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MAYAの音楽祭と私の20年【2010.12】
施設長 宮澤 京子

 11月14日、今年で3回目となった「銀河の里音楽祭」は、アンデスの民族音楽フォルクローレを奏でるグループMAYAをお迎えした。
 MAYAに出会ったのは20年ほど前になる。高校卒業後すぐに上京し、がむしゃらに生きてきた18年間の東京生活にそろそろ別れを告げようとしていた時期だった。ひょんな事から参加したコンサートでMAYAの奏でる哀愁を帯びたメロディーに触れ、一気に魅せられた。特に「サリーリ(人の悲しみ)」は心に響き、私自身が長年、不毛の荒野を旅しているイメージと重なり、胸が詰まって涙にむせた。しかし、曲を聞きながら「これが私に与えられた道なら、歩き続けるしかない」とそんな覚悟をさせられた。厳しい現実に立ち向う自分を大きく包んでくれる「母なるもの」を曲と演奏に感じたのだった。
 のめり込むように聴き入っていると、リーダーの橋本さんの作曲による「セレナータ」の甘いメロディーに、日本人としての情緒とシンクロしてなのか、うっとりさせられた。岡田さんのサンポーニャの激しい動きが聞かせどころの「ティブロン」にも魅了された。アンコールの「花祭り」は、とても陽気なリズムで、手拍子と共に足を踏みならし心踊らせていた。初めて聞いたフォルクローレですっかりMAYAにはまり、それからコンサートがあれば欠かさず出かけたのだった。
 岩手に移ることが決まったあたりで、当時のマネージャーに岩手での公演をお願いした。移転後の翌年、公演が実現しその後も何度かMAYAは岩手に来てくれた。「銀河の里」の開所式とグループホーム第2の開所式でも演奏をしてもらい花を添えてもらった。それ以来あっという間に8年の月日が流れ、今年は銀河の里10周年の節となる音楽祭なので、是非ともMAYAを聞きたいということで、久々の再会となった。

8年ぶりに銀河の里で演奏を行ったMAYAのメンバー

乾き飢えた魂に「聞かせてくれ!MAYAの音色」

 8年ぶり、出会ってから20年の年月を経て、4人のメンバーはそれぞれに活動の場を広げ、アーティストとしてのキャリアを着実に積み上げ、(体型も1周り大きくなって)そのダイナミズムを「里のホール」で響かせてくれた。橋本さんは、日本におけるケーナの第一人者として、昔からカリスマ的存在であったが、久しぶりの演奏は「大人としての風格」が宿ってきたとでもいうのか、完全に身を任せられるような安心感があった。ケーナという楽器があたかも彼の身体の一部であり、心(感性や霊性)と一体となって、たおやかに奏でられていくような感じがした。
 プロフェッショナルとは正にこういう事なのだろう。技量は20年前も相当なもので、圧倒的な感動をもたらしてくれたが、星霜を経てお互いに青年ではなくなった今、その仕事を通じて、人生への確信や深みにつながる大切なものを積み上げてきたのだ。
 そんな進化したMAYAの演奏は、私の中にあった不毛の荒野が、20年間の年月をかけて草木の生える大地に変化してきたことに気づかせてくれ、やっと赦しと解放を味わうことができた。私にとっては、なんとも爽やかな目眩さえ感じるほどの出来事だ。
 人が育つこと、自らを鍛えること、キャリアを積むこと、それは「どう生きようとしているのか」、「どんな私になりたいのか」ということの発端から、ジェイムス・ヒルマンのいう、本来の私らしさ:キャラクターとしての「性格」に帰結するのではないかと考える。
 銀河の里には、鍛えてくれる高齢者や、エネルギーに満ちた個性豊かで不思議な人達がたくさんいる。そこに四季折々の豊かな自然が加勢してくれ、「銀河の里」は育つ環境として、十分すぎるほど整った環境といえるのではないだろうか。
 これからの20年先を見据えたとき、里のスタッフ一人一人の変容がどんなであるか、そのプロセスがどのようなアートシーンとして描かれ奏でられていくのか、とても楽しみである。

 MAYAは今年新たなCDを出したことで、コンサートの日程も多く入っていて、忙しいとのことだった。現役として着実に活動し続けてくれていることが嬉しい。MAYAは私個人のこの20年の歩みと、「銀河の里」の歴史にリンクして語られる大切な人たちである事に感謝したい。

アンデス音楽がホールに響く


手拍子で盛り上がる観客


打ち上げ後の記念撮影
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