トップページ > あまのがわ通信 > 2010年11月号 変容、魂、銀河の里

変容、魂、銀河の里【2010.11】
ワークステージ 米澤 充

 自宅にマルク・シャガールの「私と村」という作品が表紙に載った雑誌があった。大きく描かれた牛のような動物の頭部と緑色の大きな顔、カラフルに描かれた街、牛の乳搾り、大きな鎌を持った農夫から逃れる女性。その独特で鮮やかな色彩と幻想的な絵がなんだか不思議な絵という程度だが、ずっと気になっていた。
 8月の東京研修の自由時間を利用し、上野の東京藝術大学美術館で開催されていたシャガールの展示会を見てきた。
 これがすばらしい展示会で、展示方法のうまさもあってか、はじめて目にする本物のシャガールの作品に、何点か見ただけで画家に対して抱いていた思いや印象、絵画の見かたが変わるほどの衝撃だった。
 シャガールの絵にはいくつかの要素があるようで、@作品の随所に故郷を描く望郷の念、A最愛の妻とシャガール自身が投影された恋人たちの愛のイメージ、B旧約聖書からの逸話をモチーフにした作品、C牛や鶏などの動物、Dパリに対する憧れなどである。特に@とAの故郷を大切に思い、一途に妻を愛し、現代人が忘れかけている人間性に迫るシャガールに感銘を受けた。今回、その画家が生きた時代背景や画家自身の人柄や性格といった個性を重ね合わせて見ることで、鑑賞の楽しみ方が膨らんだように思えた。

 展示会では約50分におよぶシャガールの人生を追ったドキュメンタリービデオが上映されていたのだが、そのビデオにはシャガール本人が出演しており、その言葉の一つ一つが強烈だった。売店で売っていた5000円もするそのDVDを感動のあまり衝動買いしてしまったほどだ。

(どう描いたかという質問に対して):『何度も言うが、どう描いたか見るのではない。その変容を見るんだ。』
(他の画家らが提唱してきた既存の表現方法に対し):『敵意を常に持ち続けた』
 『感動がなければ、仕事を辞めたほうがいい』
『全ては魂に書かれている。我々はそれを写しているにすぎない。見ているものではなく、内にあるものを写すんだ。内にあるものとは、我々の現実だ。』

 取り組んでいる仕事がどうしても作業的になってしまい、忙しさにかまけて変化させる事を面倒に感じ、現状をキープしよう(楽をしよう)という考えになりがちの私にとって、“変容” や“既存方法への敵意”という言葉は、シャガールからのメッセージをもらったようで、強く胸に響いた。
 また、“魂”というワードが頻繁に出てきたが、戦争という時代背景にもかかわらず、自分の中に揺らがない信念“魂”をもち続ける事が出来たため、97歳で亡くなるまで挑戦し続け、絵を描く事が出来たのだろうと思う。

 幻想的な作風と“全ては魂だ”というような発言から、おそらくシャガールは奇妙がられたように思うのだが、それが顕著に現れているのが1958年、シカゴで行われた記者会見での質疑応答での一コマである。

質問:「夢を“転写”することもありますか?」
シャガール: 『私は夢をみません。私が描くのは夢ではなく、生命です。』

質問:「他の巨匠で手本にする人は?そこから何を学び取りたいですか?」
シャガール: 『私が求めるもの、それは人生の意味としての製作です』

質問:「絵画の中で、構成が最も重要ですか?」
シャガール:『絵画の中では、すべてが重要です。』

質問:「風景を描くとき、より強く感じるのは光ですか、それとも線ですか?」
シャガール:『どの風景を前にしても私は感動します。でも人物や人生の出来事にも、同じくらい感動を受けるのです。』

 この質問者らの質問のズレ具合が何ともおかしい。質問者らはシャガールの描き方や方法論を探り出そうと質問するが、自らの信条や自分の内にあるもの、いわゆる魂だと言い切るシャガールが、私には“銀河の里”と“世間”の関係とリンクして見えた。
 目には見えにくく伝わりにくい“魂”だったり“祈り”だったり、そういうのは怪しまれる対象になる現代だが、そこが本質的に見直される時代なんだと思う。

 「俺が銀河の里を立ち上げる前には、建物も機械もなにも無かったが熱い思いはあった。しかし今、何でもあるのに、おまえには熱い思いがない。」との理事長の言葉が、シャガールの言葉と重なった。夢をもって変容し続ける、それを魂に刻み、銀河の里と共に成長していきたい。

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