トップページ > あまのがわ通信 > 2011年2月号 実習を通じた思索 その2「錠」


実習を通じた思索 その2「錠」【2011.02】

デイサービス 千枝 悠久
 

 実習を終えた直後には、無力感と疑問と憤りに似た感情で、冷静に考えることができなかったが、しばらく時間が過ぎる中で、いろいろ考え、今になって気づくことも出てきた。前回、現場の「扉」の存在を感じそれを書いたのだが、どうやらそれには大きく重い「錠」がかけられていることに気がついた。「扉」があってもそれを開ければいいことだ。しかしその扉には「錠」がかけられているのがさらに大きな問題なのだ。
 「扉」を開こうとしていた入居者と、その扉を開けたいと感じた私。そして「扉」を開けるつもりのない職員。その「心の扉」にかかった「錠」が何かを考えるためには、もう一度実習先の職員の言葉や、入居者の言葉を思い出してみよう。
 まず、施設で衣類を管理されている入居者は、「物を持っていかれるので私の部屋には何も無い。」と話し、「服もさっぱり無い。」と空っぽのタンスを見せながら、寂しそうな表情だった。
 利用者と職員の世界がぱっくりと割れる時間帯。あの魔の時間。(その時間は、外へ出る扉を開けようとする行動が多くみられる時間帯でもある。)私はその方に何がしたいのか尋ねてみた。するとその人は「そういうことを話すと、『なんであの人だけ?』と思われるから話したくない・・・。」と答えられた。
 そこには認知症だから何を言ってもだめで、問題行動しか起こさない存在として分けてしまう重い扉と、認知症に歩み寄る姿勢をもたず、人間の心を全く理解しようとしない固い錠がそこに存在している。閉じられ、自由を奪われた空間から外に出たいとは認知症だからではなく誰でも思うことではないか。
 実習の最終日のケース会議で私は、安心ということについて実習で感じたことを話した。それに対して現場の主任は、「不安というものは、その人の価値観と現実との間にズレが生じたときに起こるものだと考えている。そのため、ズレが起きないよう、いつも同じようなケアができることが必要だ。」と言われた。さらに「認知症の方と接しているとこちらの価値観がズレてくる。」と話されていた。そして「私たちも将来あのようになるのかもしれない。」と笑っていた。どこか既存の価値観にズレが生じることは避けるという固い姿勢と、認知症をズレを生じさせる怖い存在として捉えているのを感じた。
 職員は認知症の人と接することによって自分たちの価値観がずれることを怖がって不安を持っている。だから扉の向こうに別れて過ごすのだろう。入居者と接すると価値観がずれるので危ないという不安がそこにあるなら、それが錠になって「扉」が開けられる可能性はなくなる。
 知識も技術も経験も不足している学生の実習は不安に満ちている。自分の価値観は揺さぶられ続ける。その立場の私は現場で認知症に怯えて扉を開けようとしない職員の不安を目の当たりにして、さらに揺さぶられた。だから、実習中にはこの「錠」を見つけることができなかった。職員が自分の心の錠を見ないようにしているように、私も、私自身の「錠」と向きあうことを避け職員の「錠」を見ないようにしてしまったのかもしれない。
 自分と違うものや、異質ななにかと出会うと人は不安を感じるものだ。職員は、自分が揺るがされないように「認知症」の入居者を、自分とは違う異物として排除したうえで介護しようとしているのだ。それではさらに不安が増大し、「心の扉」に「錠」が固く掛けられることになる。
 私は、「学生」として、職員の方のことを「指導者」の位置に置いていた。それゆえに不安が生まれ、「錠」に気づくことができなかった。そのような中でも、入居者は、「入居者」でも「認知症」でもなく、一人の「人」としていてくれたことに今気がつく。
 実習が終わってしばらく経った今になって私にも「錠」が見えてきた。そしてその錠を開ける「鍵」を見つけたい。錠をはずし扉を開き両者を繋ぐ鍵はどこにあるのか。それを探す旅が私の中で始まった。
 実習後、他の実習施設から戻ってきた学校の級友達と話した。私が感じた分かれた扉を感じた学生も多くいた。学校の実習報告会で「あんな職員にはなりたくない」と明言する学生も少なくなかった。福祉の現場には私の感じたあの思い「扉」が確かに存在するのだ。しかし、「あんな職員になりたくない」という攻撃だけでは、現場の不安を取り除き、隔たれた両者を繋ぐための「鍵」とは成り得ない。
 実習後、私は、銀河の里の理事長と面談を始めた。「私は介護をやりたいのではなく介護福祉をやりたいのだ」だから福祉を勉強したいと言った。すると理事長は、「そこには鍵はないね」と即座に明言するので戸惑う私に「神話を学ぶといい。おそらくそこに鍵はあるよ」という。あまりにかけ離れた話しに驚いていると、中沢新一のカイエソバージュの第1巻を本棚から取り出してきて差し出された。
 「人間や社会への本質的なまなざしを持ってアプローチしないと、対処療法しかできなくなって目に見えない大切ななにかを損なってしまう。」というのだが、ピンとは来なかった。しかしだまされたつもりで「鍵」を見つけたい足掻きもありその本を読んでみた。それは、鍵を探る旅に出たばかりの私には、新鮮でまばゆいものとして感じられた。ほのかな一条の光を見いだしたようなその内容を、次回に紹介したい。      続く
 
〒025-0013 岩手県花巻市幸田4−116−1
TEL:0198-32-1788 FAX:0198-32-1757
HP:http://www.ginganosato.com/
E-mail: