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何が銀河の里なのか その2【2011.10】

理事長 宮澤 健
 

 デイサービスの主任の米澤が5日連続の研修に行ってきた(岩手県認知症介護実践者研修)。初日に帰ってきて、まいっている。もう本当に吐きそうになってしまったと泣きそうな顔で「まだ4日もあるのに」と憂鬱そうだ。
 なにが辛いのかと聞くと、「問題行動」「徘徊」などと認知症の周辺症状をひとくくりにした客観的な解説にひどく傷つくという。
 米澤は認知症対応型デイサービスで40人余りの登録の利用者さんと対峙し、ひとりひとりの特性や細かな人柄を感じながら生活をしている。そこでは人間や人生との出会いそのものがある。しかし研修ではそうした現場の実感が一切割愛されて説明されるので、利用者ひとりひとりの内面や人柄、人生が踏みにじられたように感じ、何より大切にしている利用者との関係性が損なわれるような感覚になって傷つくのだ。


 認知症対応型デイサービスの現場で日々活躍している職員が傷つき、初日から涙目で帰ってくる研修とは一体なんだろう。しかも任意の研修ではなく、認知症介護現場に必須として割り当てられた研修である。本来なら、認知症の理解を深め、さらに認知症を通して人生や社会のありようを見通す知見や見識をもたらすべき役割を担ってしかるべきである。米澤の落胆と傷つきの要因を考察しつつ、里の独自性と何が里なのかを今回は考えてみたい。


 米澤が研修を終えての感想として、「聞いていて、夢も希望もなくなる話しばかり」と語ったのが印象的だったが、この言葉にはとても重要なことが含まれている。つまり、米澤は銀河の里の認知症介護現場で夢や希望に近い何かを感じていると言うことだ。それは明るく輝いたものではないとしても、感動や、多くの示唆や、新たな世界や時代への展望を感じさせる「何か」がスタッフの胸中に日々去来している。その「何か」は、現場のスタッフの個々の人生を支えるだけでなく、さらに普遍的な人生観や世界観の展望までもたらしうる「何か」であると思う。
 こうした里の現場での生き生きとした実感は、利用者との個々の関係性から生まれてくる感覚なのだが、研修では、そうした関係性が語られることはなく、客観的な知見が操作的な視点から、しかも認知症をネガティブに捉えて提示されるので、現場の実感との狭間で強い違和感になり傷ついてしまう。
 里のスタッフが、県などの公の研修に参加すると、たいがいこうした違和感や傷つきを感じることになる。それはどうしてなのか構造的な所から考えることにしよう。


 まず言えることは、こうした研修が体制側から制度の範疇で行われるということだ。つまり、高齢者問題、認知症問題が社会的に取り上げられると、それらの対策として制度が作られる。問題対策であるから解決を目指すラインが引かれて、その過程で発見や思索が行われる余地は全く与えられない。もともと制度は夢も希望もないものなのだ。体制側としては問題に対して対策を講じたのであって、制度はそれ以上でもそれ以下でもないから、ひとりの人間の人生や、こころのこと、まして、スタッフと個々の利用者の関係性やそこから生じる、たましいの課題などとは無縁で取り上げられない。
 制度は、予算が付くので社会としては必要でありがたいのだが、体制は制度を通じて管理を要求して来るだけなので、個人の人間や人生にはせまりようがない。体制側に管理される形で施設運営をしている以上、どこまで行っても人間は見えてこない。一方、里の現場では、徹底して心理的なアプローチをしていると思われる。つまり、ひとりの人間の独特なこころの動きに、個別に特別な関心をもって関わろうとする。利用者ひとりひとりの人間に迫っていく方向に、まなざしが向いている。
 制度を通じて現場で、対策、管理を行うのと、個人と出会うのでは全く違った話になってくる。里のスタッフが研修で感じる違和感や傷つきはその違いから来るものと思う。片や客観視に終始せざるを得ず、片や出会い、関わり、生きているのであるから、その違いは対照的で、考え方や感じ方も、遠い隔たりが出てくる。
 この隔たりは、公の研修だけではなく、大半の福祉施設が、体制側の制度の範疇に存在し、公設民営でトップや事務長が天下りであれば、体制側に向いた運営にならざるを得ないだろう。
 銀河の里が、個々人の夢や志で生まれ、挑戦を続けているという事実は、その始まりからして大きな違いがある。里では現場のアプローチや雰囲気、考え方などがかなりの独自性を持つので、現場のスタッフが、他の施設や研修に行くと、違和感を覚えるのはその独自性の証明でもあるように思う。


 研修の内容について米澤も、最初から斜に構えていた訳ではない。「最近は認知症介護の認識が大きく変わりつつある」という導入の話しに期待したし、医学の講義も興味深く受け取っている。ところが最も期待した、心理的アプローチの分野で、現場感覚とはかけ離れた教科書的内容のうえに、認知症のネガティブな項目が羅列され、実際に吐き気がしてきた。さらに「その人らしい個性が失われ平板化する。人格崩壊に至る」という説明にはあきれ果てた。かなりの劣悪な環境下にあるか、極めてまずい対応が継続的になされた場合など、よほどのことがなければ認知症の人がそういう状況に陥ることは考えがたい。
 認知症は「関係を必要とする病」ととらえ、関わりや環境によって、最後までその人らしさは持続することを現場で体感している者にとって、また大きく認識が変わりつつある認知症介護の内容を期待しただけに、古い偏見に満ちた見解に打ち砕かれた。
 さらに研修のワークショップでは「わかりました」という言葉を笑顔で言うのと、怒った顔で言うのとを実際にやってみて、笑顔が大切という内容だったというのだが、ホテルやデパートのサービス業ではあるまいし、実際の認知症介護現場で人が暮らし、人生をそこで作っていく関係性にあって、そんな表面的なレベルで通用するわけがない。
 「研修を終えて心を打たれることは何ひとつなかった。」と米澤は言う。現場にはこころを打たれることが山ほどあるのに、研修ではそれがないのはおかしいのではないかと言いたいところだ。
 今回の米澤の研修体験を通じて感じたことは、グループホームやデイサービスなど本格的に認知症介護の現場が整備されて10数年を過ぎた今、現場は相当疲れ荒れている状況にあるのではないかということだ。それに比して、銀河の里は11年目を迎えて、認知症の人たちの息吹や、その世界にふれて、若いスタッフもベテランスタッフも意気軒昂で、利用者との出会いに感動し、内的な成長の豊かさに恵まれた現場と感じている。それはこの通信の記事からも汲み取っていただけるものと思う。
 そうした里の独自性、特徴について具体的に次回から論じつつ、引き続き「なにが銀河の里なのか」に迫ってみたい。  (続く)
 
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