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お産と介護現場【2010.10】
グループホーム 米澤 里美

 私は8月に長男を出産した。お産。原始時代から当たり前のように、繰り返されてきた命の営み、その中で私も生を受けて生きているわけだが、この当たり前の事を自分が経験してみると、何とも不思議で生命の奇跡を感じる。
 妊娠する前は私だけの身体だったのに、お腹の中に命がやってきて、私とは別の命を持ったヒトが胎内にいるという不思議な体験。私の胎内に赤ちゃんがいた10ヶ月間、胎動は、金魚がお腹で泳いでいるような感覚から、臨月にはぐにょん、ぐにょんと左右にお腹が大きく動いて、語りかければそれに応えてくれた。何から学んだわけでもないのに、目には見えないところでぐんぐんと赤ちゃんは育ってくれて、身体が生命の奇跡を教えてくれた。
 お産は現代に残された最後の自然だと産科医の吉村正は著書で記している。(『お産! このいのちの神秘 - 二万例のお産が教えてくれた真実』)現代産科学はお産を家畜化させ、母子関係の絆を弱め、いのちを乾かして干物みたいにしてしまっていると批判し、徹底的な自然なお産を実践している。人工的な介入をすることなく自然なお産をすることは、女性の古い脳から本能を沸き立たせ、女性は真の女性性に目覚めるという。女性はいのち、魂を抱く性、目に見えない命や魂、心や想いの世界をつかさどる性だと話し、「いのちを引き継いで連綿と生き続ける女なるものの中に、スピリチュアルで宇宙的なるものを、いやでも見せつけられて、男は頭を下げるしかないのだ。つくづく女にゃ勝てん!」と言っている吉村氏。妊娠がわかって不安にかられているときこの著作を読んで勇気をもらった。
 銀河の里で働いた6年間は、目に見えない心や魂と向き合わせてもらった濃厚な時間だった。里の器の中では、障害者や認知症高齢者というくくりではなく、「私とあなた」で出会えた。「私とあなた」の出会いは、魂や心といった深いところが混ざったり、溶け合ったりしながら一緒に生きているという感覚をリアルに実感として蘇らせてくれた日々だった。
 しかし、里の器なしでは現実はなかなか厳しいのも実感している。一歩外を出れば、障害者や認知症とくくられ、システム化されてしまって心や魂はたちまち不在となってしまう。
 特養ホームで修さん(仮名)の容体が急変し、救急車で病院へ搬送したのだが、病院について間もなく、修さんは息を引き取られた。救急車で同行した私は、修さんが腕にしていたまだぬくもりの残っている腕時計を握りしめてご家族が来られるのを病院で待っていた。かけつけてくれた家族さんに息を引き取られたことを伝え、医師のもとへ案内する。すると医師はすぐさまレントゲン写真を見せて死因を家族に説明、その横を修さんの遺体が運ばれたが、家族はそれが修さんだとは気づかない。しばらく説明を聞いてやっと部屋に案内され、修さんと家族が対面となった。さっきまで息をしていたまだ温かい体の修さんにすぐに家族と会わせてもらいたかったと愕然とした。修さんとの対面を終えた家族へずっと握り締めていた腕時計を渡し、悔しく申し訳ない思いでいっぱいだった。
 医学の進歩でたくさんの命が救われてきた。けど一方でデータや数値という目に見えるものだけしか信じられないような風潮が漂い、死に対しての畏敬の念が薄れてしまった感がある。あの世へ逝くことも、生まれることも、人工的過ぎて、どこか不自然だ。
 妊娠中の10ヶ月の間に、特養で短いながらもお付き合いさせていただいた5人の方と祖父とのお別れがあった。そして里では、私を含めて4人の女性スタッフに命が宿った。死は終わりや敗北というよりは、むしろあちらの世界への旅立ちを思わせる。5人の方と添わせてもらった時間は、豊かで深く、その人が残した言葉や表情やその存在が色濃く私の心に刻み込まれている。旅立つ命とやってくる命。生と死という永遠のテーマが一気に私に迫ってきた。
 お産の前日から1時間間隔の陣痛があった。陣痛は30秒とない痛みなのだが、陣痛が来るたび、30秒の内の1秒でも死を覚悟する瞬間があった。その一瞬が過ぎれば何もないのに、また陣痛がやってきて死を感じる。まるで宇宙からのエネルギーが一気にお腹に押し寄せてくる感じだった。吉村氏は「いのちがあって、死がある。死に直面することで、人間は逆に生を感じる。お産は死と向かい合わせな側面を持っている。」と言う。
 命を産むために、命は命をかけるんだと実感した。陣痛の間隔が5分から3分へと狭まるにつれて呼吸が苦しくなる。陣痛と陣痛の痛みのない間、夢をみた。白い世界で白い箱に入った赤ちゃんと私が二人きり。赤ちゃんは青年のような声で「産まれるからね。よろしくね。」と私に語りかけ、陣痛の痛みで目が覚めた。あちらの世界に行って来たかのような不思議な感覚だった。夫の腕に必死にしがみつき、まもなくしてパァ〜ンと破水。しだいに頭が出て、ゴボッゴボゴボ〜と羊水を吐き出す音とともに顔が出て、ニョロ〜ニュル〜ンと温かい腕や足がでるのがわかった。夫が息子にカメラをむけると舌を出して「あっかんべぇ〜」。それが息子の誕生だった。
 グループホームのクミさん(仮名)は今年に入ってしばらく「赤ん坊」のことを心配していた。「赤ん坊なして、死んだんだかな、生きたんだかな・・」と言いながら「行かねば」と歩く日々が続いていた。クミさんの言っている赤ん坊は現実的な私の身ごもった赤ん坊ではないのだが、「赤ん坊」「生と死」という象徴的な表現から、どこか時空を超えて繋がってもらっているような気がしていた。
 里で生きた6年間、こうした魂のレベルで私は守られてきた。そしてこれからは、子育てと共に、目に見えないものの存在を守っていかなければならないと思う。

めんけ〜こと〜
 
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