| 真澄さんとの軌跡と私のこれから〜時空を超えた花巻まつり〜【2011.10】 |
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特別養護老人ホーム 田村 成美
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短大を卒業して社会人となった3月、配属された特養のユニット「すばる」で私は真澄さん(仮名)と出会った。第一印象はとっつきにくそうな人≠セった。たいていの人と話せたのだが真澄さんは違った。どこか近づけない、厚い「壁」を感じた。表情がかたく、話の返事も素っ気なかった。なによりの壁は、耳が遠く2、3度の聞き返しは当たり前で、会話に互いに体力を使い、気も使った。
それでも果敢にアプローチを試みた。まず名前を覚えてもらおう!と自己紹介した。「なるみです!」すると「…まるみちゃん?」と真澄さん。ボリュームあげて何度も言うが伝わらず…。ほほえみながら「まるみちゃん」と返してくる真澄さんに負け、「わたし体型丸いし、響きも悪くないし」とあきらめ、私は「まるみ」になった。それでみんなからも「まるちゃん」と呼ばれるようになり、わたしと名付け親の真澄さんとの軌跡が始まった。
「まるみちゃん」になって一歩近づいた感はあるものの、具体的なアプローチには困っていた。でも天気の話でもなんでも明るく話かけるようにした。そのうち、わりと話せるのは2人きりの居室だなと感じた。そして入浴タイムも二人きりの特別の時間なのでチャンスだとわかった。こうして話せる時間が少しずつ増えていった。お風呂場は声が反響して、会話しずらいのだが不思議と話が弾んだ。
段々と真澄さんと過ごす時間が楽しくなってくると、外出に気が向かない真澄さんと一緒に出掛けてみたいと思うようになった。ところが誘うとことごとく惨敗。なんとここ半年間、通院以外の外出は1度もなかった。
5月頃真澄さんは、体調が優れず食欲もない時期が続き、4ヶ月で4キロも痩せていた。病院に行くと胃潰瘍が3つも見つかった。そんなある日、わたしは耳が聞こえないのは垢がたまっているのでは?と単純な考えで耳掃除を持ちかけた。すると真澄さんは「いい〜聞こえるようになったら大変だ〜」とぽつりと言った。
「えっ、どういうこと」と混乱したが、このとき真澄さんは何か見えない重いものを抱えているように感じた。厨房のスタッフは胃の負担にならない特別食を考えてくれたり、ユニットで小分けにしたりと食事に工夫をした。わたしは明るさだけは忘れず、真澄さんに語りかけ続けた。
7月に入った頃から真澄さんの気持ちが上向きになってきた。そして食欲も戻ってきた。そしてなんとも不思議なのだが、いつの間にか耳が聞こえるようになっていて、普通のボリュームで普通に会話ができていた!考えられない…「真澄さん、耳よくなったよね…?」に「うん、聞こえるよ〜」と笑っている。今までの真澄さんの耳は「聞こえない」じゃなく「聞きたくない」という気持ちの表れだったのか?理事長によると、立ち上げからずっとユニット「すばる」には利用者とスタッフの間に溝があって、一緒に生きていると言うより、介護工場のようで重い空気があったという。この春からその雰囲気は一変し、スタッフ一人ひとりが自分の持ち味で、利用者に向かいながらも支えあえる雰囲気ができたことが、真澄さんの耳にも、気持ちにも大きく作用したのではないかと思う。
7月の終わり頃、真澄さんから「花巻まつり」という言葉と、行きたいという意思が出てきた。初めて真澄さんのうちにあるものを発してくれた言葉だったので嬉しかった。
「うちの孫がね、湯本の八山神社から権現様もって花巻のデパートの前で踊るの」と笑顔で語る真澄さん。「(孫が)神様と何かの縁があって権現様やらせてもらってね〜。いつのまにか習ってたんだかさ。一軒一軒家まわって踊って歩くのさ、私も一緒におっかけて歩いたったの」と涙を浮かべて話す真澄さん。そこに特別な思いを感じて、他のイベントはともかく、花巻祭りだけはどうしても真澄さんと一緒に行きたい!と私はその時、強く思った。
祭りの前々日、家族さんに電話をすると、お孫さんが踊っていたのはずっと昔のことで、最近は出ていないとの事だった。真澄さんは、お孫さんの権現さまを楽しみにしているのだが…
当日の午前中「出かけようね」と誘うと、半分半分な感じだった。膝の痛みの心配かなと思うが「でもねぇ…家から電話こないし」家族の誘いを待っていたのだろうか?そこで家に電話したことを伝えると「孫出るんだべ!?」と聞いてきた。私はお嫁さんと話し、権現さまには出ないことは内緒にしたまま、神輿にお孫さんも参加することを話すと「なるみちゃんに負けた〜(笑)」と真澄さんは行く気持ちになってくれた。(耳が聞こえるようになってから「まるみちゃん」はいつの間にか「なるみちゃん」に変わっていた。)そして出発の10分前には、真澄さんはよそ行きの緑のベストを着て、おしゃれ万全で出掛ける準備を完了していた。
願い続けた真澄さんとの外出、しかもお祭り、私は初めからテンションが上がりっぱなしだった。真澄さんも久々の花巻祭りで、タイムスリップしたように若返った笑顔を見せてくれて本当に楽しそうなので、益々私のテンションは上がった。そしてついに権現舞が始まった。目の前で一生懸命踊るちびっこを「あんや〜めんけ〜」とやさしいおばあちゃんの顔で見ている真澄さん。7月からお孫さんの権現舞を語り続けた割には、全くお孫さんを捜す様子はなかった。私も安心して権現舞に浸った。そしてお神輿がやってきた。祭りの熱気の中で、私は職場でこの数ヶ月を思い起こしながら、真澄さんと一緒に来れたという喜びが頂点に達し、思いが一気に爆発し、全力で「わっしょい!わっしょい!」と叫んでいた。それにつられてか真澄さんが、小さく「わっしょい…」と私につきあってくれた。真澄さんも楽しそうだった。
後日、お祭りの真澄さんと私の2ショットの写真をもらった。画面いっぱいに2人の笑顔がドン!とある写真。いつ撮ってくれたのだろう。真澄さんと私の軌跡を仲間のスタッフがそばで見守り支えてくれていることを、その写真で改めて感じた。記念すべき花巻まつりの写真は、真澄さんと私の部屋にそれぞれ架けてある。先日その写真をみながら真澄さんが「こったなの連れてってくれてありがとう」と言ってくれたので涙がでそうになった。
実は私は9月に部署異動があって、真澄さんのいる「すばる」から隣のユニットに移ることになった。そのことは祭りの前にドキドキしながら伝えたのだが、真澄さんはあっさりしたもので、「おうがんばれ」という感じだった。拍子抜けでちょっと寂しかったが、気持ちは楽になった。
新社会人として銀河の里で半年。毎日が楽しくて仕方がないのだが、ただ楽しい!だけじゃない「むずかしさ」や「ふかさ」を最近は感じるようになった。新たなユニットで、真澄さんとの想い出を糧に頑張りたい。異動しても同じ特養の屋根の下、4ユニットの距離を真澄さんとの繋がりで埋めていきたい。
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お祭りを笑顔で楽しむ二人
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【理事長コメント】
開設時から介護だけに終始するような固い雰囲気が続いていたユニット「すばる」だが、春にスタッフが大幅に入れ替わり一変した。介護技術的には未熟ながら、利用者さんのことをどこかで好きという感覚が決定的に雰囲気を変えたのだと思う。それから利用者もスタッフも自分らしさを充分に発揮できるようになり、それぞれの個性も見えてきた。真澄さんの耳が聞こえるようになったのも、そうした雰囲気の変化のなかで起こった「こころの開き」ではなかったろうか。
外出を拒み続けてきた真澄さんが、花巻祭りに行きたいと言うようになった。真澄さんは、お孫さんが権現舞を披露した、数十年前のかつての花巻祭りに行きたいのだ。人間は時に時空を超える必要がある。どちらかと言えば成美さんは、お孫さんの参加がない事実に縛られ気味だったが、真澄さんは躊躇なく時空を超え、若かりし頃の花巻祭りに参加したのではないだろうか。成美さんは気がつかないまま、自分が生まれる以前に遡る花巻祭りに、タイムスリップして同行させてもらったにちがいない。だからこそ、その感動は、深いところからわき起こって成美さんを揺さぶったのだと思う。それに真澄さんもワッショイと応えてくれた。
実は、祭りに連れて行ってもらったのは深いところでは成美さんの方だったのだ。それは部署を異動することになっていた彼女へのはなむけでもあり、これから長い人生を切り開いていく若い介護者への真澄さんからのメッセージだったように思う。我々は現場で一生支えられ続けるような深い経験をすることがある。成美さんの現場でのひたむきな新鮮さが、今回のこうした体験に繋がったように思う。
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