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ぬかるむ田のなかで【2011.12】

ワークステージ 佐々木 哲哉
 

 今年の稲刈りは散々だった。お盆後の長雨や台風の豪雨で、一旦乾いたはずの田んぼは水がたまり、コンバインは至る所でぬかるみにはまって動けず、重機で何度も引っ張りあげながらの作業になった。かなりの面積が手刈りになった。ワークのメンバーさまさまで、人海戦術でなんとかこなせた。


 どこか思い上がっていた。稲の生育だけを考えたら中干しをしないほうが分けつして収量があがると実感していたので、理事長や田んぼの貸主さんの声に耳を傾けず、基本的な作業である溝切りをほとんどしなかったことが災いした。稲刈りの様子を見にきたデイサービスの利用者の政雄さん(仮名)が、「欲張ってはダメなんだ」とひと言。我執を見透かされたような気がした。


 稲刈り前に、自分が里に何かをもたらすどころかむしろ壊していると理事長から指摘された。これでは誰とも出会えないし、つながれない。言われるまで気がつかないのが危機的で、大きなショックを受けてうろたえた。自分が傷つくことには敏感なのに、他人を傷つけることには恐ろしく鈍感だったり、軽率で心ない言動をしている。


 気がつかないまま、利用者や職員に指示し、人を“道具”のように扱い“作業”をこなしている。その上、自分自身が農作業や収穫に、達成感や満足感があればまだしも、むしろ疲れきっている。自分自身も“道具”化しているのでは、と前川さんに言われてその通りだと思った。 いつも作業に追われてゆとりがないから、新人スタッフが主体的につくるもち米の田んぼも自分が動いて「指示待ち」にさせてしまったり、利用者やスタッフが関わるなかで何かが生まれる、手刈りや脱穀の行事もただの「イベント」になってしまうか、作業をこなすだけの場になってしまう。作業の効率を求めて(そのわりには全然効率よくない…)メンバーを分散し、ときにはその場をまかせっきりにしてきた。利用者と一緒に生きる姿勢からはほど遠い…。


 今年は音楽祭の実行委員長でもあったが、自分が動けば周りを巻きこめず我執になってしまい、お願いをすればまる投げになり、主体や責任がなくなってしまう。書面でも申し送りでもない伝えかた、他者と向き合い繋がる姿勢が、根本的に欠けている。自信がなく、実行委員長としてのモチベーションは一向にあがらないままだったが、それぞれ取り組んでくれたスタッフや利用者のちから、そして音楽のちからに助けられて何とか乗り切ることはできた。


 全く社会経験がなく、新卒で入ってきた若いスタッフたちが利用者と向き合うなかで育ち、活き活き関係や物語を語る一方で、自分は3年もかかってようやくスタートラインにつこうとしている感じだ。


 もともと自分の関心は農業で、やってきたのも農業だったので、里に来ても同じ感覚でやっていた。前職でも「人間の都合より、自然の都合に合わせて動く」ことに命賭けで取り組むことを求められていたし、それが農で糧を得ることだと思っていた。自分の役割はそこだとしても、それだけでいいと勘違いしていたかも知れない。
 自分の部屋にこもりがちだった10代と、現実逃避のような旅や暮らしを転々とした20代。表面的にはつながったようでも深い部分ではつながってこれなかった気がする。そしてつながれなくても生きられてしまう。朝日新聞の特集記事“孤族の国”が他人事には思えなかった。そうした課題が自分にはあるのだと思う。


 物理的な距離の近さを超えて、離れていても切れない関係…それは震災での支援にも求められていることだと思う。


 ぬかるみにはまったままの自分が少し見えてきたような気がする。これからどう変わるのか、どうにも変えられない性分のようなものと向き合っていけるのか、正念場だと感じる。とってつけたような関係や、文章の引用、きれいごとや小手先の技術や道具などで表面的飾ったありようから深化して行きたい。
 自信はまるでないが、心の底から溢れ、湧きあがってくるものに依って語れるようにいつかなりたいと思う。  
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