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ゲスト記事 「あまのがわ通信」の愛読者から!【2010.12】
社会福祉法人カナンの園 カナン牧場 菅生 明美

  「社会福祉法人」悠和会と印刷された茶封筒を眺めている。
 法人を立ち上げて僅か10年間で整備した事業所名が6箇所印刷されている。
 この現場で毎日どんな暮らし、生きる営みが紡がれてきたか、毎月の「あまのがわ通信」から、ひたひたとその息遣いを聴き取ることが楽しみであった。この通信が100号を迎えるとのこと、驚きである。なぜなら私の生業の場としている法人は事業開始37年で、機関紙100号の特集を組んだからである。「銀河の里」の現場には、安堵と共感と、たまげたエネルギ−が満みちている。その根源はなんだろう、毎月の通信からそれを探り充てようとしてきた。
 この度、「通信に原稿・・」と丁重なお便りを頂いた時、すぐにでも銀河の里をお訪ねしたい欲求に駆られたが、思い留まった。私に内在する、安っぽい価値観や、正義感を振りかざして言葉にしてしまうだろう姿が見えたからである。通信から私がなにを探ったのかをお伝えすることが役割だとおもえた。

・最初に−
 この夏、中央の新聞紙上で東京大学教授経済学者松井明彦氏のコラム「明日を探る」欄に心躍った。これまで福祉と経済は水と油のように扱われてきた。その両者の間の溝を埋めるべく、数年前から一つのプロジェクト、「障がいと経済の研究」に取り組んでいるのだ、との内容である。今、既存の社会でこれが当たり前となっている「社会的事実」を変えることが出来るゲ−ム理論を展開している。「そして、明日の社会的事実は私たちの手によって変えることができるのである」と結んでいる。この時、あまのがわ通信82号で紹介された“今年のもち米手植え”風景を思い浮かべていた。老若男女総勢70名の田植えをしました、と紹介する福祉事業所がどこにあるだろうか。小さな集落が総出で田植えをしている光景そのものではないかと。そうか「社会的事実」を創り上げる実践の場が銀河の里だ、とストンと合点がいった。

・そして−
 今まで福祉事業所と呼ばれる現場の方とお話する際は、線引きされた福祉エリアの“障がい者”のことであり、支援者と呼ばれる仕事のことであった。初めてお会いした理事長の宮澤さんは、今“ここで“生きている方と、これからどう生きていくか、まるで、自分の家族と一緒にどう生きていくかを、悩んでいる人であった。みんなしてこの地域で暮らして行こう、とされている姿、生きる根源の「農」の営みは命を支えることだろうとの主張に深く共感し、ときめきを覚えたことを鮮明に想起できる。人生を走り抜けてきた先達たちと、生活しづらさを抱えている若い当事者が、一緒に農作業されているこの事実は、まさに共に生きる姿そのものなのではないだろうか。生活智を若い世代に伝えていく営みは地域を継承していくことであり、里には地域再生の云々と学者達が論じている範疇を超えている事実があると感じている。

・すると−
 最高責任者の苦悩の一つは職員教育、現場でのお一人お一人の職員の働きが事業所の評価を決めていく。ならば、どのような隣人、同労者、人格であってほしいかを伝え切れないと実践と乖離してしまう。これは組織で仕事をする全ての企業トップがいつの時代でも課題としていることだろう。
 すると、理事長と施設長が職員に対して、なにを求めているのかは、「あまのがわ通信」から充分に汲み取れる。そしてそれに応えようとする職員集団がいることも、又汲み取ることが出来る。
 内部で話し合う、伝え合う、に留めないで、通信・ホームペ−ジ等で公にすることは、事業所がどこへ向かおうしているかを、あからさまにしてしまうことである。そのため往々にして、「こんなことしています」と淡々した行事報告が多くなる。

・しかし−
  「あまのがわ通信」の大きな特徴は、書き手が自分を語ることである。通常は避けたい手法、なぜなら事業所理念から大きく外れていることに気づかない職員が自分を語りだしたら、「なんだこれは!」となる。ところが、あまのがわ通信紙上で展開する職員の皆さんの文筆は実に個性的であり、日常を彷彿とさせる紙面となっている。私は里を訪問させて頂いた時、宮澤さんに聴いてみた「職員はどんな基準で採用となるのですか」応えは明快であった「感受性の豊かな人、絵や音楽などの豊かな感性のある人ですね」と。
 宮澤さんは職員を育て切れていない、と嘆かれるが、他者からみたら、充分に職員集団が出来てきたと思わされる。もちろん日々葛藤がある現場ですから、管理者からみたら“足りない”ことを痛感するのは重々分かる。しかし、83号でワ−クステ−ジ職員佐々木さんが、“混沌のなかで”と題して「そして何より、本質的に「農」は“暮らしであり、人間の生きる根源的なものであるはずだ。それがなければ、市場経済に飲み込まれ田畑は荒れ、伝統芸能や”結“といった助け合いの精神で繋がってきた人間関係も希薄になり崩れていく農村と同じく、銀河の里は”里“でなくなってしまう」と言い切っている。理事長と充分に語り合ってから、働き始めた方なのだろうと感じ、現場で展開されている事実を言い切ったのだろうと推察した。良き人材が活躍している、と思う。人は混沌の中、悩む力を原動力にして成長するのだから、当事者と呼ばれる方々に職員を育てて頂くしかない。

・さて−
 宮澤さんは「社会的事実」は私たちの手で変えられる、と意気込んでいるのだろうか。いやいや、ただひたすら自分はこうだからと、求めてきたし、職員にもそれを伝播してきたのではないだろうか。それに一番呼応してきたのは、人生の先輩である利用者と呼ばれる方々ではないだろうか。まさしく宮澤さんの同労者は支援を受ける立場にあった当事者の皆さんなのではないだろうか。支援者・利用者の枠を取り払う現場を創り上げてきたのではないでしょうか。私どもも当事者の方々に聴きながら現場を創ってきた、との実感があり、知的障がい者と呼ばれる彼らが仲間と共に、なやみ考え、悪口をたたきながらも、互いに支えあい、どうしたらみんなが働ける職場になるかを語り合ってきた。今、自分を語ることが出来るようになってきた従業員は、社会がどうなってほしいのか、と語りだしている。外部のサポ−タにより、発表資料をパワ−ポイントとして準備していただくと、発信ツ−ルを手にした彼らは動き出した。「こうしたら重いといわれる人でも働けるよ」と社会に向かって発信している。弊社への見学者にも「働くこと・暮らすこと」を語り、又外部での講演会等の要請もあり、活躍している。まさに「自分たちの手で社会的事実を創る」活動をしているのだと、気づかされている。その従業員に我々は育てられているのだと。

・だから−
 当法人の機関紙に対して、ある編集者からこうアドバイスされたことがある。「メディアには情報を伝える者と情報を受け取る者との媒体になるという意味と、それらを『つなぐ』という意味も内包され、この二つの意味を常に模索し続けないと、その存在そのものの意味もやがては失われていくものと・・・」謙虚に耳を傾けざるを得ない。「あまのがわ通信」はこれからも人と人を『つなぐ』役割を果たしていくだろうことに期待している。施設長の宮澤京子さんが介護福祉の現場を「ふしぎと謎解き」「深層の時間」「「物語」をキ−ワ−ドに語りだしている。どのように展開していくだろうか、当事者や職員もリレ−ト−クに加わったらこれはおもしろくなりそう!!などと勝手に、物語っている。これからも「社会的事実」を積み上げていくであろう「銀河の里」の20年後はどんな物語が紡がれているだろうか。当事者と呼ばれる立場の皆さんの声が、どんなハ−モニ−で地域に響きわたっているだろうか。我々もワクワクと待っているだけではなく、既存の社会的事実を変えていけるように歩んで生きたいと願いつつ、奥中山からエ−ルを送り続けたい。  感謝して!
 
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