のベルが鳴らすことになっているのだが、そのベルはならなかった。私の発表が終わって、考察として戸來さんが会場に言葉を投げかけてくれた。しかし、そのあともまだ 会場は静まりかえっていた…。なんだ。この静けさはと気になった。どう伝わったのだろう。質疑応答の時間がないから会場の反応がわからないまま、発表は終わった。発表の後、何人かの方が私に声を掛けてくれた。聴いてくれた人もいたんだなと、少しほっとした。
 Tさんは私にとってかけがえのない人になった。新人の私に厳しくも深い関心を示してくれた。亡くなる4日前に病院から帰ってきてくれたのは、私やみんなにお別れの儀式をするためだったとしか思えない。私を育てることがTさんがあの世に逝くために必要だったのではないかと理事長は言う。Tさんに請われてお墓参りに行ったことを一昨年の10月号のこの通信に書いた。嵐の中のお墓参りは、私にとって忘れられない大切な思い出だ。亡くなる前日、もうなにも食べられなくなっていたTさんに、なにか食べて欲しいとTさんがいつも言っていた市内で有名なラーメンを店主に頼んで作ってもらった。それをTさんは数口だったが自分で食べてくれた。それはこの世でTさんが自分で食べた最後の食事になった。Tさんがそうして私に示してくれたことはなんだったか。深すぎて今の私にはほとんど理解できてはいないのだが、感じることはできる。その 思いは生涯にわたって私を支え続ける何かがあると里のみんなも言うし私もそう感じる。Tさんとのことだけでも死が終わりではないと確信できる。死者との絆があることも実感できる。それが私のターミナルを考える始まりになっている。神戸で伝えたかったことや、他の発表で聴きたかったことはそんな物語だったと思う。しかし、発表されていた内容は、ほとんどが制度や、体制や、マニュアルに過ぎず感動からはほど遠かった。たましいが震えたTさんとの出会いとお別れの体験とは全く異次元の話しばかりだった。「残念だが、日本の福祉の現状だ。医療の下請けだからね」と帰ってきて憤る私に理事長は言った。「医学にとって死は終わりかも知れないけど、人間にとって死が終わりであったことは歴史上ほとんどない」とも言う。「医療の発展で、近代になって人の死が終わりになってしまった。福祉は人間の死を取り戻す使命を持っているんじゃないか。それをやるのが我々の究極の仕事だろう。Tさんはそれを教えてくれているじゃないか」
  確かにそうかもしれない。はじめて参加した全国大会の発表を通して、あらためてまた考えさせられた。いったい何がターミナルケアなのか自分でも深めて行きたい。
 
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