トップページ > あまのがわ通信 > 2011年4月号 震災を越えた特養


震災を越えた特養【2011.04】

副施設長 戸來 淳博
 

 銀河の里の特別養護老人ホーム(以下、特養。)では、15時のティータイムの準備をしていた時だった。大きな地震に見舞われた。その揺れは約5分間という長さに加えて、今までにない大きな揺れだった。地震後、すぐに停電となり、内線電話も不通となった。私は各部署の被害状況を確認すべく特養から、法人本部の事務所へ走った。幸い人的被害はなく、建物への大きな被害もなかった。特養とデイサービス(以下、DS。)では、給湯設備が一カ所、グループホームはボイラーが故障し、各部署で食器棚の食器、グラスが割れるなどの被害があった。一次的被害は少なかったものの、停電、断水、物流が止まるなどの二次的被害が大きかった。食料、水、燃料の確保にとどまらず、特養ならではのオムツや経管栄養食、酸素ボンベの確保にも奔走した。通常の家庭とはまた違って、特養特有のライフラインの存在を思い知らされた。
 地震発生直後から携帯電話が繋がらず、職員同士連絡もままならなかった中、大半の職員が自主的に里に駆けつけてくれた。夜勤専属の千葉さんも駆けつけてくれた。開設初年度、無資格未経験で応募されたのだが、とても気配りが細やかで安心感の持てる仕事ぶりでありがたい存在だ。地震直後「心配だから寄ってみた。」と駆けつけ、そのまま夜勤に就いてくれた。また前職が大工だったので棟梁と呼ばれている高橋さんも、すぐに駆けつけてくれ、徹夜で廊下やリビングを照らし、皆が寝静まるまで見守っていてくれた。
 一方で、「地震で行けません」と夜勤をドタキャンする人や、連絡もなくそのまま来なかった人もあった。地震当日から夜勤の3人中2人が欠けてしまい、寮の職員は急な勤務調整に備え、職員の何人かは泊まり込む緊急体制をとった。ガソリンの供給もままならない状況の中で、緊急体制は約2週間続いた。この間、泊まり込み体制を取ってくれた職員が何人もいたり、ガソリンのないなか自転車で通勤するなど職員の努力で乗り切ることができた。
 特養では、長期短期併せて40名の方が入居されている。寝たきりで、医療的な管理が必要な方も多い。そんな状況を抱えて、ライフラインが途絶えるのは不安でしょうがなかった。さらに大事なのは人だ。人手がなければ特養は運営できない。そうした中、自主的に駆けつけ、泊まり込んでくれるスタッフがたくさん居たことは非常に心強く、ありがたかった。
 厨房の職員もよく頑張った。食材が届かず、先行きも不安ななかで、予定の献立はキャンセルになったが、毎食知恵と工夫が盛りこまれた愛情こもる食事を出してくれた。
 また、普段に比べたら明らかに環境は悪く、一見戦々恐々とした野戦病院の様に見えたリビングでは、蝋燭の明かりで集まり、語らいながら、食事を大皿からとりわけて食べる様子や、ベッドを並べ一緒に寝ている姿など、入居者と職員は、一つの家族の様な暖かい雰囲気が感じられた。
 日が変わると、沿岸部の被害が、ラジオや携帯のTVから徐々に分かってきた。銀河の里には、沿岸部出身の職員も多く「壊滅的だ」「町ごとさらわれた」などと情報は飛び交うものの、具体的な情報は何も入らず、不安だけが募った。両親と連絡のとれない職員も多く気にかかる。そんななか被災地からの入居者の受け入れの打診が来た。被災者を受け入れると人手が必要となる。休みもとれなくなるかもしれない。ユニットのリーダー、各スタッフにそのことを伝えると、使命を感じているような強い表情でうなずいてくれたことがうれしかった。
 震災後3日目の深夜電気が復旧した。電気のありがたさを感じながら、皆が寝静まっているなか、テレビを各ユニットから撤去して回った。震災の映像があまりにも生々しすぎると感じ、できるなら入居者に無防備に見せつけたくはなかった。不安だけがあおられるように感じた。
 電気がなく、3日間、吸引器や酸素精製機など医療機器は使えず、酸素ボンベの確保にも奔走した。そんな中、入居者誰一人として体調を崩すことなく元気に過ごしてくれた。それまで毎日のように通院の手配をしたり、救急車を呼んでいたのにである。ガソリンの供給など落ち着くまでに2週間を要したが、入居者含め、里の一人一人がこの困難に立ち向かっていたんだと思う。
 震災を通じて一つの蝋燭の明かりや暖かい物が食べられることなど、一つ一つのことが新たな感動として感じられる。
 振り返れば、銀河の里が開設した年、私も里で新生活をスタートした。早いもので10年経つ。その年、9月11日に世界を揺るがす事件があった。TVから流れる映像を私はリアリティ無く眺めていたように思う。あの頃は何も分かっていなかった。そして新たな10年の今年、未曾有の災害がおこった。銀河の里としても、自分としてもこの困難と立ち向かう形で10年目がスタートすることは大きな意味があるように感じる。これからをどう乗り越えてゆくのか、大きなチャレンジが始まったように感じている。


 ちなみに、引き下げたテレビは今現在もユニットに置いていない。テレビがない分、利用者同士、またスタッフを交えての会話が弾んでいるように感じている。以前から、テレビに意識を持って行かれ、関係が切れたり、ひどい場合は職員がTVに見入ってしまうなどの状況があり、歯がゆい思いがあった。震災の過激な映像を無防備に触れさせたくない思いでテレビを撤去したのだが、ないリビングのほうが心地よい場が作り出せているとの報告が多い。今後、社会と繋がるツールとしてのテレビなど、情報について、考えていかなければならないと感じている。
 

ユニットを灯す ろうそくの火
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