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おばあちゃんの事【2011.1】
特別養護老人ホーム 村上 ほなみ

 今年のお正月は久しぶりに実家に帰った。祖父母と父母に姉、妹と私の7人家族で、久々の家族団らんだったが、そこに祖母の姿はない。祖母は71歳だが病気で認知症もあり数年前から病院で生活している。
 祖母は私をとても可愛がってくれて、私も大好きだった。「みんなには内緒ね!」と特大のカツどんを出前で頼んでくれて、祖父と3人でこたつで食べたこともあった。2階の私の部屋にこっそりと上がってきて「ほれ!」とみかんをくれたり、竹輪が丸ごと1本入ったそばを作って持ってきてくれたりもした。祖母と二人で散歩もしたし、買い物にも出かけた。たくさんの内緒をつくり約束もした。
 しかし、わりと若い時期に認知症になった祖母を、私は受け入れることが出来ず距離をとるようになっていった。会話は減り、祖父母と3人で食事をすることもなくなった。それでも祖母は、私のことを「ほっちゃん、お腹空いてない?」と気にして2階までお菓子を届けてくれたり、私が部屋にこもっていると、心配して寒い中階段に座って待っていたこともあった。親戚が集まると必ず私のことを自慢して「1番優しいのは、ほっちゃん。将来は介護士になるんだって」と話す祖母だった。私が高校生になった頃、祖母は寝たきりになった。

 高校ではクラブで忙しくなり、朝は5時過ぎに家を出て、帰りは22時という生活で、家族と過ごす時間はなくなった。1人暮らしで、家に誰もいない状況とは違い、一緒に暮らしているのに毎日1人ですごす寂しさがあった。私は怒りやすくなり、母に反抗して家を出ることも度々あった。母とはいろんなことで衝突し何週間も会わないことが普通になっていた。高校3年生の大晦日、この日も母とすれ違い、携帯と財布だけを持って家を出て電車に乗り気仙沼の友達の家に逃げた。23時過ぎ、父からのメール「どこ?寒いんだから帰ってきなさい。」も無視して、友達との会話を続ける。何度か父からの着信があるが無視して6回目、やっと電話を受ける。
 父は「ばあちゃんが、“ほっちゃん”って名前呼んでたぞ!」と少し怒ったような、でも優しい声で言った。私は、すでに寝たきりだったばあちゃんの言葉に打たれた。「将来は介護の仕事をするよ!」という祖母との約束。「そうかぁ、おばあちゃんは嬉しいよ。こんな孫をもって」と笑う祖母の顔。いろんなことを思い出し涙が止まらなかった。
 自分勝手な感情で関係を壊し、遠ざけ、見てみない振りをしてきた自分が悔やまれた。次の日、祖母が寝ている部屋で「ばあちゃん、ごめんね…」と祖母の優しさと今までのこと全てに対する精一杯の言葉をかけた。
 先日、仕事中に「男の人は、孫が出来るとすごく可愛がる。ほしいものは買ってあげたくなるらしい。女の人は、孫が出来ると若返るんだって。子育てしなきゃ!って」と言う話しが聞こえてきた。私は祖母の顔が浮かんできて、約束したことや楽しかった思い出を取り戻したいと思った。そして、祖母に会いに行くことに決めた。

 正月、父と祖母の病室を訪ねた。「ただいま。ばあちゃん、ほなみだよ!」と祖母の頬を撫でる。もちろん返事はないが、仕事で楽しかったことや悩んだこと、おばあちゃんも知っている友達が結婚したこと、私が相変わらず食いしん坊で太ったこと、特養におばあちゃんに似ている人がいること…いろんなことを話した。話すうち最初は無表情だった祖母の目から涙がこぼれた。
 寝たきりで、重度の認知症で、言葉でのコミュニケーションはできなくても、どこかで、何かで通じるものなんだということは、銀河の里の現場で実感してきた。医療的処置や、介護的作業で声を掛けただけでは何の反応もないというのは当然だが、心の叫びは通じるという経験を日々積み上げてきた。心の繋がりやふれあいのない、ただのお世話では伝わらない。誰が、どういう姿勢で向きあうのか、そこに意味がある。そんなことを現場で自然のうちに学んできたのだと気づかされた祖母の涙だった。
 殺風景な病院の壁に写真を貼り、「また来るよ」と言って病室を出た。それまで我慢していた涙が溢れ出す。父は私の思いを悟ってか、何も話さないまま家へと帰り、そのまま仕事へ向かった。大雪で、予定よりも早く家を出て花巻に帰ってきた。途中、父から「長かったね(/;_;)でも、安心しました。ありがとう。」というメールが届いた。父は、全部を知っていた。私が祖母と過ごした大切な時間や、近づけなくなって祖母を傷つけていたことも。それでも何も言わずに何年も見ていてくれていた。メールを読んで父の思いにふれてまた涙。私は、本当に家族に愛されて育ってきたんだと実感した。これからどれだけ祖母の心に残ることが出来るか。どれだけ私の心に祖母を残していけるか。祖母との“介護の仕事に就く”という約束は叶えられたが、これからどんな介護士になっていくか、祖母にもずっと見ていてほしいと思う。
 銀河の里に就職して3月で2年になる。里での経験は、私を少しずつ変えてくれている。介護士養成の高校だったので、何カ所もの施設に実習に行ったが、銀河の里は全く別種の場所だった。そこは、他の施設では感じられなかった、人の温かさや場の温もりに満ちていた。「他のところじゃ嫌だ。銀河じゃなきゃだめ」と親の意見を押し切って花巻にきた18歳の決断だった。それはまちがいなかったと今は確信できる。里に来ていなかったら、未だに祖母に会う気持ちになれなかったかもしれない・・・まして、寝たきりで言葉の話せない祖母に語りかける事などできなかったに違いない。祖母のたましいを感じながら、それに向かって語りかける私がいる。
 
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