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暗闇のリンゴ【2011.12】

特別養護老人ホーム 中屋 なつき
 

 ミホさん(仮名)は市内の自宅でひとり暮らし。息子さん娘さんは遠くにいらっしゃり、普段はヘルパーさんの援助も受けながらデイサービスに通っている。今年7月に、初めて銀河の里ショートステイを利用され、それ以来、月に2〜3回お泊まりに来られるようになった。味のあるキャラクターで、たちまち人気者になった。
 当初は「自宅ではほぼ寝たきりで過ごしている」との申し送りがあり、ケアマネやヘルパーさんの入らない夜間の様子は誰も知らない…とのことで、ショート中に観察して欲しいと要請があった。昼も夜も、お部屋の中を這って移動し、ほとんどをベッド上で過ごすという生活だった。それがだんだんと立ってつたい歩きをするようになり、今ではすっかりヒョイヒョイと歩いているのでみんな驚いている。
 里では“要介護度”も“妖怪度”も高ければ高い方があこがれと尊敬のまなざしを集める傾向にあるのだが、ミホさんの歩き方や登場の仕方は、見事な妖怪っぷりがある。部屋の戸がガラッと開いてもじゃもじゃパーマの頭がニョキッと現れる…。這っているときは床近くにあったお顔が、あるとき突然、取っ手より上に出てきたので「わー、危ない!」みんなで駆け寄って、転ばないように支える。こちらの慌てっぷりとはウラハラに「あやぁ、みなさんお揃いで〜、ほほほ〜♪」
 失礼ながら少々下ぶくれの愛嬌のある可愛らしいお顔立ちと、「…でがんすねぇ」という独特の語尾と柔らか〜いしゃべり口も、その人気の理由のひとつ。そしてなんと言ってもミホさんの語りの世界が面白い!
 スタッフの田村さんは、なぜだかミホさんの中では「三浦くんの奥さん」ということになっている。「私、何歳ぐらいに見える?」と尋ねると、「40代の妊婦さん」と言われて落ち込み、以来しつこく聞き続け、最近やっと「20代」と言われるようになったとか。三浦くんは初めは「学生さん」だった。「がんばってお勉強なさってくださいね」から、だんだんと「カメラマン」として働く社会人になり、今では「お医者のタマゴ」に昇格!?「俺、できがいいからなぁ♪」と調子にのると「そうでがんすよねぇ!しっかりお勉強して世の中のお役に立ってくださいませね!おほほ〜」と、面白がってさらにおだてるミホさん。
 私は「先生」。最初はピアノの先生で、「この間の発表会、たいしたもんでがんしたねぇ!子供たちの才能もあるんでしょうけれども、やはり先生の指導がよろしいんでしょうねぇ!」とくる。戸惑いつつも「え・えぇ…、今度の発表会にもぜひいらしてください…」と言ってみると、「まぁ!ぜひ!」と喜んでくれるのだが、次の日には「いつ連れて行ってくださいますか?今日でしたか?」とイメージの展開がはやいのもミホさんの特徴。そしていつの頃からか「保育園の先生」に変わり、「安代町での初任の頃は、先生も初々しくていらして、ねぇ!それが今ではこんなにベテランになられて、ねぇ先生!頼もしいですよ〜、先生のお声が聞こえると、いつもこちらも元気が出ますんでがんすよ」私の声が大きいのは確かなんだけれど、「安代町時代が懐かしいですねぇ、先生」と具体的なイメージの展開がされると、ついていくのもなかなか大変だ。広周さんは「林業の人」で、お風呂でシャンプーしてくれた加藤さんは「髪屋さん」になり、スタッフのひとりひとりが役をもらって、ミホさんの物語の中の役にハマるのが楽しい感じになっている。
 利用者の康子さん(仮名)は、ミホさんとご近所で、顔見知りだったということが判明。康子さんは特養の建物内では落ち着かず、毎日外に出て車いすで散歩するのだが、ミホさんのお泊まり中は、その散歩コースにミホさんのお部屋訪問が加わる。そうして互いにお菓子など出し合ってお茶をしながら昔語りしている。
 康子さんはいつも事務所に来ては「帰してください」と訴え、土日になると息子さんの迎えを心待ちにしている。その想いは強く、聞いてくれる人がいれば語りはとつとつと止まることがない。ミホさんにも、想いの丈を聴いてもらっているようだ。康子さんの訪室を快く迎え笑顔で見送った後、ミホさんは柔らかい調子で言った言葉が印象的だった。
 「寂しい人なんでがんすねぇ、息子が来ない来ないって、よっぽど悔しいんでがんすよ。できる息子を持つとやっぱりそうなるんでがんすべか?私なんて息子も娘もいますがね、先生。遠くで暮らしてたって、はぁ、元気でやってればよし、ってそう思うくらいのもんで、はぁ」 寂しさや悲しさは微塵もなく、潔さと共に子供さんたちへの愛情も感じる。康子さんの執念の愛情といった感じの母親像とはひと味違った母親像。それでいて康子さんの悲しみもよく捉えたセリフ。
 そんなミホさんも、時にはとってもごしゃぐ。送迎でお迎えに行くと、どうしても「行きたくない」「行かない」とじょっぱる。必死に説得、「足が痛いならお医者さんに看てもらいましょう!」と、やっとのことで家から脱出!里に着いた後も「いつになったらお医者さんに看ていただけるんですか?」と一日中言っていることもある。だから看護師さんにじっくり話を聞いてもらうことも結構ある。ある日は、「さっき看護婦さんが言ってました、足がむくんでいるから高くして休みなさいって。ねぇ、先生、どう思いますか?ついでに顔もむくんでるって言うんでがんすよ」最後の方は、もうしゃべっているそばから自分でも笑っているミホさん。笑いながら冗談をかえす、「そうですねぇ、いつもこのようなお顔でいらっしゃいますけれど、ねぇ?」二人で大笑いする。こうなると、じょっぱったミホさんはもういない。粋なやりとりもミホさんの魅力だ。


 遅番のある日、21時の巡回で、少しだけ扉を開けてそっと部屋をのぞいてみると…、薄明かりの中、ベッドサイドに腰掛けているミホさん…。ゴソゴソと何かやっている? よくよく見ると、ものすごい形相、両手でリンゴを強く握りしめ割ろうとしている?! その異様な光景に「…ん?」と思わず声が出てしまった。それに気付いてサッとすばやく股の間にリンゴを隠したミホさん、「あぃや、先生!見回りの時間ですか?ご苦労様です〜」と何事もなかったかのように笑顔をこちらに向ける。こちらもなんだか動揺して、とっさに「はい、あぁ、そうなんです〜、で・電気でもつけましょうか?」と言ってしまった。そうしたらミホさん、なんと「いやぁ、つけない方が何かと都合がいいです〜」と! そ・そうだよね〜と二人で「おほほほ〜、じゃ、おやすみなさ〜い…」扉を閉めて退散…。昼間、康子さんにもらったリンゴなんだろうな…。ナイフとか持っていって剥いてあげた方がいいかしら?いやいや、そんな野暮な…。いろいろ考えているうちに、あんなに焦ってたミホさんの姿と、とっさの「つけない方がなにかと都合がいい」のセリフにおかしくて笑ってしまった。
 翌日、昨晩の暗闇での会話はなかったことで、部屋を訪室するが、引き出しからカピカピに干からびたリンゴの皮が出てきて…(ついに手でリンゴを割ったんだろうか…?)「あれあれ、これは何でしょう?」「はぁ…、何でしょうねぇ…」敢えて真相には触れず、しかしどこかで“これは内緒にしておこうね”という空気が暗黙のうちに流れる、ぶふふ…と笑いがこみ上げてきて、またもやミホさんの魅力をアップさせるのだった。  
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