トップページ > あまのがわ通信 > 2011年1月号 実習を通じた思索 その1「扉」

実習を通じた思索 その1「扉」【2011.1】
デイサービス 千枝 悠久

 私は、厚労省の雇用プログラムを利用して、銀河の里デイサービスに所属しながら、介護福祉士の資格習得を目指して専門学校に通っている。先日、学校の介護実習が約1ヶ月間あった。実習で現場に入りながら、考えることがたくさんあった。それらをこれから数回にわたって書いてみたいと思う。
 今回の実習先のグループホームでは、「その人らしく豊かに安心して暮らせる場所を」といったことを理念に掲げ、毎朝のミーティングの時に職員全員でその理念を唱和している。
 私がこの実習で感じた現場の印象は、一言で表すと、息苦しさのようなものだった。色んな意味で厚く重い扉を感じ、今までにない苦しい経験だった。 まず、見える「扉」は3箇所。出入り口の扉、同じ建物内のユニットの間を繋ぐ扉、脱衣所の扉。そのどれもが開き難い扉となっていた。どの扉も、入居者が開けようとすると職員が飛んできて止める。「安全のために」ということだったが、それにしてもたまには一緒に行ってその扉を開いても良さそうなものだと思った。
 さらに息苦しさを感じさせたものは、見えない「扉」だった。午後4時頃、入居者は夕食が近いという理由からほぼ全員が食堂に集められる。その後職員は、記録をするという理由で、事務所にこもる。「こもる」といっても特に壁があるところではなく、食堂から見える位置にあるのだが、背中を向けたまま入居者が居る食堂の方へは、ほとんど向かない。そして入居者の方達は、テレビの方を向くかたちで事務所に背を向けている。入居者と職員が、ぱっくり別れ、別々の世界がそこにある。その状態が夕食まで2時間ほど続く。
 その時間帯に、私は入居者Aさんの手の指に傷があることに気づいた。しかしAさんは、「忙しそうにしているから、(職員に)言わなくていい。」と話される。遠慮というよりは、まるで別世界に話しかけることがタブーであるかのように、それが当たり前のように言われるのに驚いた。私が、傷のことを職員に伝えると、「あらぁ〜、全然気がつかなかったわ。」と平然としたものだった。
 私は毎日この時間になると、食堂と事務所の間に見えない開かれることのない「扉」を感じた。本来なら、この時間は入居者と職員が話しをしたりして、関わるのに最適な時間のはずなのだが、目に見えない重い扉がその間にあり、両者が交わることなく隔てられていた。
 実習中、私は一人の入居者の担当になった。その方は、帰宅願望が強い方だということと、厚着をし過ぎるという理由から、施設で衣類を管理している方でもあった。そのためか、「外への出入り口の扉を開けたい、自分の部屋から持ち出された衣類を取り戻すために脱衣所の扉を開けたい」という気持ちが強く働いていたと思う。この施設では、これらの行動は「問題」とされていた。「扉」を開けようとしては職員に注意をされ、その方が暗い表情をされているのを私は実習中に何度も見た。私はその度、その方の不安や苦しさ、そしてやりきれなさを感じた。
 実習のまとめとして、私が担当した方のケア会議を持っていただいた。そこで、実習中「扉」があまりにも開かれないことに疑問を感じていた私は、その入居者の「自由」について話をした。私も幾分安易に「自由」という言葉を使ってしまったと思ったが、職員の方達は、この「自由」という言葉にかなり敏感に反応されたように思う。職員の話されたことは、「認知症の人が自由にやりたいようにしたら、生きていくことはできるかもしれないけれど命が長続きする保障はない」ということだった。それに対して私が、「扉が開かれないことによって入居者の不安が大きくなっているのではないか?」ということを話しても、「認知症だから・・・、認知症の周辺症状だから・・・」と延々と話されるだけで、全く聞いてもらえる感じがなかった。ここに、最も重い「扉」があるのを私は感じた。
 その職員の話しを聞きながら、「命」とは一体何なのだろうか、という問いが心の内で膨らんできたが言葉にはできなかった。安全なのかもしれないが、不安を感じ続けながら生きるのが、「命」の在り方なのだろうか。私には、そうとは思えない。安心して暮らすことができてはじめて「命」は「命」として輝くことができるのではないかと思う。第一、毎朝唱和している「その人らしく豊かに安心して暮らせる場所を」という理念と矛盾しないのだろうか。
 入居者が安心して暮らすことができないという現状があるのならば、それがなぜなのかを深く考え、様々な可能性を検討すべきなのではないだろうか。私の印象や感じたことは、確かに現場を知らない無責任な学生の発言に過ぎない。はっきりとした根拠や、説得力に欠けるものに違いない。それでも、検討するに値する話ではなかったかと思う。職員の方が話された「命」と、それは「命」ではないと感じた私。その私の心と、職員の心の間には、開かれることのない「扉」があったように思う。安全管理のあり方と、人間の命のありようの話しが、扉に閉ざされたまま交わる可能性を失っていた。
 実習で息苦しさを感じたのは、以上のような、建物の扉、空間の扉、心の扉というトリプルの「扉」だった。そして最も重かったのは、心の扉だった。この「心の扉」の存在こそが、他の2つの扉を開かせる可能性を失わせていた。心の「扉」が頑なでは、現実の「扉」が開かれるわけがないと思う。一枚の扉が開かれない息苦しさ。なぜ、「扉」があったのだろう。そして、なぜ開かれることがなかったのだろう。そういった思いを抱えて実習を終えた。
つづく
 
〒025-0013 岩手県花巻市幸田4−116−1
TEL:0198-32-1788 FAX:0198-32-1757
HP:http://www.ginganosato.com/
E-mail: