トップページ > あまのがわ通信 > 2011年10月号 「銀河の里」の研修に参加して


「銀河の里」の研修に参加して【2011.10】

特別養護老人ホーム 村上 ほなみ
 

 10月1日・2日、久しぶりに研修で東京に出かけた。今回の研修は、能の鑑賞が主な内容で組まれており、国立能楽堂で生まれて初めての体験として能を観た。ちょうど、9月の銀河セミナーで能が取り上げられ、能のワキの役割が介護者として言葉を受け取る現場のありようとものすごく近いとの講義を受けたばかりだった。そのセミナーで映像資料として鑑賞した、能の演目『井筒』が上演されるとあって、特養から3人の中堅スタッフが研修として出かけた。曲目は狂言を挟んで『井筒』『野守』だったが、私は、能を理解して楽むには遠く及ばず、大半うとうとしながら、能楽堂の落ち着いたたたずまいや能舞台の神秘的な雰囲気を感じつつ、日本の古典芸能の歴史や深さをおぼろげに体感したに過ぎなかった。


 セミナーで鑑賞したDVD『井筒』は、やはり実際の舞台で観ると迫力も臨場感もあるのだが、その象徴性の深さにどこかついて行けず、物語としては淡々としすぎていて大半を夢見心地で眠って過ごした。「ちょっと寝た方が入ってくるかも」との理事長の言葉に甘えて今回はよしとしてもらおう。
 『野守』は春日山に広がる春日野が舞台になっているというので、その原っぱをイメージしながら観ようとしてみたが、中世の馴染み薄い風景だったからか、なかなか野守のイメージは立ち上がってこなかった。だが、春日野の池を鏡にしてしまう能の演出には神秘を感じた。 昔の人は鏡を宝物として考えていたという話を聞いたことがあるが、それはなぜだろう。『野守』でも鬼神が持つ鏡は、人間界から地獄までを映すものだった。なんだか、そういう神秘的な物を扱う鬼神は、やっぱり人間界とはまた違ったところにいる存在なのだが、野守の鬼神には怖さはなく、守り神として、親近感さえ抱かせた。それは、銀河の里の現場で、毎日、心に響いたり、突き刺さりそうな言葉を日々、いろんな人から頂くからだろうか。利用者さんと向き合うことは、鏡で自分を映すような感覚があるからだろうか。介護現場は自分も利用者さんも含めて、人間の感情が渦巻き、人生で背負った重さにへたりそうになったり、負った傷がうずくことがある。優しいばかりではとても勤まるものではない。多くの鬼に出会うし、自分の中の鬼神を照らし出されることも多々ある。
 古今和歌集の「春日野の飛火の野守出でて見よ今いく日ありて若菜摘みてむ」という和歌にも野守が出てくる。「野守よ、今から何日で若菜を摘むことができるのかを出て見なさい」というような意味だろうが、野守に問いかけ、若菜摘みへの思いを詠まれているこの和歌に、野のことは野守に聞けばわかるという感じが、これもまた、日本人の昔から受け継がれる神秘的な考えというか・・・。

 今回は、能を観ながら、セミナーで教えられたような、銀河の里と能との繋がりを思考する余裕はなかった。台詞は何を言っているのかチンプンカンプンで、ゆっくりなテンポなのですごく眠くなる。それでも、セミナーでもらった資料の「里で起こっていることと近い」「あの世を垣間見せてくれる、残痕の思いを共感させてくれる」の文章が思い起こされた。現場では、利用者さんの何か強い思いによって、こちらの気持ちをも突き動かすような出来事が日々繰り広げられている。今はまだ幽玄な出来事として自分の中ではどうも膨らませられないでいるが、現場で自分が利用者さんをシテとして成り立たしめ、ワキとして、何もできないところにいながらも、大切な役目となる感覚。そんな出会い方ができたとき、自分の中でも何かが育ち変わっていくのだろうと期待をしている。
 
〒025-0013 岩手県花巻市幸田4−116−1
TEL:0198-32-1788 FAX:0198-32-1757
HP:http://www.ginganosato.com/
E-mail: