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フィリピン散策記2 〜そこに生きる人々〜 【2008.05】

ワークステージ 高橋 健
 

 もちろんカルボン・マーケットにいた全てのフィリピン人が生動感溢れる表情をしていたわけではない。僕が多くの人々でごったがえす小道をふらふらとした足取りで歩いていると、絶望と懇願が入り混じったような双眸で僕を見つめ、金銭を要求する物乞いが数人いた。その物乞いと視線が合った瞬間、僕は哀れみでも悲しみでもない、何か重苦しい澱んだ想いに駆られた。
 僕が意図したわけでもないのに僕と彼の間には瞬時にして金銭を媒介とする支配関係が成立してしまっていたのだ。日常的な空間でも支配関係の網の目が不可視に張り巡らされているが、彼が僕に手を差し伸べ、露骨に金銭を要求する行為によって、その権力関係がより一層顕在化された。


 

 介護の現場では、たびたび自己の持つ「意図しない暴力性」に気づかされる。僕は幸造さんと出会って間もない頃、幸造さんと目を合わせた瞬間に恐ろしくなって、すぐに目をそらせてしまった。僕は幼少時から僕が発する何気ない一言が発端で暴力が猖獗を極めるような、ぎすぎすした緊張感に満ちた家庭環境で育ったこともあり、常に相手の表情を観察して相手の心情を読みながら話しをする癖がある。しかし、この時は幸造さんの眼を見ても幸造さんが何を考えているのか、どんな感情を抱いているのか全く理解できなかったため、どう反応していいか解らず恐ろしくなってしまった。この恐怖心は幸造さんを「理解」したいと思うからこそ生起した感情であるから、何の問題もないかもしれない。僕も初めはそのように思っていた。


 

  しかし、魚の小骨が喉に突き刺さったような腑に落ちない感じがして、性能が悪いポンコツの頭で執拗に問い続けると、果たしてそうなのかと疑問に思うようになった。僕は幸造さんを僕の知によって「包摂」し、「所有」することにより僕の意のままにしようと一種の暴力を行使しようとしたのではないか。他者を「理解」することは、もちろんありうることだろう。とはいえ他者はその理解を踏み越え、他者との「関係は理解をあふれ出して」ゆくのではないだろうか。他者を理解するとは、かえって、他者が私の知の一切から逃れ出る存在であることを理解することなのではないか。そうした包摂の対象となりえないもの、それだからこそ優れて「対話」の相手となる者をこそ、ひとは他者と呼ぶのではないか。私を超越しているからこそ幸造さんなのである。私に理解不能だからこそ幸造さんなのである。その一方で幸造さんと関係を築きたい、繋がりたいと強く欲望する自己がいる。その幸造さんの「固有性」「他者性」を把持したまま、いかに繋がれるのかということが僕に問われているのだと思う。幸造さんと出会ってからはコミュニケーションの本質についても随分考えた。それについてはいずれ稿を改めて書きたいと思う。


 

 だいぶ話しが脱線してしまった。フィリピンに話しを戻そう。フィリピンではタクシーが走っているがタクシーは乗車賃が高いので(とはいっても日本の10分の1ぐらいの値段)利用せず、ジプニーという15人程は座れる座席があり、空いている空間があれば何人でも詰め込み、それでもいっぱいになった時は屋根にまで座らせる何とも逞しい、ジープを改造した乗り物を利用した。ちなみに僕は屋根の上には座らなかったが、何食わぬ顔で人の上に座った。そのジプニーを逃すと寮に戻れない状況だったので寛恕頂きたい。乗車賃は、1時間以上乗っても50円程度である。格安ではあるが、決まった路線は走らないし、停留所はないし、乗車時に恐喝されることもあって観光客には明らかに不向きだ。乗車して、他の乗客の顔ぶれを見ると恐そうなお兄さん達が目を輝かせながら僕を見たので身の危険を感じ、すぐに降車したことが1度だけある。そのジプニーを利用してサンフォード・ペドロという第二次世界大戦中に日本軍の捕虜収容所として使われた建物に行こうとした時のことだ。ジプニーのおっさんに「このジプニーはサンフォード・ペドロに行きますか?」と聞くと「乗れ」と言うので、乗車した。30分程乗車して、車どおりの多い道路を走行中に突然車が止まり、おっさんが指を差しながら「こっちの方角に歩いて行けばある」と何とも無責任極まりない言葉を発したのが、「これも何かの縁だ」と怒ることなく降車し、おっさんの指し示した方角に向けて歩を進めた。 (続く)
 


 

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