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繋がる戦い 華と鬼【2008.06】

グループホーム第2 板垣 由紀子
 

 バンバンと毎日テーブルを叩く豊さん (仮名)に、例のごとく「何たらうるせな、静かにせ〜おめの面でもただげ。小馬鹿たれ。」とサチさん(仮名)が怒鳴る。グループホームは大騒ぎになる。怒鳴るのはそれだけではない。せっかくゆっくり食べている人にまで「何だその食べ方、ベラベラと食ってしまえ。」「そったな食べがだねんだよ、小馬鹿たれ。」と攻撃する。空気が悪くなるので、スタッフはいろいろと声をかけるが、さらに興奮し大騒ぎになったりすることも度々だ。


 ある時、食事中の利用者の皿をかたづけてしまい、「べらべらと食べるのっす。小馬鹿たれ」と叫んだサチさんが許せなかった私は「何でそんな言い方するの?」と怒りを向けた。 サチさんは「何たら、んで、俺がわるってが?」と言う。
「悪いとかじゃなくって、今食べてるんだから、私に任せてよ」
「何たら、おめ人の悪口する」
 私もこうした時はゆとりがなく、説き伏せようとしてしまう。結局通じず、興奮して「あとしらね。好きにせ。」とそっぽを向かれてしまうが、たまには「解った」と収めてくれることもある。でもバトルの後で「何時に出かけるのや」と穏やかに話しかけてきて関係を取り戻すのが サチさんのかわいいところだ。
 サチさんは毎朝夕、授産施設「ワークステージ」の送迎バスに同乗している。「8時半になったらバス来るえ。」と待っている。そんな サチさんを毎日迎えに来てくれるのが、ワーカーの雅之君。 「サチさんバスに乗りますか?乗りませんか?」 「乗ります」とふたりは手を繋いでバスに乗る。サチさんは人の顔を覚えないタイプの認知症で、毎日来ている雅之君のことは「誰だかわからね」が、ふたりの関係は深い。スタッフが誘っても絶対昼寝はしたことのない サチさんだが、ある日雅之君が、昼休みにサチさんと部屋に行ったと思ったらサチさんはベットで寝ていた。どうやったらそんなことになるのか、スタッフが同じことしたら怒りまくるはずなのに、信じられない。


 ワーカーのミコさん(仮名)も午後をグループホームに来て過ごす事がある。例のごとく豊さんのテーブル叩きに、サチさんの「うるせ〜」が響き、「叩くぞ」と勇み立つ サチさんにミコさんが微笑みと共に「サチさん・・・エ・ガ・オ」と声をかけた。サチさんもその雰囲気に「ア〜ハハハッ」と怒った顔をしながら笑っていた。
 知的障害のあるこの二人の言葉はすごい。教科書的だったり、何とかしなくちゃと役割的に言葉を発する職員と違って、真っ直ぐに、素直な心を伝えてくる。それは切る言葉ではなく繋がる言葉だ。注意したり、説教をするのは簡単だがそれは人の心や関係を切り刻み、気がつかないうちに操作や管理に陥りやがて支配をしてしまう危険性を秘めている。そこには自分は関わりを避け、傷つかない所にいて、相手だけを切り刻もうとする暴力を感じる。


 私はすぐバトルになってしまうが、相手を切り離しているわけではなく、引き出されたり、引き受けたりして、感情を動かして、傷つけ、傷つく。不器用ながらもなんとか繋がろうという戦いなのだが、苦しい。これには第三者の守り、眼差しがほしいところで、見守られ感のないバトルはかなりきつい、守りがなければやらないほうがいい場合もある・・・・。未熟な私はあとで気づき、やらなきゃよかったと思うこともままある。
 私は繋がろうという気持ちや姿勢は強いのだが、どこか未熟で鬼になってしまうのだろう。雅之君やミコさんはどこか「華」を持っている。利用者の春江さんもそんな「華」を感じさせる。和室でクッションチェアーに腰掛けていても優雅だ。リビング全体を眺め、そのときの空気を読み、場を支え包み込む。彼女はきっと相手のことをいろいろ感じ、イメージしているに違いないと思う。それはかなりクリエイティブな作業だと思う。華のある人は誰かと、何とか繋がろうというクリエイティブを持っている。
 私は繋がろうとして「鬼」になってしまうが、繋がる戦いの中で洗練されていつか「華」のある人になりたいと願うものである。


 

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