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ケアと教育の逆転【2010.11】
理事長 宮澤 健

 銀河の里では、昨年の特養開設以来、立ち上げに苦労している。苦し紛れにくだらないことが思い浮かんだ。それは、福祉施設と学校の目的を逆転させてみたらどうかということだ。少子化もあり、小中高等学校は統廃合が進み大型化してその数は減り続けている。一方、高齢者の介護施設は急増し両者の増減は対照的だ。その両者はそれぞれに様々な重い問題を抱えており、学校は心を病み、介護施設は予算がなくて人材不足に喘いでいる。これは、現代の社会の端的な反映に感じる。
 思いついたのは、この際「学校はケアをする場」、「高齢者施設は若者を教育する場」としてみたら面白くならないかと言うことだ。確かに教育の本質はこころのケアにあり、介護の本質は人間の教育であってしかるべきだ。
 現実には、それぞれが本質からずれた表面的な運営になって苦しんでいる。両者とも文明開化の時代とは違った上質性が求められるはずで、進化が求められる。数学者岡潔は、孔子の「最初は学を努め、次に学を好み、最後に学を楽しむ」の三段階説を上げ、孔子が「楽しむまではいけなかった」としているのを引き、孔子が楽しむまで行けなかったのを、自分が軽々とやれたのは、学問が進化しているからだと言う。
 20メートル空に浮かぶことが革命であったライト兄弟の時代から、ハヤブサがいかに完璧に他の天体に行って返ってくるかを求められるような進化は、教育や介護の現場にはないように思う。逆にますます機械的になり作業をこなすだけで叡智や感性が働かなくなるつつある。こうした仕事は職人や専門職でなければできない種類の仕事で、労働者が賃金の対価でのみ考える事ではない。叡智が必要な現場に叡智がもたらされないのでは進化も止まる。
 現在、介護の仕事は3Kの代表として君臨し、それは国会でも認証済みだ。低賃金ばかりか、社会的評価も低い割の合わない忌み嫌われる職業になっている。就職難で職安がごった返していても、介護現場は常時人手不足だし、介護福祉士の専門学校では生徒が定員を割り続け、卒業生もほとんど介護職には就職しない。
 一方、学校ではイジメが日常化し複雑化している。大半の人が、その被害に遭わざるを得ない状況で、ひどい場合、小学校3、4年から高校まで、さらには大学までも、10数年をイジメ地獄を味わいながら育たねばならない現状がある。社会に出たときはぼろぼろで、コミュニケーションは怖くてできず、分厚い殻をかぶって閉じこもらざるを得ない。
 学校は、「子どもや家族をケアする場」として位置づけられると救われる人は多いに違いない。そして介護施設は、「介護を通じて人間を発見し、学ぶ、教育の場」として位置づけるなら、介護の評価も上がるだろう。学校で子どもやその家族、ないしは地域のケアが行われるとしたらありがたいし、社会的費用対効果としてその成果はかなり大きいはずだ。
 介護が教育となれば、低賃金とはいえ、お金をもらいながら教育が受けられる訳で、一挙両得だ。人間の生死を含んだ、生きることへの深い知見を持った職業として、介護職の社会的評価が高くなればそれだけでも、人間の存在とその尊厳にとって大きな意味があるはずだ。
 苦し紛れに、「銀河の里は、表向き介護や障害者支援の福祉施設だが、その本質は人材育成の教育機関だ」だとうそぶいてきたが、その方向は間違っていないとの確信はある。こうした異質性は、行政など一般には違和感があるらしく、大いに煙たがられているが、受ける偏見や起こる摩擦は、創造的な戦いをやっていることの証拠だと自分に言い聞かせながら、なんとか耐えている。
 
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