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新人奮闘記 その2【2011.03】

特別養護老人ホーム 三浦 元司
 

 龍治さん(仮名)は一日中ナースコールを鳴らし、大声でスタッフを呼んだ。居室へ行くと「俺を寝かせるな」「死にたい」と言い、そこにいても「おーい」と大声で叫んで職員を呼ぶ。それでも収まらず、ベット柵をガンガンと思い切り叩くので手が腫れたりすることもあった。さらに頭を壁に思いっきりアザができるまでたたきつけた。
  そんな龍治さんを見ながら、自分はどうしていいのか全くわからなかった。理事長の面談で相談もした。「死が怖くてあがいているんだろうね。その気持ちを理解しないとね」多くの人を見送ってきたはずの龍治さんも、自分自身の死は怖いんだろうか。理事長に「そういうテーマが我々の現場にはあるんだ」と言われてもピンとこなかった。死とか、自分が死んでしまうことなど、考えたことも感じたこともない。
 龍治さんが死期を感じての恐怖や苦しみは自分には計り知れないことだった…。21歳のそんな自分が、考えも感じもしない計り知れないところを龍治さんが生きているんだと考えると、解らないなりに、とにかく寄り添っていたかった。
 ところが、介護スタッフの雰囲気は最悪だった。「うるさくて迷惑な利用者」「自虐行為や怒ったりして混乱している問題の人」という見方しかされていなかった。一緒に苦しもうとか、できるだけそばにいてあげようという雰囲気は全くなかった。ナースコールの電源は切られ、スイッチは手の届かない所に隠された。居室のドアは閉められ、大声で呼んでも聞こえないふりを決め込んでいた。スタッフがリビングに集まって「夜中からずっとあんなんで大変だよ」と厄介者扱いの会話をしていたり、龍治さんが眠りにつくと「やっと寝たよ」とうんざりした感じで話していた。さらに無理難題のような言葉を次から次にかけてくる龍治さんに切れてしまって、「俺はあんたの召使いじゃねぇ」と怒鳴りつける場面さえあった。そんな雰囲気のユニットにいるのが辛かった。すごく悲しくて泣きたくもなるし、スタッフを殴りたくなるようなことが何度もあった。
 スタッフの態度は無視をしながら、龍治さんが苦しみ、もがいているのなら一緒にいようと、解らないまま、どうにかしたいという思いもあって、自分は龍治さんの居室に何度も通った。
 そんなある日、いつものように大声で呼ぶ龍治さんの部屋に行った。「俺を寝かせないでくれ。頼む。三浦ダイコン。俺の頬を思いっきりぶん殴れ。手加減するな。早くしろ。」と自分の手をとりグーにさせ、「思いっきりだ。」と龍治さんがむりやり顔に自分の手を近づける。しかし、いくらお願いされても殴ることはできない。
 どーすればいいのか分からず隣でただじっと座ったまま時間が経った。龍治さんも少し落ち着き、黙ったままおでこを触っていた。そして、龍治さんがゆっくり感慨深そうに語り始めた。「俺こないだ夢で兄貴をおくってきたんだ。でもそっちにはいけなかったんだ。俺にぶいからよ。そーいうのわからねぇんだよ。怖いな…。母ちゃんに会いてぇよ。俺の母ちゃんはな、すごく優しくていっつも心配ばっかりしてくれるんだよな。寒くねぇって言ってんのにもう1枚かけてくれるんだ。そんな人だったよ…母ちゃんにもう1度会いてぇよ…」と語りながら龍治さんは号泣した。いつの間にか自分も一緒に泣いていた。そして、龍治さんは自分の腕を引き寄せて「三浦ダイコン。お前も母ちゃんは大切にしろよ。なっ。」と、涙を流しながら微笑んでくれた。その後、龍治さんはポカリスエットを飲んでからすぅっと眠りについた。なんか特別の時間だった。今まで以上に龍治さんが自分の中で大切な存在になっていった。
 翌日から、めちゃくちゃ自分に厳しい龍治さんがいた。おむつ交換の時に「ケツ上げてちょうだい。」と言うと「ケツじゃねぇだろバカたれ。おしりだろ。」と叩かれた。また、おむつ交換の後に「お前だったらどう思う。」と腕を組みながらアゴで居室のドアを指す。居室のドアは半分以上開いており、外から丸見えだった。「ヤベェ。ごめんごめん。」とすぐドアを閉めた。「お前はいっつもこうやっておむつ交換しているのか。俺はもう恥ずかしがるような歳じゃねえし男だからいいけどもよぉ、女性に対してもやっているのか。」まさに基本だ。「これからは、考えてやれよ。それから、ヤベェはやめろ。ヤベェのは三浦ダイコンだろ。」と言ってくれた。
 「お前は歩くラジオだな。」と言われたことがある。「え?」と驚いていると「俺が部屋にいてもお前のでかい声で、今リビングで何をやっていて、だれだれがいるのか。お昼ご飯のメニューまで聞こえてくるぞ。」と話す。自分「それだけが俺の特技だからさ。」と返した。しかし龍治さんは真剣な顔で、「声が大きいのはいいことだ。だけどな、いらない情報までラジオで流すことないんだぞ。○○さんの排便やプライベートのことまで聞きたくなくても情報として入ってきてしまう。時と場合を考えろよ。」と言うことだった。これも基本だ。そんな感じで龍治さんはたくさん指導してくれた。介助時のアドバイスから、髪型や服装のだらしなさなども指摘された。
 そういう時はいつもの一方的なもの言いではなく「お前ならどう感じる?」「どう考えているのだ?」など、問いかけが多かった。軽薄でなにも考えて生きてこなかった自分をみすかすように静かに語りかけてくれた。龍治さんは自分の師匠になった。龍治さんは「オレがおまえを育ててやるからな」と言ってくれた。その言葉のとおり、一生懸命自分を育てようとしてくれたのだと思う。
 龍治さんと出会ってから約半年が立ち、一緒に稲刈りに出かけたり花火大会へも行った。また、特養内の交流ホールにて挽きたてコーヒーを飲んでくつろいだり、お酒を飲んだりもした。お互い本気でケンカもした。一方的に殴られ、頭に来て怒鳴ったりもした。ケンカした日はお互い口も聞かず、目もあわせなかった。それでも、夜中に謝りにいくと、次の日にはジョークを言いながら許してくれた。
 龍治さんが自分の入るお墓を見たいというので一緒に出かけた。(あまのがわ通信2010年11月号参照)そんな日々のなかで、初めは苦手だった龍治さんが大好きになって行った。
 夏も終わりに近づくころから龍治さんの身体状況が少しずつ弱っていった。居室で過ごすことが多くなったり、体調を崩すことが増えた。しかし、自分の師匠としては相変わらずバリバリで、ガンガンと鍛えてくれていた。しかし、龍治さんとの別れの時は刻々と近づいていた。 つづく
 
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