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七夕の夜に【2011.08】

特別養護老人ホーム 佐々木 広周

 月にはウサギが棲んでいると昔の人は信じていたらしいという話しは誰もが知っている。だが、ところが現代ではだれもそんなことは信じない。いつからか月はウサギが棲めないところになってしまった。
 幼い頃、宇宙に魅入られた私は、親にせがんで天体望遠鏡を買ってもらった。届いたその日の夜に、さっそく月に望遠鏡を向けレンズを覗きこんだ。初めて天体望遠鏡を覗いた瞬間、あたりは静まり返り、一人、宇宙に放り投げられた気分になり、恐ろしくなって、逃げ出したくなった。不気味に揺らぐ無数のクレーターは、幼い私の心に焼きついた。月にウサギなどいるわけがない現実を私は突きつけられたのかもしれない。それから大人になるにつれて私も忙しくなり、天体望遠鏡を担ぐことも少なくなった。
 七夕の夜。マキさん(仮名)のもたらしたエピソードは印象深かった。マキさんは、時々ショートステイ北斗を利用されている方で、180度近く腰が曲がった状態にもかかわらずよく歩き、お喋り好きで話し出すと止まらないパワフルなおばあさんである。
 この日は久々のショートステイ利用の初日ということもあり、マキさんは、「家さ帰るべし、行かねばねぇ。」と家に帰りたいモードで歩き落ち着かない様子だった。けれども、イスに座って他のおばあさんと世間話を始めると、相手に喋る暇を与えずに気が済むまで喋り続け、気がついたように再び「行かねばねぇ。」と歩き始めることの繰り返しだった。
 そこへもうひとり「あたしをここに入れたのは誰だ!」と怒りあらわに叫びながら歩いてくるユリさん(仮名)。ユリさんは緊急避難的な入所だったが、自分がなぜ施設にいるのか納得できていない。そんなユリさんを見かけて声を掛けたマキさん。さっきまで家に帰らねばと歩いていた自分のことは棚に上げて「なぁに、そったに怒ってるってぇ? ここさぁ居れば、ご飯も食べれるわ、寝床もあるわ、家よりいいべじゃあ!」とユリさんを説得している。あまりにおかしくて不思議な光景に職員も呆気にとられる。そうこうしている内に、マキさんのマシンガン説得トークにユリさんは、「…んだなぁ、みんな同じなんだな。そうすることにすっか!」とすっかり納得して、自分の居室に戻った。マキさん恐るべしだった。
 ユリさんが去って一段落。のんびりと私の弾くピアノに合わせて歌うマキさん。すっかり落ち着いて「もう眠くなった〜。つい歌ってしまうからピアノ止めて〜。」と掌を合わせて言われるので「じゃぁ、そろそろ寝ましょうか?」と立ち上がると、一緒にピアノを聴いていた花子さん(仮名)も「私も寝ます。」と挨拶して居室へ向かう。マキさんも「んだな〜。」と立ち上がるが「寝るども、仏さん拝んでからだ。」と仏壇探しの旅へ出ることになった。私はそれに付き合う。マキさんは居室へ向かう花子さんの後を追って、居室へ入った。花子さんは戸を閉めた途端開けられて「えっ?」と振り返り驚くが、それもお構いなしに「ここか〜?」と花子さんの居室で仏壇を捜す。仏壇は見当たらず「ここじゃねぇな。」と出て次は、隣の空室へ向うと、何故か花子さんも一緒について歩き始める。次々と「ここじゃねぇな〜。」と居室を巡るマキさん。「何事!?」と、何か楽しい事でもあるのかと乗ってしまうのが銀河のスタッフ。職員の好海さんと勝巳さんも旅の仲間に加わって仏壇探しの旅が始まる。すると一行の前に、廊下にペタンと座って、掌で廊下を何度も摩っている愛さん(仮名)の姿が!私は思わず、「あの人も拝んでるよ!」とマキさんに叫んだ。すると、「あぁ、ほんとだ。」とマキさんは、愛さんの隣への床に座り込んだ。すぐさま私も隣に座ると、花子さんも一緒に座った。好海さんと勝巳さんもそれに続く。みんなが床に座ったところで、マキさんが手を叩いて拝む。“え?それって神棚の拝み方じゃぁ?”と一瞬思ったが、戸惑う暇なく皆で手を叩いて拝む。躊躇した私は遅れて拝み、顔をあげると、皆で横一列に並んで座っていたはずなのに、愛さんはこちらを向いて「だんだんっ♪だんだんっ♪」とリズミカルにいつもの言葉を発しながら顔をあげて…なぜか、私に迫ってくる。拝むのを一瞬躊躇した私を咎めているのかとおどおどして困っている私をほったらかしてマキさんは「さあっ、休むか〜。」と気が済んだのか立ち上がり、一行は解散しマキさんは居室へ戻って寝てしまった。
 しばらくして、北斗のリビングに居るのは、茂樹さん(仮名)と私だけになった。茂樹さんは、普段とても寡黙な方で、一日中、車イス上で目をつむって腕組みをされていて、一見すると眠っているように見える。しかし、職員が食事の準備をしていると、「早く持ってこい!」「何ぐずぐずしてやがる!」と亭主関白に早変わり。ぬるいお茶を出した日には「ぬるい!1200℃の持ってこい!」と注文も。が、最近は「熱い!90℃でいい。」と普通になることも。そんな茂樹さんは、マキさんの仏壇探しの際も腕組みをしていつものように車イス上で目をつむっていた。ところが、「茂さ〜ん」と声を掛けると、突如、手を叩いて合掌する茂樹さん。「えっ?茂樹さんも仏壇拝むんですか?」と尋ねると、「まだ拝んでない。これからだ!」と言われたが。盆入り間近、七夕の夜の不思議な出来事であった。
 現代においては、多くの人は仕事に追われ、ゆっくりと夜空を眺めることは難しい。けれども、時にそれが必要なこともある。銀河の里には多くの宇宙が広がる。一人一人が、それぞれの宇宙で生きていて、月にウサギがちゃんと棲んでいたりする。
 
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