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私とあまのがわ通信 〜編集後記に代えて〜 【2010.12】
デイサービス 小田島 鮎美

 銀河の里に来てまもなく通信と出会った。1部を手に取り読んでみるとまるで自分もそのことを体験しているかのように心が動き、その世界にひきこまれ、タイムリーに発行されたものから過去のものまでどっさり家に持ち帰り読みこんだ。銀河の里のスタッフと、そこで暮らす利用者さんが、介護者と利用者ではなく「あなた」と「わたし」という関係で出会い、感性豊かに、つながり、ぶつかり、個性を全開にして色濃く過ごしていることがありありと綴られていて、次々と通信を読んだのだった。
 銀河の里で、私はたくさんの人に出会い、その人の人生や思いに触れ、感じ、考えてきた。さらに、農業、昔の暮らし、音楽、芸術、本…今までで触れたことのないものにたくさん出会い、心が動かされ、その出会いを通してこれまで考えもしなかったことを自分の中にテーマとして投げかけ考えるようになっている。
 この秋、私は初めて家族の死を体験した。7年間、一緒に過ごした愛犬の死。布団に横たわっている愛犬は、大事な何か…「あなた」がなくなってしまい、抜け殻のようだった。冷たい体、ぺったりと垂れ下がった耳、血の気のなくなった青白い毛と肉球、硬くなった頬の筋肉。半分開いた、うつろな目。心が通わない、私を感じてくれない。彼はどこへ行ってしまったんだろう。繋がっていたものが、ぷっつりと切れてしまった感覚。
 腎臓の機能が落ち、おしっこが出なくなり、おなかが パンパンに膨れあがっていた。その体をなでながら一晩中涙がとまらなかった。
 翌日、どしゃぶりの雨のなか火葬に向かう。炉の扉がガシャンと閉められたとき、もっと遠くへ行ってしまうんじゃないかといっそうつらい気持ちになって、みんなで名前を呼ぶ。けれど、お骨になって、なぜかスッと気持ちが落ち着いた。死を受け入れている自分。体はなくなって、目には見えない存在になってしまったが、愛犬はいまも見守ってくれていると感じた。火葬が終わって、雨も止んでいた。家に帰って、お線香をあげ、お水とごはんを置き、手を合わせる。その日の夜、私はやっとごはんが食べられるようになった。
 亡くなった体をきれいに整え、明かりを灯し、最後の時間を過ごす。お葬式で別れの挨拶をし、みんなで送り出す。火葬をし、大事に、思い思いにお骨を拾う。お骨を墓におさめる。亡くなったあとも、お線香、お水とごはんを上げ、毎日手を合わせる。死によって切れてしまったものが、またつながる。死の儀式のひとつひとつに意味があり、それはこころと深く結びついていることを知った。死を肌で感じ、自分自身の心の動きを見つめ、動き続け変わり続ける命というもの、生きているとはどういうことなのかいうことについて考えられたのは、銀河の里の土台になっているものに守られ、支えられているからだと感じる。その土台のひとつに、あまのがわ通信があると私は思っている。
 
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