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「記録」ではない写真【2011.07】

ワークステージ 佐々木 哲哉

 銀河の里で働きたいと思った理由はいろいろあるが、そのひとつがこの「あまのがわ通信」だった。たまたま持ち帰った過去の通信のなかで、表紙が目にとまった。みんな寝静まったと思われる夜のグループホームの薄暗い畳座でスタッフとおばあさんが座って向き合いながら、そのおばあさんが手にした人形を見つめ合っている写真で、なんともいえない温かみを感じた。二人の寄り添う姿はもちろん、そんなやりとりを見守りながらカメラを手にして、あえてフラッシュなど使わずにそっとシャッターを切った人がいることに、強く惹かれるものがあった。
 ところがいざ里に入って働き始めると、外出など行事の際に利用者さんを至近距離から無造作に何枚もパシャパシャとシャッターを押す職員に違和感もあった。
 実は私も写真にハマッていた時期がある。一眼レフカメラを手に、休日は旅に明け暮れ大量のフィルムに景色や出会いなどを収めた。ある程度撮り慣れると、風景写真はタイミングと構図さえよければそこそこ満足いくものを撮れるようになってくる(もちろんプロはそこに至る過程や描写が半端でなく、素人の自己満足ではあるが)。だが人物写真はそうはいかない。「日の丸構図」にしないこととか、何でも取り込もうとせず対象を切り取って絞り込むことなど技術的な点もあるが、人間という喜怒哀楽のある動く被写体にいかにカメラを意識させないで自然な表情や一瞬をとらえるか、が難しい。なにより撮る対象となる人との関わりやまなざしが希薄だと、ただの平べったい集合写真や記念写真、味気ない「記録」っぽいスナップになってしまう。
 私は旅そのものがいつのまにか撮影目的になり、目の前の光景や情景を何でもファインダー越しの枠のなかから意図的・計画的に見ようとしている自分に気がついて、急に熱が冷めつまらなくなってしまった。と同時に、旅も写真も「風景」として眺めるのではなく、「暮らし」として自然や地域と接したい気持ちが強くなり、逆に自分自身が撮られる側、風景の一部になりたいと思うようになり、構えて射貫くような一眼レフカメラを手に取らなくなった。


 時を経ていま、再び写真を撮ることに面白さと使命感のようなものを感じはじめている。田畑やリンゴ園で作業する畑班は、一日として同じ日などなく、自然の中で移ろう四季とともに巡りゆく農業は、人の営みも動植物の営みも全て芸術的で、シャッターチャンスには事欠かない。田の泥を這うタニシのつけた足跡すら、美しい模様を描く作品のように見えてくる。さらに今年から里のホームページでブログが始まって、より伝わる写真を撮りたいと思うようになった。作業中いつどこでも撮ることができるよう防水 ・防塵タイプのコンパクトデジカメをいつもポケットに忍ばせて、思いつくままに撮ったり編集したりして楽しんでいる。
 一方で被災地では、それまでの営みや思い出も津波が奪い去った。瓦礫のなかからみつかった、泥にまみれたアルバムや写真を修復し、保存して持ち主に渡す作業は今なお大事な支援のひとつとなっている。また大手インターネット会社による「未来へのキオク」と題した、被災体験や被災前後の写真や動画が閲覧でき、共有し、記憶を通じてつながっていける仕組みも用意されている。
 大半の地域では、7月中に仮設住宅へ移り、不便な避難所での暮らしから解放される半面、助け合って絆が生まれた仲間たちとの悲しい別れもあり、新たな局面・試練を迎えようとしている。
 あの日から4ヶ月‥‥これまでになかった個の空間や時間ができることで、迫りくる津波から逃れようとして離れてしまった相手の手の感触など鮮明によみがえってくる記憶や、あらゆるものが混ざった汚泥や流出した冷凍魚の腐敗臭など、さらに作られていく記憶が、被災者を新たに苦しめようとしている。後悔や自責の念とともに五感に染み込んで一生消すことができない凄惨な「記憶」を抱えた方々には、震災前の記憶だけでは生きていく原動力としてあまりに心許ない。予期せぬ思わぬ偶然や、奇跡ともいえる新たな出会いや出来事に支えられて、そこから生まれる新しい「記憶」が、自ら命を絶つことを思いとどまらせたり次の一歩を踏み出すうえでも必要だと思う。


 撮影のプロではなくても、銀河の里には相手の気持ちや記憶としっかり向きあって見守るプロの素地があると思う。それを具現化して伝えていくひとつの手段として写真があるのなら、それは単なる画像でも記録でもなく、記憶に残る出来事や瞬間を、あるいはふと記憶が甦るような時空に寄り添った情景を写すことができるかもしれない。認知症高齢者の方にも、被災された方にも、私たち誰にでもある「記憶」をそっと支えるような、ささやかな一助になりたいと思う。


  「人が人に関心を持つ限り、人のありようを写した写真は、時を超えて残っていく」
  写真家・長倉洋海


 「問われるのは、撮影者が何を見ているかにつきる」
 写真家・岩合光昭 ‥‥2011.1.10 朝日新聞グローブ特集「写真は死んでいくのか」より  
 
夕焼けと田んぼ


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