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フィリピン散策記3〜そこに生きる人々〜【2008.06】

ワークステージ 高橋 健
 

 10分程歩いていると、バスターミナルらしき場所を見かけたので近づいてみると、突然数人の埃にまみれた男達が僕の周りを取り囲み、舌をまくしたてながら、何やらわけのわからぬ言葉を話してきた。僕は状況を全く理解できず、ニヤニヤしていた。途方にくれている時に出る僕の悪い癖である。ただ、ひたすら笑っている日本人に業を煮やした男が僕の腕を引っ張り、強引にバスの中に連れ込もうとした。そう、彼等はバスの呼びこみなのである。大半の呼びこみが10代前半の少年達だった。フィリピンでは、どこに行こうと、多くの子供達が大人達と同様に立派に働いていた。


  日本では、働いているところはおろか、子供達が遊んでいる姿すらほとんど見かけることがない。現代の日本の高度資本主義は幼い子供達までも消費者の対象として絡めとり、人々の欲望をエネルギーにして駆動し続けている。


 僕も消費社会の奔流に呑まれてきた世代ではあるが、小学校低学年の頃に月に1度くらい大工をしていた親父に建設現場に連れて行かれ、朝から夕方まで手伝いをさせられた。その様子を見ていた会社の社長が気をきかせてくれて、月末に2000円入った給料袋を僕に渡してくれた。その給料袋には「高橋健」としっかりと僕の名前が書かれていた。給料袋に僕の名前が書かれているのを見て嬉しさがこみ上げてきたのを覚えている。なぜそのような感情がこみ上げてきたのか今になってもよく解らないが、おそらく、僕の小さい身体でも富を生産できる主体になりえるのだということを身体が感知したからなのだろう。僕が生産したその富に、僕の名前が刻印されている、この瞬間に「所有」という概念が僕の中で確立し、それとともに、「自己」が芽生え始めていったのではなかろうか。このようなプロセスを経ないと、「ドラえもん」に出てくるジャイアンのような自他の区別が欠如した所有感を持った子供が育ってしまうのではないか。俺のものは俺のもの、お前のものは俺のものといったように。日本の多くの子供達は「生産する喜び」を享受できずに、ジャイアニズムに支配されているのでは・・・、気のせいか・・・。


 いやはや、また脱線してしまった。フィリピンに話しを戻そう。呼びこみの男にされるがままに、バスに乗り込むと、バスの中は空席が目立っていた。僕が席に座ってから運転手が乱暴にアクセルを吹かし前進したので出発するのだと思いきや、即座に後進し、また元の位置に戻った。前進と後進を何度も何度も繰り返すので、「この運転手、気でも触れたか」と訝しげな表情をしながら運転手を見ると運転手は、両隣のバスの運転手を睨め回していた。両隣の運転手も競うようにして、前進と後進を反復していた。ターミナルには30台程のバスが止まっていたが、どのバスも例外なく、前進、後進、前進、後進、前進、後進・・・である。30台ものバスが「今すぐ出発するから早く乗り込みやがれい」と威勢のいい啖呵を切っていた。轟音を立てながら響き渡るバスのエンジン音に負けじと、呼びこみが怒鳴り声をあげ、その大声に負けじと売り子が、狂ったように声をあげ、バスに体を前後に弄ばれながら、僕は小さな悲鳴をあげ・・・。エンジン音と大声と排気ガスと埃と汗臭さが乱舞し、まるでお祭り状態である。30分程経ち、席が満員になると、やっとこさバスは目的地に向けて出発した。どうやら、セブから30キロ程南方にあるカルカルという街に行くらしい。料金は70円くらいだったろうか。整備されていない、デコボコした道路を猛スピードでかっとばし、すぐ前方にカーブがあるというのに、クラクションをけたたましく鳴らしながら車を追い越していく。バスは海岸沿いを疾駆し、青く輝く海を眺めているうちにあっという間にカルカルに到着した。(続く)
 
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