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震災派遣支援に参加して【2011.04】

デイサービス 高橋 健
 

 大津波で甚大な被害を受け、施設ごと避難している山田町の障がい者福祉施設に、支援職員として2日間行ってきた。水汲み、食事の配膳、食事介助、入浴介助から、その他細々とした作業の補助をしてきたが、利用者の方々との日中のレクリエーションが主だった。
 現地に向かう途中、沿岸一帯の惨憺たる光景に車内にも重苦しい空気が立ちこめる。現在進行形の被災地に足を踏み入れた実感が高まる。身体が強張り、ただ呆然と眺めることしかできない。
 到着すると、避難所の2階の一画を間借りして、施設が引っ越しており、狭い場所に人がごった返していた。震災から3週間経過し、電気が復旧し物資も充実してきているとのことで、緊迫感より、疲れがたまっているように感じた。20数名いるスタッフの半数近くが家屋を失い、利用者には家族を亡くした方もおられるということだった・・・。
 スタッフは疲れが極限にまで達しているようで、指示も出ず、我々はほとんど置き去り状態だった。それに比べて、利用者の方々はエネルギーに満ちていた。胸ぐらを鷲づかみにして、ひっぱりまわさんばかりに歓迎してくれる方もいれば、興味津々にこちらの様子を観察している方、自分の世界に没入して呪文のような言葉を唱える方、漫画のセリフをひたすら書き写している方、それぞれ、思い思いにエネルギーをぶちまけている40人近くの利用者。その凝集されたエネルギーに、僕の身体が感応して不安な気持ちが消えてしまった。
 到着してまもなく夕食の時間になり、配膳を手伝った。ガスがなく、自衛隊の炊き出しだった。おにぎり2個〜3個、おでん、サラダといった内容で震災直後に比べると、食料は充実してきたとのことだった。
 夕食の片付けをして歯磨きを終え、利用者の方々にも手伝ってもらいながら布団を敷き、消灯時間までの間、利用者さんを交えてトランプで遊び始めると、続々と利用者が集まってきた。集まった皆で神経衰弱で楽しんでいるうちに、僕もヒートアップして、狙っていたカードを取られたときは、「なんでだよぉー」と大騒ぎして、利用者と心底トランプを楽しんだ。パズルやぬり絵やおもちゃなどを持参して行ったのだが、利用者の方々には大好評だった。
 ある若い男性の利用者は、避難所に移ってから何回か脱走を図ったということで、スタッフの方から注意していて欲しいとの申し送りがあった。表情が冴えなく、気分が鬱屈しているようだったが、彼は「くろひげ危機一発」を気に入ってくれた。ひたすら樽に刀を突き刺しては、突然、桂三枝の「いらっしゃーい」の両手バージョンで歓喜のポーズを見せてくれた。「いい感じぃー?」と聞くと、「いい感じぃー!」と弾けるような笑みで返してくれた。寝床にまで「くろひげ」を持ち込み、添い寝をしていた。持参したおもちゃは全て寄贈してきた。
 21時に消灯をしたが、狭い空間での雑居寝状態で、なかなか寝つけず、正直夜間は辛かった。トイレ介助が必要な利用者はいないのに、スタッフが多くいて、こんな時こそ休んで欲しかったのだが、それも言い出せず眠りに落ちた。
 コミュニケーションらしいコミュニケーションがスタッフととれず、その状態が最後まで変わらず、何か煮え切らない想いが残った。短期間のボランティアが入れ替わり立ち替わり入ってくると、スタッフが都度説明し指示するのは相当な 重荷になるはずだ。
 効果の高い支援のためには、被災地のスタッフに受け入れを丸投げするのではなく、可能な限り現場近辺にボランティアの拠点を設け、現場に被災地の方々とボランティアを架橋する人材が常駐し、そこから指示が出たり、指揮を執る体制が求められる。被災地の方々と緊密な関係を築き、種々の調整を図る人材が「現場」に必須である。
 現場から遠く離れた場所で、中身が空疎な書類だけが行き交い、形式だけを整合しようとする、お役所的支援形態では必要な支援は達成されない。支援に入るこちらとしては、現場でいくら振り回されようが一向に構わない。ただ、スカスカの紙ペラに縛られるのは真っ平だ。何はともあれ現場だ。既成の考え方に囚われない現場中心の支援を展開してもらいたい。
 翌朝は6時から水くみを手伝い、その後は布団の片づけ、掃除、朝食と続いた。午前中、避難所から近くの広場まで散歩をして、そこでサッカーをして遊んだ。普段は歩く時に補助がいる女性が、力強くボールを蹴るので驚いた。空は青く澄んでいて日差しが柔らかく、それだけで気持ちが落ち着いた。そこからは海が一望でき、「何でこんな美しい海が・・・」と思うほど穏やかな海が広がっていた。
 午後からは入浴で、自衛隊が浴槽にお湯を溜めてくれた。介助が必要な方々から入浴が始まったが、これがまた、てんやわんやのお祭り騒ぎになる。「ばっしゃんばっしゃん」かき回したり、洗面器を浴槽に入れてでっかい泡を作って遊ぶ人、浴槽にへばり付いて全く出ようとしない人・・・2日間のうちで最も仕事らしい時間だったが、入浴後は利用者の方々と距離感が縮まったように感じた。
 夕方、入浴介助でへたっていた僕に真由美さん(仮名)が近づいてきた。そして2冊のノートを見せてくれた。ノートの表紙にはローマ字で「SHINSAIPOEM  TSUNAMI」と書いてあった。彼女はずっと詩を創作していて、津波でこれまでの創作ノートは流されてしまったが、震災直後から新しいノートに書き始め、多いときは1日に10篇もの詩を綴っているとのことだった。彼女の生命にとって詩の表現はそのまま生きることなのだろうと感じさせるなにかがある。その詩には彼女自身も統御しきれず意識上には形を結ばない超越的な「何か」を感じ強烈に惹かれるものがあった。
 彼女の詩は、生命を育む豊穣な海への愛と畏怖の念に溢れていた。そして福祉の本質を理解して、そこに愛を見いだそうと希望を抱いている。ユーモアもある。僕は、ただただ感動した。短い時間のなかで、僕を選んで詩を見せてくれたことが嬉しかった。
 翌日、朝食を済ませ、帰る支度を始めた。別れの挨拶をするとき、真由美さんがきて「ありがとう、いい思い出になった」と手を差し伸べてくれた。「必ずまた会いに来るから、まだ思い出にしなくていいよ。今度来た時また詩を読ませてね」と言って握手を交わした。
 高台を降りると、海辺の絶望的な風景が視界を襲ってきた。これからも続く被災地の厳しい現実を想うと気が滅入りそうになったが、別れ際の真由美さんの笑顔が頭をかすめ、また皆に会いに来たいと思った。
 今回のお役所的手配の煮え切らない思いと、現場の惨状と、利用者との感動の出会いをただの感想で終わらせず、これからの自分の行動に結び付けていきたい。危機的事態にこそ奮い立ち、全力で闘いに挑むのが「銀河の里」の精神だと信じている。闘いはこれからだ。
 

震災派遣先の施設で出会った真由美さんの詩
"SHINSAIPOEM"より2篇「福想の力」「希力海」



沿岸部の壊滅的な被害にただただ呆然と眺める



激しい亀裂が走る沿岸地域の道路
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