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70年抱えた傷【2011.12】

特別養護老人ホーム 三浦 元司
 

 銀河の里で働き始めて2年目。先月ユニット「ほくと」から部署移動となり「オリオン」へ移った。各ユニットにはそれぞれ特徴があり、「オリオン」はのんびりと利用者1人1人の時間を大切にしている感じがある。特に個性的な利用者さんたちが揃っていて、利用者さん同士や、スタッフとの間でいつもバトルが展開されている。バトルを横から見ていると、お互いの思いやりや、人生の深い経験が逆に災いして、ねじれて表現されて起こる感じがする。それが分かるので、どっちが悪いだとかおかしいといった判定が出来ず、「うーん難しい」自分も考えさせられてしまうことが多い。なかなか味のあるユニットで、それが面白く感じられてワクワクさせられる。
 そんなオリオンの入居者、照美さん(仮名)は、アクのある個性に満ちたオリオンでは目立たない感じの人だ。日中、リビングには出てくるものの、バトルには関わらず、自分なりにゆっくりと過ごしている。居室に戻る時にはスタッフと手を繋いで車椅子を引っ張ってもらい楽しそうだ。ベッドに横になるときニコニコで、必ず手を引き寄せ抱きつこうとしてふざけて遊んでくれる。若い男のスタッフには「一緒に寝るべ。」と誘ってからかう。
 しゃれた楽しい感じなのだが、ユニットの空気に《男好きのおばあちゃん》として決めつけられた感じがあって嫌だった。
 夜勤の時、ナースコールで呼ばれ、トイレ介助に入った。いつもと同じく「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」と抱きついてきた。この時はいつもとは迫力があって、ものすごい力で引っ張られた。その迫力に身を任せながら私も抱きしめた。いつもとは違う照美さんに戸惑っていると、とても鋭い表情で話し始めた「なんにも出来なくなった。若いお兄ちゃんにも迷惑かけて…オラなんか死んだほういいんだ。」と言うので驚きながら、「大丈夫だ。迷惑じゃないし、死ぬなんて言わないでけで。」と返す。照美さんの力はどんどんと強くなり爪も立てて手を握ってくる。更に私の体を前後に揺さぶりながら涙ぐみ、「死にたい。」を繰り返す。それが何分か続き、私はなにも言えずただ黙っていた。しばらくしてだんだん落ち着いてきた照美さんはぽつぽつと語りはじめた。「オラ若いとき病気ばっかりで、なんもしてこなかったのさ。誰かのためにもなーんもしてこね…昔お兄ちゃんくらいの時には、カッコイイ人もいだったし、優秀で頭のいい同級生もいだった。でも、みーーーんな日本のために戦争さ行って鉛玉で体さ穴あけて死んでしまった。みんなだよ…。わかるっか?それなのに、オラは90になってもこーやって生きている。お兄ちゃんたちみたいなこれからの人たちに迷惑掛けて生きている。オラはなんにもしてあげれてないのに…だから死んだ方がいい…」 照美さんの表情は悔しさや苛立ちが混じったようなものすごい形相だった。照美さんは、その夜はほとんど眠ることができなかったが、それ以上は語らなかった。
 照美さんの「重い体験」「その時代の大変さ」はまだまだあるだろうし、この日の夜語ってくれた、70年前の事を今も感情の揺らぎをともなう記憶が凄い。それは照美さんの背負った一生のテーマなのかもしれない。こうした言葉を聴くと決してただの《男好きのおばあちゃん》ではない。その話しは、戦争で散った同世代の若い男達を悼む言葉のようでもあり、その男達と同じ年代の私へのエールでもあるように感じた。鉛玉で死んだ若い男と、自分を介護してくれる若い男は、時代を超えて照美さんの中で重なり、自らの人生の厳しさを感じているのだろうか。鉛玉で死ななくていい私は、どう生きればいいのか。「日本のために」などと考えようもない世代の私も自分と社会を見つめざるを得ないような気がした。照美さんはそれぞれのスタッフに違ったメッセージをくれているようだ。これからオリオンスタッフで照美さんの話に耳を傾け、照美さんの70年間の傷の痛みを一緒に味わえないものだろうか。それは現実的な傷のない世代の私には必要な痛みなのかもしれないと思った。  
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