トップページ > あまのがわ通信 > 2011年4月号 震災 〜共に生きる〜


震災 〜共に生きる〜【2011.04】

デイサービス 藤井 覚子
 

 3月11日、午後2時46分。突然携帯電話が「ビービー」と鳴る。携帯をみると「緊急地震速報。強い揺れに備えて下さい」と警告があった。地震??と思った瞬間に大きな揺れが始まった。
 この時、デイサービスでは特養の交流ホールで誕生会を行う予定をしており、ちょうど出かける準備をしている真っ只中だった。車への乗り込みも始まっており、移動をしている途中に大きな地震がきたため、そのまま屋外に避難した。これまで経験したことのないあまりの大きな横揺れで、恐怖で歩くこともできないような状態だった。地震発生時にトイレにいた利用者とスタッフは、利用者の体を支えながら揺れのおさまるのを待ち避難した。みんな無事に避難できたが、誰もが驚き、利用者も足が震え腰が抜けてしまったり、「おっかねー」と泣いたり、恐怖心でいっぱいだった。
 避難したものの屋外は寒いので中に入りたかったが、大きな余震が続くので、戻るのも危険と判断し、毛布をかぶり車へ乗り込み待機することにした。建物の破損等はあまりなかったが、あの揺れの後は世界が変わってしまったかのように感じ、ただただ不安な気持ちが強くなった。
 暫く、車で待機した後、利用者を送りに出かけた。停電で信号は止まっていて、コンビニは食べ物を買い込もうとする人で混み合っていた。なんとか無事に利用者さんを送り届け、家族さんの無事も確認でき、ホッと安心したものの、気づけば夕闇が迫っていて、町は真っ暗で電気やガス、水道も止まっていて、まるで町が闇と化してしまったかのようだった。暗闇の中、懐中電灯の明かりで今後のことをスタッフと相談するが、今まで経験したことがない災害で、ライフラインがストップしてしまった状況で、復旧を待つしかない状況だった。
 この日の午前中に、隆さん(仮名)が「地震きたべ?」と何度もスタッフに確認していた。それは数日前の地震のことを気にしての話だったと思うが、何度も何度もスタッフに言ってくるので、気になっていた。そして、もともとこの日はデイで誕生会を予定していたが、急遽交流ホールに変更になり出かける準備をしていた時に地震が来たのも、偶然とは思うが不思議な感じだった。
 翌日、明るくなって建物の状況を細かく観察すると、玄関にひび割れがあったのと、ボイラーや貯水漕の機械が故障し動かなくなっていた。電話も使えないため、利用者宅を回って安否確認と当面のデイサービスの休業を伝えて歩いた。電気もガスも水道も電話も何も使えない状態では何もできなかった。
 電気、ガス、水道はあって当たり前で、それらが使えなくなることは想像もしていなかった。2日後電気が復旧したが、テレビで被害の大きさを知り、ショックを受けた。津波が来る瞬間の映像、家も人ものみ込まれてしまい、壊滅した町の様子は、現実のこととは受け止めがたいことだった。
 自然と共に生きていく、自然に生かされている命であるがゆえに、土地、町を守り、人や暮らしを守っていくことが大切な事なのだろう。生きることは苦しい。だがそれでも人は前を向いて生きていくしかない。大切な人、町、暮らし、つながりをどう紡いでいけるのか、一人一人が考え動き出さなければならない。日々の暮らしに感謝しながら。
 震災後、ガソリンなど燃料が入らなくなり、ボイラーも故障したため、デイの再開までに2週間かかってしまった。利用再開の日キミさん(仮名)は送迎の車の中で「デイに行けなくて寂しかった。こったな地震、生まれて初めてだった。裸足で走って逃げた」と話を聞かせてくれた。私たちの安否を気遣いながらも、デイへ来ることが日常の生活であったキミさんにとっては、やっと普通の生活に戻れたという感じだった。一平さん(仮名)は地震が起きてから、混乱気味になり、その後、体調が急変して亡くなった。「ドクターから宣告うけた」との連絡が奥さんからあり、会いに行くと、一平さんらしく「よっ」と左手を上げて挨拶をし、何度も何度も握手を求めてくれた。今思うと一平さんなりの別れの挨拶だったと思う。何かを託されたような力強い握手だった。銀河の里のデイが開所して以来ずっと利用をしていた一平さんは、親分のようにドンとしていたが、優しく皆を見守ってくれるような存在だった。若い人を育てたいという気持ちも強く、挨拶や礼儀には厳しい面もあったが、変化を敏感に感じ「成長したな」と言葉をかけ、励ましてくれる人でもあった。自己主張が強く、一見強面なイメージがだが、周りにいるみんなはその優しさを知っていて、こだわりの一番風呂、卵粥、コーヒー、将棋は、日課というより「儀式」と思えるほど大事なことで、そのこだわりを決して変えないところが一平さんだった。ドンといてくれる一平さんの存在は、大きくて、私に安心感を持たせてくれていた。亡くなった日、スタッフと打ち合わせをしていると、厨房の水道の蛇口が全開になって「ジャー」と激しく水が流れだした。さっきまでは閉まっていたのに・・・不思議だったが、皆は「一平さんが挨拶にきて驚かそうとしたんだね」と納得した。  一平さんとの別れは悲しいが、最後に見せてくれた精一杯の元気な笑顔と力強い握手は私たちに向けたエールだったと思う。


 3月末で私は里を退職し、新たな道を踏み出した。里での4年間は、出会いがたくさんあり、それぞれの個性をみつめながら、自分らしさも同時に問われていたように思う。多くの人との関わりの中で心と心が通じる喜び、難しさ、温かさを感じる時を過ごし、生きる尊さを教えていただいた。


 被災地では復興に向けての支援の輪が広がっている。個々に生きる現代社会の中で、地域の人とのつながりも希薄になっていたが、共に生きる社会を築くことが求められている今だからこそ、私もその一端を担っていきたい。
 

「鼻毛も剃らねば〜」と大笑い
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