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不思議を感じる感動の日々【2010.12】
グループホーム第1 西川 光子

 A子さん(仮名)は銀河の里のグループホームにきてから7年になる。最初はデイサービスを利用していたが、他のグループホームに入居になった。ところが、聞くところによると、他の部屋から物を持ってきたり、ハンドバックに色んな物を詰めこんでしまうことを問題視されていたという。ある日ホームを出て行方不明になり捜索が行われた。そこで手に負えないと見られたのだろう、病院に送られてしまったのだった。
 デイでA子さんの人柄や感じに触れていた我々は病院送りになったことに落胆し怒りが込み上げる思いだった。確かに一途な感じはあって簡単にはこちらの意図通り動いてはくれないが、色々やっているとA子さんと繋がれる瞬間があって、A子さんもこちらを充分意識して付き合ってくれる。おそらく「集団生活ができない」といった理由で、A子さんの世界を理解しようともせず、管理一辺倒で迫ったのであろう。A子さんが追い込まれた様子が目に浮かぶようだった。
 このままでは、動きのあるA子さんは、病院で薬漬けになり、寝たきりになってしまうと感じて、居ても立ってもいられない思いになり、病院を訪ねた。A子さんは閉鎖病棟から面会室に来るなり、声を出さずに大粒の涙をこぼした。「必ず迎えに来るからね」と心に誓って病院を後にした。それから1ヶ月後ダンナさんは、「A子が人間らしい生活ができる最後のチャンスとしてお願いしたい」と語られ、我々はA子さんの入居を決めた。主治医は「試しですよ、グループホームで過ごせる人じゃありませんから」と否定的な見解だった。我々はなんとかやりたいという思いであったが、当時はまだ駆け出しのグループホームで経験も浅く、大きな挑戦ではあった。
 他のグループホームと入院の4ヶ月の間で、A子さんの様相は一変していた。多飲水、物盗り、収集癖、帰宅願望など多彩な症状名をいただいていた。精神薬も大量に処方されていた。
 隣の居室からほとんどの荷物を自分の部屋に持ちこんだこともあった。確かに大変な状況ではあるのだが、スタッフの誰もがA子さんの行動を、問題とか症状として否定的には見ていなかった。むしろ、「どういう意味があるんだろう」、「なんのためにやっているんだろう」「何を伝えたいのかな」「次はどんな方法で来るのだろう」などと関心と興味を持ち、期待を込めた感じで見つめていたと思う。新聞を集めようとするA子さんに、私は思いのたけ集めてもらおうと新聞を準備した。モノ集めに対しては、バザーで出したぬいぐるみコーナーからペンギンのぬいぐるみ等、数点を選んでいくらでもモノ集めができるよう揃えたりした。
 わずか1ヶ月でA子さんの様子に変化があった。多くの症状はほとんど消え、3ヶ月目には精神薬を全てはずしてもらえるまでになった。お茶目な少女のようになってA子さんは帰ってきてくれた。その帰ってきたA子さんは、自分の部屋で集めた新聞や雑誌を積み上げたり、ぬいぐるみを使ってなにやら表現しているのではないかと感じるような作業を始めた。我々は迂闊にさわることができないのだが、周囲からは「部屋の片付けができていない」と言われて、理解してもらうにはかなりの月日が必要だった。それから我々は5年にわたって、ぬいぐるみの動きに注目をし、こまめに写真にも記録してきた。
 注目していると、ぬいぐるみとグループホーム内の人物がリンクすることも解ってきた。ぬいぐるみの動きでA子さんの感情や思いが理解できるようになっていった。最初は1羽ペンギンと白猫2匹だったが、どんどん増えていき、ぬいぐるみの動きでA子さんの辛さ,要望、現状、さらには予言まで感じさせられるようになった。
 そうした注目と記録が4年ほど続いたろうか、ある日、A子さんはハンドバックの中の物を全て捨てた。ハンドバックは社会人として働いてきたA子さんの人生の象徴であった。デイサービス時代からハンドバッグはA子さんと一体の物だった。そのハンドバッグが離される瞬間が来たのだと我々は感動した。捨てられたハンドバッグの中身が全てゴミだったという事実も考えさせられた。
 それからさらに1年が過ぎた頃、ひとつのぬいぐるみがA子さんの窓の外に捨てられていた。部屋の外に出ることのなかった、大切なはずのぬいぐるみが窓から捨てられるというのはショックではあったが、それも我々は見守る事にした。捨てられるぬいぐるみは増えていき、最初から置いているペンギン他、重要な人物を写していると考えられる数匹のぬいぐるみを残して、大半が窓の外に捨てられた。それでもいつか戻されるのかも知れないと、さわることもできないまま冬が過ぎ夏も終わって1年の日々が過ぎ去った。ぬいぐるみ達は雨、風にさらされ悲惨な姿になった。我々もさすがにもういいのだろうと、捨て去られたままで置く訳にもいかないと、意を決してぬいぐるみ供養をすることに決めた。

【ぬいぐるみ供養】
 10月12日、A子さんの窓の向こう側。その場所で儀式は執り行われることになった。この日は、私の人生を通じても不思議な体験をした一日となった。この儀式はかなり重要な儀式であることは、職員スタッフは十分理解している。ただ、利用者さん達にこのことをどう伝えるかというと、言葉としては伝えようがなかった。そこで、これは密葬とばかりに、なにも伝えず、準備だけ粛々と行った。午後2時から行う予定でいたのだが、なんとここで、誰も何も伝えてはいないのに利用者のミヤさん(仮名)が動いた。
 ミヤさんは親族に不幸や病があるとどこかで解って動きを見せる人だ。最初は信じられなかったが、あまりに符合するので当たり前になった。娘さんも、今では何かあると「動いてるでしょ」と言われる程だ。ミヤさん宅は代々神事を取り仕切る家柄だったようで、座敷全体が大きな神棚のような家の作りになっている。
 そのミヤさんと歩さん(仮名)が、事もあろうに儀式で外に出るまさにその時に、リビングの一角の畳の部屋に祭壇を作っているではないか。そこはいつもは二人が、自分の部屋だといって争いながら、昼寝をしたりしてくつろいでいる場所だ。今日は二人で祭壇を作って、だれも入れない神聖な場所になっているから、スタッフはみんな唖然とした。でもすぐに、「歩さんミヤさんありがとう」とすっかり納得して儀式に向かった。
 先頭を行くのは当然のごとくミヤさんだった。「あんまりいっぺ行ぐ事ねんだよ。何人行ぐ? こっちだ」と全てわかっている様な言葉も吐いている。 特に声かけしないのに、なんと全員が外に出て参加したのだった。用意した椅子が足らず立つ人も出た。行事の外出でも全員が出かける事は至難の技なのに、誘うのに一番苦労するミヤさんが誘いもしないのに先頭だった。
 普段から毎日、仏壇に祈りをかかすことのないヨツ子さん(仮名)は、寸前まで寝間着姿だったが、白い紐をとりだし、いつもより頑丈に襦袢を締めて気合いを入れた。そして帯もしっかり結び、今日の主席であるA子さんの隣に堂々と腰をかけてくれた。
 前日、今日の準備に草取りを手伝ってくれた歩さんは、代表のぬいぐるみを一匹、長いすに座らせている。その儀式の手はずに驚かされた。さらに普段は車いすのミサさん(仮名)は、少し離れた所で座って参加していたのだが、いきなり立ち上がり、なんと最前列にはまりこむ勢いで歩き始めた。あり得ないと言ってられないので慌ててみんなで支える。
 みんなが集まって、いよいよぬいぐるみ達の火葬が始まった。実にうまい具合に火は燃え広がり、絵に描いたように煙が静かに一本のスジを引いて天に昇っていく。それを見て空を見上げ「あれ、あれ!!」と指さしするアヤノさん(仮名)。
 燃えている炎の中から、犬のぬいぐるみの片目がチラリと見えた。A子さんも私と同時にそれに気がついた。私と握っていたA子さんの手に力が入る。その瞬間お互い目を合わせてうなずいた。
 火が消えると,現実に近い人達、つまりあまり認知症が深くない人達は、速やかに家の中へ戻った。そして、我々が異界組と尊敬して呼んでいる、つまり一般には認知症の進んだ人達が、そのまま儀式の場に残った。これがきっぱりと別れたのには驚かされた。認知症の力は偉大だと、今更ながら感じた瞬間だった。残ったみんなで、ぬいぐるみのために掘った穴に土をかける。ミヤさんはスコップでサラサラとふり下ろす。歩さんは、大きな土のかたまりを細かくしてザックザックとかける。そこを主役のA子さんがグルグル回りさりげなく土をかける。
 スタッフはセッティングはしたのだが、儀式を執り行ったのはまさに異界組のメンバーだった。おかげで充実した神聖な供養が執り行われた。
 「計画も予測もできない事が起こり、それを紡いでいくことで発見できるのが生命(いのち)の本質である」それに「畏敬の念を持ち、支えるのが生命の尊厳を守る事だ」と理事長は言うのだが、それを実感した一日だった。
 グループホームでは「認知症の威力」に日々、驚かされる。おかげで数々の感動の体験とともに、私自身の人生も深まっているように思う。
 
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