トップページ > あまのがわ通信 > 2010年12月号 遊びと出会い

遊びと出会い【2010.12】
特別養護老人ホーム 板垣 由紀子

 オリオンの邦恵さん(仮名)と、私はいつもポンポンと言い合う。邦恵さんは江戸っ子を絵に描いたような人でストレートにハッキリものを言う。奥歯に衣を着せたような物言いでは、「何いってんのか分かんないわよ。」とバッサリ切られてしまう。そんな邦恵さんに「江戸っ子だってね〜神田の生まれよ。」と投げかけると、「私?神田じゃないわよ。谷中初音町」上野の裏あたりらしく、小料理屋をやっていたとの話。やはり江戸っ子だ。
 車いすの彼女の介助は大騒ぎだ。始めは「いた〜い。足折ってんだからね〜(もう完治しているけど)優しくしなさいよ。薄情な女ね〜。」ときた。やがて「いた〜い〜。」がなくなり、「上出来!」と合格をもらった。それからは私も「いい?つかまってて踏ん張ってよ、空飛ぶよ〜。ついてきてね〜。」「さぁ〜ダンスするよ。ここに手を回してね。」二人で楽しんでいる。
 パット交換も「止めろ〜。叩くぞ〜」と攻撃があるので、「こっちは拭いてやる」と応戦する。自分の部屋での邦恵さんはこんな感じで遊んでくれるので、こちらも介助する立場を感じないで済む。
 ユニットすばるのもうひとりのクニエさん(仮名)。こちらは言葉が少ない。だが意思表示はハッキリしている。朝食後、暫く車いすで過ごしたが、疲れたようなので、ベッドに移動した。昼食の時間になったので誘うと、首を横に振って断る。食欲も無いのかもしれない。
 少し時間をずらして、ご飯の誘いに行くとやはり首を横に振った。「じゃ何かおいしいもの飲むだけでも私に付き合って」と誘うと、首を小さく縦に振った。飲み物を口にするが、なかなか飲み込めない。クニエさんも冴えない表情をしている。人目が気にならないように、みんなから離れて、窓の外の景色を見ながら、ゆっくり食事をしていた。そのうち、隣のユニットから卓球で遊ぶ歓声が聞こえてきた。その声に「卓球でにぎやかだね。」と言うとこくりと頷く。
 クニエさんの手は冷たかった。「今日寒いから手冷たいね。」とさすりながら手をちょっと握ると、クニエさんが私の親指を抑える。指相撲になった。私は負けずに親指を抜いて上に重ねると、負けじとやり返してくる。結構本気で力が入る。「クニエさん、実は、負けず嫌い??」と言うと、にか〜っと笑う。「あれっ?さっきまで疲れて寝てたのはタヌキ寝入り??」と聞くと、大きな口を開けて笑い出す。二人で大笑いしながら「それじゃ〜この芋食べたらもっと力でるからどうぞ。」とおかずを勧めると、パクリと食べてくれた。「どれどれ、力ついた?」と声をかけると、なかなか指をはずせないくらいの力が加わる。「やるな〜クニエさん。」そのうち負けそうになるとひょいと人差し指を使って勝とうとする。「ええっ反則だ」私の遊び心も全開。
 「おぬしも悪よの〜」と言うと声を上げて笑い出す。その後はさっきまで飲み込めないでいた食事がうそのように進んだ。隣から聞こえてきた遊びの雰囲気に押され、はじめの「食べさせなければ」は、どこかに消えていた。遊びには、不思議な力がある。遊びを介したとき、私と2人のクニエさんの間に介護する人とされる人という縦の関係が、横の対等な関係に変わっていた。遊びの時間は、ゆっくりと流れる、無駄なようでも遊びを失うと、大事な何かも失ってしまうように思う。

 銀河の里で働き始めて気がついたのだが、私は実用主義一辺倒な人間だった。時間も無駄なく有効に使って、技術を磨いてスキルアップしようという考えが強い。その傾向は今も変わらないが、現場で働き始めて分かったのは、今まで無駄だと思ってきたことがとても大事に思えるようになったことだ。
 コンサートで音楽を聴くことや展覧会で絵を見ること、そしてチケットを買って演劇を見ることなどは無駄なことに思っていた。音楽を聴くならCDで十分くらいの感覚だった。絵もどう感じていいのかよくわからないと思っていた。中学の美術で、ピカソのゲルニカを見たがさっぱりわからなかった。でも今はピカソを面白いと感じられる。
 銀河の里で働いて3年目に林英哲の太鼓と出会った。最初はセミナーで紹介されたDVDから、一心に太鼓を打つ英哲のその姿が迫ってきた。翌年、芸術研修で林英哲のコンサート「澪の蓮2006」を聴きに行ったとき、ちょうど私の部署移動と重なり、「舟歌」という演目の勇ましくダイナミックな曲を聞きながら、新しい出会いへの船出のイメージが湧いて自分自身が意気揚々としてくるのが感じられた。
 里の音楽祭では、コンテンポラリーJAZZと出会った。初めて聞いたときは、さすがに戸惑ったが、翌年(2009年)のJAZZは、個性と統合の正にその緊迫したやり取りに興奮した。
 今年の研修では演劇に感動した。同時に美術館も何カ所か見て、クロード・モネの絵に出会い“色の暖かさ”に癒される感じがした。特養ホーム立ち上げの苦戦でへとへとになっていた私に、モネの夕日の暖かさ、朝日のまぶしさ、雨の大聖堂の憂い、色々な質感が心にしみて、パサパサになっていた心が潤う感じだった。
 現場では時間通りに行かなかったり、こちらの都合では進まなかったりすることばかりだ。ともすると、福祉現場では、介護する人とされる人にきっぱりと上下関係をつくって管理し、時間で仕事を終らせる為に“もの”として扱いがちになる危険性をはらんでいる。そうした福祉現場の落とし穴のような危険を回避する為に、“遊び”の持つ役割は大きい。「遊び」は、ふざけることでも、怠けることでも、また甘えることでもない。遊びは人と繋がる最上級のコミュニケーションに違いない。思えば私も、根っからの効率至上主義者ではなかった。子供の頃は、よく空想したりしていて、母からは“スローモー”(行動がトロイこと)と言われていたのを思い出す。
 絵や演劇、音楽などを通じて遊びに繋がる要素を私自身が受け入れていることは大きい。福祉施設でこういう研修を重視している所はおそらく他にはないのではないか。銀河の里には介護作業を越えて「人間」や「生命」を真剣に見つめようという真摯な姿勢が根底に貫かれており、そのことが私を成長させてくれていると思う。
 
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