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一期一会【2011.04】

特別養護老人ホーム 佐々木 広周
 

 11日の地震後、2日断水状態になり3日間電気が来なかった。ライフラインは復旧したものの、燃料がなく、職員も通勤に困って泊まり込みで対応していた真っ只中、マサさん(仮名)が亡くなられた。年末にも体調が悪く、正月を迎えられるかどうかという状況も乗り越えてマサさんはよく頑張ったと思う。12日頃から時々息が荒くなったりしていたマサさんだったが、16日ドクターの回診の時間に合わせたかのように逝かれた。
 マサさんは、平成20年に脳梗塞を発症し、以後、四肢麻痺で、言葉を発せられない状態になった。身体を動かすことも出来ず、食事も胃瘻からとなった。感情を表に出せない、感情を持っていないとの診断もあった。家族さんも“これで、本当に良かったのか“との逡巡もあったという。そんな中、マサさんは開設したばかりの銀河の里の特養に来られた。
 その一年後、私は新人職員として銀河の里に就職した。そして早くも1年が過ぎたのだが、今振り返ると、その変化に自分でも驚く。当初はこの仕事が合っているのか、やっていけるのか全く不安だった。今、この道に確信を持てる自分がいる。それにはマサさんとの出会いが大きい。私は、大学卒業を前に自分が何をしたいのか分からずにいた。そのくせシステム化され、効率や利益ばかりを求める社会には疑問を抱いていた。
 そんな中、知人がある介護施設を紹介してくれた。何の資格もない私だったが、以前その施設でボランティアをした事もあり、“特技のピアノが活かせるかもしれない”と、甘い考えで面接を受けたが結果はだめだった。だが熱意は伝わったのか「君のやりたいことが出来るかもしれない。」「理事長がちょっと変人だけどね。」と銀河の里を紹介された。
 面接をして、2日間の実習をしてみることになった。今思えば、その実習の間、おそらく私は他の職員の方から見れば、とんでもなく空回りしていたのではないだろうか。介護の右も左も分からず、人と人との繋がりなどまるで解らず、ひたすらリビングでピアノを弾いた。
 「(介護の)作業には目もくれず、ピアノを弾き続けるとはおもしろい」と採用になった。理事長が認めてくれたのは、私の純粋さだったのだろうか。それから一年、私は銀河の里で、人が純粋であり続けることの難しさを思い知らされてきた。
 介護の現場は人と人との出会いの場で、相手の事をより知りたいという思いに支えられている。だが、毎日接していると慣れてしまい、相手への関心が薄れてしまいがちだ。そこに落とし穴がある。特養の職員の中でも、その穴に嵌ってしまう者も少なくない。私にそれを気づかせてくれたのはマサさんだった。
 診断では、マサさんは感情を出せないとのことだったが、付き合っているとたくさん伝えてくれるのがわかる。目をキョロキョロと動かしたり、欠伸をしたり、顔色を変えたり、時には溜息で職員に多彩な感情を伝えてくれた。家族さんが面会に来られると、パッと表情が明るくなったし、お気に入りの男性職員が声を掛けると笑顔が返ってくる。新人の私はそれを聞いて、マサさんの笑顔が見たい一心で居室を訪れた。
 初めの頃は、教わるがまま、オムツ交換や、入浴介助などの作業に精いっぱいだったこともあって、日誌には、体温など外面的な様子ばかり書いていた。ところが夏以降、自分の心がマサさんを通じて映し出されるように感じ始めて、日誌の内容も大きく変化した。 夏に、私はマサさんの誕生日会を企画した。それをマサさんに伝えたときマサさんが私に初めて笑顔を見せてくれた。誕生日を過ぎてからも、マサさんは毎日、私に笑顔を見せてくれた。“もしかして、これが銀河の里で言う「繋がる」っていう事なのかな?“と感じていた矢先、マサさんは体調を崩し入院になった。
 新しい脳梗塞の痕も発見され、退院後も機能の衰えから脱水症状を引き起こし再び入院。退院してきたマサさんの顔からは、笑顔を見ることは出来なくなっていた。だが、マサさんとのコミュニケーションが失われたわけではない。普段キョロキョロと目を動かしているが、お孫さんの写真にはしばらく見入っていた。手作りのクリスマスカードを作ったが一瞬しか見てくれず、がっくりした。しゃっくりが頻発なとき、声を掛けると、スッと止まった。そこで立ち去ろうとすると再びしゃっくりが始まった。私はマサさんが眠りにつくまでよく一緒に過ごした。オムツ交換にちょっと手間取ると、溜息で叱られた。思わず「申し訳ございません。」と言ってしまうほどマサさんの声が聞こえるかのようだった。


 “私が寝たりきりでも、あなたは私に希望をくれますか? 私が言葉を失っていても、あなたは私と会話してくれますか? ちょっと、あなた。オムツ交換だけしてどこかへ行ってしまうの?“


 そんなマサさんの声が聞こえてくる。それは自分の心の声だったのかもしれないが、マサさんが自分の声を聞かせてくれた人であったことはまちがいない。


 11日の震災で多くの方が犠牲となられた。その5日後、マサさんも、犠牲者と一緒に逝くように旅立たれた。毎日が、一期一会であることや、この仕事を続ける上でかけがえのない思い出をたくさん作ってもらった。マサさんにありがとうと感謝の気持ちを伝えたい。
 

震災後のユニット内に、ピアノとハーモニカが鳴り響く
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