トップページ > あまのがわ通信 > 2010年12月号 介護者の条件

介護者の条件【2010.12】
特別養護老人ホーム 酒井 隆太郎

 俺は、この春転職し、福祉の世界に入ったばかりだ。営業先として来ていた銀河の里の雰囲気にどこか惹かれ、ここで働いてみたいと思ったのがきっかけだった。なんの経験もないまま飛び込んだので、介護ヘルパー2級のコースを10月から受講しはじめた。順調に座学は終え最後の施設実習に2日間挑戦した。
 実習先は病院と隣接した、設立20年以上の歴史のある老舗施設であった。中に入ると、200人も入れるようなホールがあり、古い蛍光灯が並んで暗くどんよりしていた。そして会社の株主総会でもやるかのごとく整然とテーブルが並んでいた。
 ホールの横にはナースステーションがあり、リハビリの器具が並び、何人かの人がいた。ホールには人はまばらで、皆無言で静まりかえっていた。俺の他にも、専門学校から介護福祉士の実習生が3名来ていたが、ヘルパー2級の俺は格下の感があった。
 10時のおやつが終了してレクリエーション。そこで利用者さんと触れることになった。スタッフは、楽しそうに声を張り上げ丁寧な言葉で一生懸命会を進めているのだが、利用者さんの表情はなかった。実習生のひとりは汗をかきながら必死にやっていたが、誰も乗ってくれない感じで滑りきっていた。騒いではいるのだが誰も乗っていない妙な空気に包まれてレクリエーションは終わった。
 次は入浴の介助の場面に移った。凄まじい現場だった。まさに芋を洗うかのごとく次から次へと流れて製造業のライン作業のごとくだ。このスピードに乗れなかった俺は、邪魔者ヘルパーと思われただろう。これでは時間や業務に追われ、自分を失って感覚が麻痺してしまい、思考回路が断線されてしまう。でも、何故、そうしなきゃならないんだ。何かがおかしい。俺達は人間のはずだ、人間は思い、考え、心で行動するはずだと思っていた俺は、目撃した入浴介助惨劇に完全に打ちのめされた。
 昼食時、俺は見守りをするよう言われた。3人の利用者のテーブルに腰をかけたとき利用者さんと話しをするチャンスができた時はホッとした。会話のなかで俺にも心地よい時間が過ぎたように感じていた。食事が終わったあたりで女性の利用者さんから「あなたも、一緒に食べれば良かったじゃない。」と言われた。俺は監視役になっていたのだ。残したら食べさせられる、早く食べろ、そんなやつになっていたのに違いない。息子の好き嫌いをなくそうと見ていたら、息子は逆に何も食べられなくなったことがある。食事を他者から見られているのは違和感だろう。俺は、それをやってしまった。何か自分が変な人間になったように思えた。
 俺はその日、銀河の里に戻って「2日目の実習は勘弁してもらいたい。キャンセルしてほしい」と泣き言を言った。しかし、「もう一日だけだから我慢して、なかなかできない経験だし」と却下された。

 2日目、10時のおやつに豆乳が出た。昨日の失敗をふまえて、ひとりのおばあちゃんと話しがはずみ、俺とその方のいい時間が流れていた。ところがそこへどこからかもの凄い勢いでスタッフが来て、飲みかけの豆乳を振り「あっ、まだある」とつぶやくやいなや、ストローを利用者の口に入れ、豆乳のパックをジューッと絞って流し込んだ。あまりの出来事に一瞬何が起こったのか理解できず目眩がする思いだった。ゆっくり飲むことも、過ごすことも出来ないのだ。誰もが時間を失い、なにか大切なものを失っている。
 その後、昨日と同じやらせのレクリエーションがあり、そしてまた悲惨な入浴戦争が始まった。邪魔者ヘルパーの俺は浴室に行かず、女性の利用者さんに水分補給を名目に話しかけた。しっかりした受け答えで話しをしてくれて、見知らぬ俺の存在を気にかけてくれているのも伝わった。人と関わるということは本当にありがたい 事だと救われるような思いだった。その方が別れ際に「私達、年寄りにとってここは最高の場所なんだよ。」と言われた。俺は何も言えずただ呆然と座り込んだ。
 そして昼食がきた。俺は昨日と同じテーブルに座った。ゆっくりのペースで食べるおばあちゃんがいた。主食を食べ終え、副食は半分くらい残っている。俺は話しかけながら食べるよう勧めていた。そこへ昨日の経験からすると予想通りスタッフが参上した。いつまで食べてんだ!といわんばかりに副食のお皿一つを残して、他はさっさと片づけてしまった。再び現れると、副食の皿を利用者の手にさしだした。すると俺と話しながら笑顔だった表情が急に曇り、仕方なくといった感じで食べ始めた。利用者さんとは会話もせず、介護側の事情と判断をうむも言わさず一方的に押しつける。これは何なんだ。
 昼食が終わると、利用者は部屋へ帰るのだが、その車椅子のスピードが半端じゃない。F1レースのスタート直後の混戦を思い浮かべる感じだった。タイムを争っているのか?何故そんなに時間に追われるのか理解できない。帰るときも出てくるときも、必ず車椅子レースがはじまる。凄いスピードで走り、止まるときはこれまた凄い勢いで停まるので利用者が吹っ飛んでしまうような勢いなのだ。なんでそんなに急ぐんだ。
 夕食前に少し時間があいた。スタッフが俺に「ここでは、コミュニケーションがなかなかできないから、この時間でコミュニケーションをとって」と言った。
 コミュニケーションってなんだ。人間の感情や心や個性に関心を持たないでコミュニケーションが成り立つのか。それともコミュニケーションと言うサービスがあるのか。解らなくなる。コミュニケーションの土台がないではないか。ところがその一方でスタッフ達はナースステーションでおしゃべりしている光景が目についた。ホールに残された利用者は置いてけぼりの感じ。利用者とスタッフの世界は全く別の世界になっていて、関わるのは業務だけで別々に生きている。
 凄惨な現場の実態を見て、俺は柄になくかなり傷ついた。思い出すと非常に切なくなり、怒りの感情が吹き荒れそうになるので、これ以上は書かない。ともかく体と心に重い疲労が残った。

【実習を通じてこんな事を考えた】
 人間は生きている、生きている限り自分の存在を自由に精一杯表現していきたいと思う。
 人間は生きている、生きている限り喜怒哀楽を自由に表現したいと思う。
 人間は生きている、生きている限り好きな事を自由にやって楽しんで行きたいと思う。
 人間は生きている、生きている限り人との関わりや繋がり、絆を大切にしたいと思う。
 人間は生きている、生きている限り学び続けたいと思う。

 いずれにせよ今回の実習はいろんな意味でいい勉強になった。俺はまだなんの資格もなく、言わば無免許で仕事をさせてもらっているが、介護者には何よりも人間の免許が必要なのだと感じた。介護の現場では、人間同士の関係や気持ちのやりとりが大事だ。人のことを考え、自由を感じ、繋がり、絆が芽生える現場でなければ、介護は作業になり疲れるだけでただ辛い現場を作ってしまう。
 人が生きていくことがひとつの旅ならば、俺もみんなも旅人だ。障がいがあっても認知症になっても、生きている限り、人は自分の旅を歩き続ける。その旅を共に歩いて行くことが介護の現場に一番必要な感覚ではないかと思った。
 この実習の経験は、介護の仕事を目指して旅だった俺の原点になったように思う。方向性はまちがっていないと確信できた。俺は銀河の里で俺の道を行く。
 
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