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東京研修・全体感想【2011.09】

特別養護老人ホーム 高橋 菜摘
 

 新人三人の研修は、自由時間に対する準備不足の一言に尽きた。あらゆる物事への認識の甘さが、一泊二日の間に三人の足取りを重くし、呼吸を苦しくさせた。少なくとも、私はそうだった。
 私たちはとても気まずい空気で移動し、お互いの行動にやきもきし、しかしそれを口には出せず、より一層居心地が悪くなるという状況を、二日連続で作ってしまった。
 初日は無縁社会に関するシンポジウムに参加し、2日目は国立博物館で『空海と密教美術展』を見て、午後、国立能楽堂で能と狂言の鑑賞をした。
 シンポジウムでは、正直なところ、寝ないようにしようという気持ちばかりで、内容理解は二の次になってしまった。なんとか寝ずに最後まで熱心に話を聞き、メモをとったが、あまり記憶に残っていない。覚えているのは、「昔の様な有縁社会には戻れない!!」という断言で、私はそれになんだかとても安心させられた。『昔はよかった』、という語りが私は好きではない。本当に良かったのならば、変わらなかったんじゃないかと思う。
 「個々の選択の結果が現在の社会の状態である以上、この状態でどうすればいいのかを考えなければならない」「戻るのではなく、新たに創っていくのだ」という意見に私は共感した。家族や地域や会社と縁が切れてしまっても、施設で新たな縁をつくればいいじゃないか、と、とても短絡的な考えを私は持っている。
 翌日の国立博物館での100点近い国宝・重要文化財の展示は、例の“準備不足”により、ろくに観ることが出来なかった。それでも、それはその後の能の鑑賞に大きな影響を与えたと思う。
 国立能楽堂では三つの演目があったが、私の心を揺さぶったのは、最後の演目『鵺(ぬえ)』であった。これは源頼政に退治された鵺が、舟人の姿で、後には鵺本来の姿で、退治された時のありさまを僧に語るというものだが、鵺が出てきた瞬間から「恐ろしさ」を感じた。退治されて以来さ迷っている亡霊が、退治された時の話をする横顔は悲しげで苦しげなのに、正面に向いた時、その顔はニヤリと笑っているように見えて、それは恐ろしかった。また、背を向ける場面が何度かあったのだが、その背にゾクリとしたもの感じ「執心」という言葉が頭に浮かんだ。
 中入をはさみ、現れた鵺本体は、カっと目を見開き口角を吊り上げ威嚇するような面でありながら、前半では感じなかった温かみのようなものがあった。迫力はあるのだが、前半のような背筋が凍るような恐ろしさとは違う。「仏像と似ている」、そう思った。
 国立博物館に置かれた仏像たちは、「柔和な笑み」と紹介されているものほど冷たく、まるで監視されているような、裁かれているような気になり近寄りがたかった。不動明王のような、眉をあげ眼を怒らせた顔の仏像たちのほうが、私には親しみがわいた。
 昔の姿で現れた鵺もまた、恐ろしい顔をしていながら、そこには畏怖と言うか、神々しさすら感じられた。最初は姿を偽っていた鵺が本来の姿をさらけ出したということが、鵺の「こころ」を伝えてくれたのかもしれない。そして、仏像と同じく親しみを感じた。
 鵺と頼政の姿を交互に写して舞い、救いを求めて夜の海の彼方へと消える鵺を見ながら、「研修に来てよかった」と初めて思えた。感動のあまり、ぼんやりとした頭で能楽堂を出て、買ったお土産をロッカーに忘れてしまった。頭の中でさきほどの体験を反復し咀嚼することで一杯一杯だったのだ。
 今回の研修は多くの時間を「帰りたい」という気持ちで過ごしたが、それは今まで他人任せで事をこなしていた自分を顧みることに繋がった。自分の甘えへの反省と、今までそれを許してくれていた周囲への感謝と、今後への決意が生まれた。この経験を踏まえて、次はぜひとも始めから終わりまで「来てよかった」と思える研修にしたい。もちろん、そのための準備には“労力を惜しまず、ぬかりなく・・・”
 
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