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日常の灯火【2011.04】

グループホーム第1 山岡 睦
 

 その日の勤務は夜勤で、アパートの部屋でそろそろ出かける準備を始めようとしていたところだった。突然携帯から聞き慣れない音がして、その直後に揺れがきた。棚から物が次々と床に落ちる。揺れは長く続き、大きくなるので「もうだめかもしれない」「建物が崩れてしまうかもしれない」と思って、ただただ恐く、冷静ではいられなかった。
 すぐに里、家族、彼氏に連絡を取ろうとするが携帯は繋がらない。揺れが収まってもまたすぐに次の揺れが来る。停電になり、TVはつかず情報が入らない。頭の中は真っ白になり、部屋を出たり入ったりうろうろしながら、家族などにメールで無事を知らせ、とりあえず里に行こうと最低限必要なものをバックに詰め込んで車を走らせた。
 里に着くと、みんないつでもすぐに外に逃げられるように、厚着をしてリビングに待機していた。東北の3月はまだ寒いが、普段使っている暖房は使えない。こうなると、いかに普段の生活が電気に頼っていたものなのかを思い知る。このところあまり活躍していなかった暖炉の出番がやってきた。電気が復旧するまでの間、暖炉は暖かかった。
 どのくらいの被害でこれからどうなっていくのか解らない。電気、水、食料が来るのか来ないのか。この状況がいつまで続くのかわからない不安を抱えながら、今日、一日を乗り切らねばならなかった。お風呂も控え最低限の生活で生き抜いて行くしかないと覚悟した。
 地震の当日は早めに夕食をとり、夜間はろうそくをつけ、暖炉のあるリビングにみんなで集まって寝ることにした。いつもは居室に鍵をかけて休むチヨノさん(仮名)も、リビングに率先して自分の寝床を確保する。利用者9名がリビングで寝るという、過去にない不思議な光景。スタッフも新人スタッフを含め3人が一緒に泊まる緊急体制をとった。 真っ暗な夜。怖い。度々やってくる余震。不安を皆が抱えている夜。そんな中、暖炉の火は不思議なあたたかい気持ちにさせてくれた。普段煌々と照らす電気の明かりだと、見えすぎるくらい見えてしまう。明るすぎず、むしろ少し薄暗い感じ。そこにほんのりと暖炉の火がゆらゆらと燃えている。その感じが逆に人と人との距離も近くする。じんわりとしたぬくもりを感じる深みのあるあたたかさを感じた。
 日中も寒いので火を絶やさないように暖炉を燃やし続ける。皆リビングに集まって過ごす。グループホームに流れる日常を、暖炉が守ってくれているようにも思えた。
 グループホームの日常を守りながら、一方で私個人としても気が気でない状況にあった。弟が石巻、彼氏が大槌にいてどちらも地震以降連絡が取れず安否が確認できなかった。時間が経つにつれて不安は増すばかり。繋がらない電話。返ってこないメール。ラジオ情報と携帯のネットでどちらも街は壊滅的な被害を報じていて、情報を知れば知るほど絶望的になる。それでもひたすら可能性を信じて祈り続ける。ただひたすら・・・。夜は怖くて眠りに入れない。一日が本当に長かった。
 そんな耐えきれない不安に苛まれながら、グループホームの日常がそこにあって、皆がいつものように過ごしている現実に支えられていたと思う。日常を守らなければいけないという自分の役目もあった。夜も待機で泊まった。きっと一人でいたら、耐えられなかった。やることがあって、利用者のひとりひとりが変わらず居てくれることに救われたと思う。
 同じ空の下、津波の被害を受け、日常とはかけ離れた事態の真っ只中にいる人達がいる。そのことを思うとどうしようもなく苦しくて、何も出来なくて、憤りを覚えて、ただただ涙を流すしか出来ない。大切な人たちと繋がれず、安否の確認もできないどうしようもない不安の一週間。やがてメールが人づてに繋がりはじめ、安否が確認でき、携帯で直接話せるようになったのはなんと6日目だった。
 自分に与えられた日常を疎ましくさえ感じたが、その日常が私を守ってくれていたのだと後で解る。グループホームで皆といることで私はなんとか自分を保つことが出来た。
 暖炉の前に集まるみんな。人と人とを繋いで日常を守る火。震災の中でその尊さに初めて気付く。本当に必要なものは何なのか、大切なことは何なのか。
 今後、長い復興の闘いが続く。ライフラインが戻り、元の生活に戻るだけでいいのか。これからどうあるべきなのかをしっかりと考えていかなければならないと思う。
 

暖炉に集まる利用者と猫
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