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銀河の里 − 特養の奮闘(その2)【2011.03】

理事長 宮澤 健
 

 ALSの閉じこめ状態における、極限のコミュニケーションに触れながら、我々の現場の利用者はコミュニケーションが充分できるのだから大いにやりとりをしようとの意図で研修をしたつもりだったが、結果は真逆で、職員によって利用者が閉じこめられてしまう事態が次々にでてきた。一端閉じてしまった利用者は、そのあと出てきてもらおうとして頑張っても簡単には出てきてくれない。
 そして出てこなくなった利用者をいいことに、職員だけで世間話に花をさかせて、時間を過ごすのが楽でいいと考える人が世間には多いのだから、特養立ち上げの道のりは厳しいものがあった。
 夫婦で入居されていた方で旦那さんが亡くなられた。残された奥さんの寂しさは相当なものがあったのだろう。部屋が怖いと、リビングに出てくる機会が増えていった。ところがそれが職員にとってはやっかいと映ったのだろう、面倒くさく扱った。彼女は相手にされないので、トイレを頻繁に訴えるようになった。それが寂しさからの訴えであることを理解しようとしない職員は、「トイレはさっき行ったばかりでしょ」などと相手にせず、トイレの訴えは抹殺された。介護者が対応せざるをえない内容で伝えようとした、救いを求める気持ちを職員は受け止めなかった。究極の訴えが拒否され続けると彼女は閉じこもり、食事を摂らなくなった。
 状況を察し、職員の部署移動をして、チームを再編成したが、本人の閉じた気持ちを開くことは難しく、栄養状態は悪化していった。あらたなチームは様々なアプローチを試みるが、なかなか届かなかった。向こうに逝くことを決めたかのようで、胃ろうをつけるために入院しても、手術の予定日になると、原因不明の熱を出して2度も病院から返されてきた。3度目の入院中ついに遠くに逝かれてしまった。頻繁に訴えてくれた時期に、なぜその気持ちを受けとめることができなかったか、無視してしまったのか悔やまれる。
 利用者を閉じこめてしまう行為にはいろいろやり口がある。基本はバカにして、話しを適当にしか聞かないことだ。人や言葉に関心がなく、返事もなげやりで、真剣には聞いていない。そうした態度の介護職員がチームにひとりでもいると、利用者本人も周囲も深く傷つく。そういう人は職種の選択を間違えているとしか思えないのだが、3Kの代表の介護現場の求人に人材がなかなか集まらないのも実状だ。
 やっかいなのは、正しい事を言っているようで、その実相手を切り捨てるやり方だ。「他の人の迷惑になる」「集団生活になじまない」「利用者の誰々さんが嫌がるので困る」といった切り捨て方は、一見世間的には正しいので、全体の意見になってしまいがちだ。周囲の者も違和感を感じているうちはいいのだが、そのうち一緒になって「ダメダメ」と脅迫的に利用者を制限したり、禁止の言葉を繰り返すようになってしまう。そうなると、ユニットの雰囲気は重くなり、スタッフもゆとりを失い苦しくなっていく。
 最もやっかいなのは、職員のペースで完全に利用者を支配して、利用者の動きを閉じこめ、なにもさせなくするやり口だ。仕事を立派にやっているように見えるし、当人もやった気なのだが、利用者は全く個々の世界を消され、従属させられて、なにもできない。こういう状況では「事」が起こってこないし、安全なので、「なにか問題がありますか」と言われれば困るのだが、利用者は閉じこめられて動けなくなってしまう。
 こうした閉じこめ介護者の特徴は表情のなさだ。感情を使っていないか、動いている感情は怒りだけだったりするので、顔は暗く怖くなっていく。この特養開設2年間はこうした閉じこめ型の職員に翻弄され続けた。
 介護職員は「閉じこめ型」か「引き出し型」かの2つのタイプにきっぱりと別れると思う。引き出し型は、それぞれのタイプや個性で利用者らしさを引き出してくれるので関係に多様な個性が出てくるが、閉じこめタイプは一律で軍隊や収容所のイメージになる。
 引き出し型の人は、コミュニケーションが豊かで、ゆとりがあって、フワッとした安定感や安心感がある。力まずフラットで表情がある。押しつけず、閉じてもいないので、利用者の言動に開かれた態度で向かっていて、周囲もそれを自然に共有できるし、そこに「場」ができてくるので、他の人もいつでも入れる感じになる。
 コミュニケーションは、単におしゃべりをして時間を過ごすことではない。相手と自分が繋がるという体験があることが大切だ。完全閉じこめ状態における究極のコミュニケーションもいかに繋がるかが問われている。


 閉じこめ状態を意識していた矢先、昨年の夏、チリの落盤事故が起こった。鉱山作業員33人が地下700メートルに閉じこめられたこの事故は、その後の救出劇の感動もあって世界中のニュースになった。
 落盤で出口への通路が完全にふさがれ、地上との連絡もとれなくなり、暗闇に閉じこめられた人々の恐怖や絶望感は計り知れないものがある。誰もがもう助からないと絶望を感じたという。地上でも絶望的な観測が大半だった。5日目に地上からの捜索のドリルの音が遠くに聞こえたとき、歓声があがり微かな希望が湧いた。ところが何日経ってもその音は遠く聞こえるだけで近づいてこないので、また絶望に突き落とされる。17日目、あきらめかけたとき、ドリルの先端が避難所に届いた。閉じこめられていた作業員は、このとき狂喜に湧いて泣きじゃくったという。その先端にあの「我々33名は全員元気だ」のメッセージがくくりつけられ地上に上がってきた。前向きな気持ちを乗せたメッセージだった。地上では、生存がほとんど絶望視される中でもたらされたこのメッセージに歓喜が湧き、世界中が注目した。やっと繋がった瞬間だった。
 それから8pほどの細い管を通じて、食料や物資が届けられるようになり、地下の生活状況は極度に改善したのだが、救出にはまだまだ難題があった。地下700メートルの一点に救出用の穴を正確に掘るには相当な技術が求められる。チリ政府は世界中に掘削技術の支援をもとめ、選ばれた3社が挑戦。4ヶ月かかるとされたところを1社が33日で縦穴を貫通させた。一方では心理的ケアもNASAなどの専門家の助言などを得ながら対策がとられていた。チリ政府はもちろん世界中からの支援が惜しみなく寄せられ続けたという。
 掘削はわずかな角度や、方向の違いで700メートル先の地下では大きくずれてしまったり、途中の地盤のゆがみで掘削機が動かなくなったりするなど困難を極める中、数カ所から掘削アプローチが行われた。そしてついに閉じこめられてから70日目に貫通する。作業員達はそのドリルの先端に抱きついて喜んだという。そして、救出カプセルフェニックスが到着し、全員が地上に生還した。
 我々の現場では、色々な形で高齢者の気持ちが閉じこめられていることが多い。その原因は病気や障害であったり、喪失であったり、孤独であったり、それぞれがつらい人生落盤事故にみまわれていることもある。施設や在宅で介護を受けていたとしても、厄介者扱いや、無視などの行為で、絶望や、あきらめの世界に沈みきってしまうこともある。生活や暮らしを奪われて、介護されるだけの役割を押しつけられて、その役割に閉じこめられている場合も少なくはない。
 我々の現場では、閉じこめられた心に通路を作り、繋がるということを、高度な理論と思索に裏打ちされた、綿密な取り組みで挑戦していくことが求められるように思う。
 特養立ち上げの2年目の困難のさなかに、チリで起こった落盤事故の救出劇の報道に触れ、人間にとって「繋がる」ことの大切さを感じながら、高齢者介護現場のコミュニケーション、繋がるということの意味を考えさせられた。
 いよいよ特養は3年目に入る。そろそろ立ち上げ段階から、ユニットケアに秘められているであろう可能性を模索するステージに移行していきたい。
 
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