トップページ > あまのがわ通信 > 2011年4月号 震災と覚悟


震災と覚悟【2011.04】

理事長 宮澤 健
 

 電気、水が止まり、テレビも電話も使えない。物資が入ってこない。この状況がこの先どのくらい続くのか、いつまで耐えればいいのか情報がなく見通しがたたない。日常に我々はいかに支えられ、守られているかを思い知らされる。
 銀河の里では利用者も職員も無事で、建物も被害は少なかったのだが、停電で暖房が使えず、水も出ないので、デイサービスと通所のワークステージは休業になった。
 日常が失われた状況の中で、重かったのは、特養とグループホームの約60名の高齢者の入居施設を運営できるかどうかだった。食事を出し、介護を継続し、健康を維持するという日常は非常事態といえども崩すわけに行かない。
 食材はいつまであるか、ガスはどのくらい持つか、職員は通勤できるのか、お風呂がいつになったら使えるのかといった問題が、いきなり突きつけられた。反射式ストーブをかき集め、灯油の残量を計算した。おむつは一週間分しかない。酸素生成器が使えず酸素呼吸器の酸素をボンベでまかなうしかない。ボンベをとりに行く燃料をどうするか。楽観的に構えるわけにも行かないが、最悪の状況も想定しつつ、ある程度の読みも持ちながら覚悟を決めるしかない。
 強みもあった。農業をやっているので、米は半年分はある。味噌もそのくらいは持つ。野菜もハウスにいくらかある。食材の供給が止まっても最低半年は生き残れる。水は近くの山から湧き水をくんでこられる。
 断水は2日で回復し、電気も4日目には復旧したのだが、問題は車両の燃料だった。職員が通勤できなければ人手が要の介護現場は回らない。結果、これも覚悟が勝負だった。「家には帰らない」と泊まり込みを決め込んだり、自転車で通う職員に助けられた。徹夜でガソリンスタンドに並んで給油した職員もあった。
 2週間でほぼ日常が戻り、燃料も何とか確保できるようになり、デイサービスとワークの営業を再開した。息が詰まるような苦しく長い2週間だった。
 この間、何人かの職員の家族の安否が確認できなかったことが苦しさを重くした。当初一週間は携帯も電話も使えず、メールも返ってこないなかで、壊滅的な被害の報道に当事者の不安はつのった。無理やり沿岸部まで車を走らせた職員や、どういう状況も運命として受け入れるしかないと腹をくくる人もいた。連絡がとれるようになり、近しい親族の無事は確認されたが、友人や、親戚には犠牲者があり、実家の家を流されたり、育った故郷の街が風景ごと消滅した事実は耐え難いことだった。いたたまれない不安のなかで、利用者の介護など日常の仕事が支えになっていた。日常を取り戻し、日常を守ろうとしながら、日常に守り支えられていた。
 被災した沿岸部の施設からの受け入れの打診が2日目に県からきた。こちらもサバイバル状態ではあったが、沿岸部の状況を考えると受け入れたい。ところが、受け入れ体制は取ったのだが結局依頼は来ず、個人的な繋がりで避難された方の入居に留まった。職員の被災地派遣も2回に留まり、構えた割には、拍子抜けの感がある。どう支援していいのかまるで検討がつかない。ボランティアもまだ本格的には動いていないようで、むしろボランティア迷惑論が前に出ている。
 世界的に支援の機運が盛り上がり、誰もが、東北のためになにかできないかと支援の行動を模索するなかで、どこかスムーズにいかない感じがある。これもある覚悟が必要なのではなかろうか。ホームレス支援で有名な奥田知志氏は、「今こそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要である」と述べている(3月30日朝日新聞)。支援はありがたいことばかりではないし、喜ばれることばかりではないという理解が必要だ。人が人の役に立つことなどほとんど不可能なことだ。不可能だと解った上で、それでもなにかできないかと行動するのが支援だろう。つまり支援には、役に立ち、ありがたいと思われる関係でありながら、同時にどこかで傷つけ、傷つくことだと理解し、行動する覚悟が求められる。
 支援の現場で本気で取り組めば、支援はお互いの傷つきから始まることが解らないはずはない。重要なのは傷によってこそ出会いが始まると言うことだ。人は簡単には出会えない。出会っても簡単にはいかない。支援の現場で自分が傷つこうともしない人は、多くの人を一方的に傷つけてしまう。
 傷つくことを極端に怖れる時代に起こった震災のなかで、我々はどういう出会いを創れるのか。もちろん出会わない支援を模索する人もあっていいだろう。我々は「頑張ろう日本」等というかけ声が大好きな人種だが、そうはいかない時代、世代がある。日本ってどこにあるんだ。それって誰なんだ。結局他人ごとじゃないかと言いたくなる。今は個々がどう考えるか、どう生きるか、傷つきながらも出会いを達成させる覚悟が問われているように思う。この通信の記事でも佐々木哲哉さんが引用したマザーテレサの言葉は、傷つくことを怖れるなと覚悟を問うているように思う。
 派遣職員で行ってきた高橋健君の記事でも、スタッフとは出会えていない。スタッフはこれ以上傷つけない状況にあるのかもしれない。一方で利用者には歓迎してもらっている。利用者は彼と遊んでくれ、ひとりの女性は自作の詩を見せてくれた。無垢の魂を感じさせる詩の作者は、その感性で健君の傷つきやすさを癒そうとしたかのようにさえ感じる。 障がい者は、日常が傷つきやすく、多くの傷を背負いやすい現状がある。しかしそれだけに出会うことを怖れないように思う。支援に行った健君は彼らの持つ傷に癒されてきたのではなかろうか。
 巨大な震災を前に、誰もが傷ついている今、さらに傷つけというのは辛いが、生きていくとはそういうことなのではないか。3万人を越える死者、行方不明者が出て多くの理不尽な別れが起こってしまったが、個々が、傷つくことを覚悟して、ひとつひとつの出会いを創り出していくことが、多くの犠牲を無駄にしないことのように思う。
 
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