トップページ > あまのがわ通信 > 2012年3月号 芸術研修に参加して

芸術研修に参加して【2012.03】
デイサービス 千枝 悠久

 2月18日、19日の2日間の研修に参加した。内容は、能「俊寛」を観て、2日目にチェーホフの「三人姉妹」の演劇を観るというものであった。私としては今回のメインである能よりも、演劇の方が楽しみだった。最近は遠ざかってしまったが、子どもの頃演劇を観る度に感じていたあの感覚、なんと表現していいか当時はわからなかったが最近ある本で読んだぴったりの表現“現実に放り出される”という感覚。それを味わえるのを楽しみにしていた。
 ところが演劇は、言葉が溢れていた。その言葉を頭で解釈しようとするので、いろいろ考えているうちに台詞を聞き逃したり、場面が変わってしまっていた。言葉が多いとどうしても考えることが多くなる。考えることは、それはそれで楽しいのだが、その分、目の前の演劇から離れて、置いて行かれてしまった。 そんなこともあって“現実に放り出される”感覚は、あまり味わうことができなかった。私自身の心が以前と比べて真っ直ぐではなくなり、演劇を真っ直ぐに受け止められなかったのだろうか。1日目に観た能の影響もあると思う。
 1日目の観能は、平家物語を題材にした仕舞と能の2部構成。謡と演舞のみの仕舞は、始まってしばらくは、謡の意味を追いかけようとしていた。ところが、どんなに聞こうとしてもどうしても意味が分からないところが出てくる。だんだんと意味は二の次で観るようになっていった。そうなるとかえってイメージが頭の中に入ってきた。細かい意味は分からないままでも、川の水音や馬の足音、嘶きが聞こえてくる。時おり、意味が分かってスジが読めるとそういったイメージは消えてしまう。そんな体験を繰り返しながら、仕舞いを観ているうちに、気がつくと気持ちが高揚していた。能は心静かに観るものだと思っていたのだが、内側からわき起こってくるイメージと独特な謡のリズムとで、体が動き出しそうになってしまうのに驚いた。
 仕舞いで気持ちが高揚したところで能「俊寛」が始まった。事前に、能に関する基本的な知識は入れていた。「俊寛」についても物語の背景やあらすじは読んできていた。仕舞で起こった高揚と、初めて見る能に期待で満ちあふれて俊寛が始まった。ところが、せっかくの高揚と期待は打ち砕かれた。いろいろなことを考えたり、思い出したりしながら観てしまい、慌ただしい私の頭についてきてはくれない能のゆっくりとした展開に、苛立 ち、仕舞いに比べると、囃子も邪魔なものに思えてしまった。
 このままでは、せっかく観に来たのに無駄になってし まうと焦ったが、能が始まる前の解説されていた「知識を捨てて観る」という言葉を思い出し、能を観た友人が、能の独特の台詞回しに吹き出しそうになったと話していたことなども思い出した。そこで見方を変えようと思 い切って舞台から視線を外してみた。そうして、意味に囚われることをやめると、だんだん心が静かになり、謡や囃子が自然に感じられるようになった。頭で考えることが癖になっている私には、意味に囚われないで観るように切り替えるのに時間が掛かったが、能のゆったりとした展開に場面はほとんど変わらないまま待っていてくれた。
 考えるのではなく、感覚優先になれてきたので舞台に再び視線を向けられるようになった頃、能面をつけた俊寛が登場した。無表情な能面ながら、寂しさのようなものが感じられた。舞台を観ているような観ていないような感覚で観ていると、時々謡も囃子もない静寂の場面が強く感じられた。そこで、囃子は静寂の為の囃子ではないかと気がついた。音もなく、心も静かな中で、物語は進んでいく。静かな心は、少しずつ物語の中へと入っていく。最後の場面、島に一人取り残された俊寛が、舞台を去る時には、みていることができずに舞台から視線を外してしまっていた。私の席は舞台の脇、橋掛の側であったため、すぐ側を俊寛が通る。静まりかえった空間の中を、俊寛の踏む床板の軋む音だけが響き、その音が深く印象に残った。
 能を観るということは、対象化して考える態度とは対照的な、その中に入っていくということだった。深く潜っていくと言った方が、より近いかもしれない。流れに身を任せることも、自由に泳ぎ回ることも苦手な私は、何度か溺れそうになりながらも、なんとか潜っていったという感じだった。終わった後、能楽堂を出てからは、やっとのことで水面から顔を出したかのようで、足元が覚束ない感じだった。この感覚は、まさに翌日の演劇に期待していた“現実に放り出される“感覚そのものではなかったか。
 演劇だと置いて行かれ、能だと溺れかける自分がいることを研修を通じて発見した。演劇も能も物語であり、その物語は、もっと大きな誰かの物語の一部を切り取ったものだと思う。誰かの物語に触れるとき、このような自分がいるということを、忘れないようにしようと思った。
 
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