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フィリピン散策記1 〜そこに生きる人々〜 【2008.04】

ワークステージ 高橋 健
 

 2月23日から3月20日までの約1ヶ月間、僕は「銀河の里」新人研修の一環として語学留学のためにフィリピンのセブ島に滞在した。24年間生きてきて初の海外の滞在である。出発直前まで(正確にはフィリピン到着後も)卒業の残務整理や新生活の準備に追われていたので、フライト中でさえもフィリピンへ行くという実感がなかった。
  しかしマクタン国際空港から一歩足を踏み出すと、むっとするような熱気と人の臭いに包み込まれ、怪しげな人達に一気呵成に押し寄せられたとたん、なぜだかよく分からないが、僕は満面の笑みを浮かべていた。僕は未知の経験をする時に、身体が素直に反応するらしい。 日本では見向きもされない僕がフィリピンに着くやいなや、この大歓迎である。既知の経験に還元することが不可能で、何らかの感情で枠づけする事できなかったために、恐怖や喜びや怒りが交錯し、ぐちゃぐちゃになった状態が「笑み」として表出されたのであろう。僕は現前するものに対して純粋な「驚き」を感じたのだ。
 感情さえも制度化、商品化されてしまった現代の日本の高度消費社会では決して味わうことのできない感覚である。現代の多くの日本人は喜怒哀楽を「感じる」のではなく、喜怒哀楽を、ただ単に「消費」させられている。もしくは消費させられている事をシニカルに自覚しながら「消費」しているのである。ノリつつシラケる、シラケつつノルといった感じがそこにある。
 学校の授業が土曜日の午後と日曜日はオフだったため、オフの日はカメラ片手に1人でプラプラと散策して歩いた。セブ島には有名な観光名所があるが、端からそんな所には興味がなかった。観光客が見たい物を展示し、購入したい物を売り、感じたいことを感じさせる装飾された空間で、フィリピンで生きる人々の暮らしが見えるはずはない。というわけで、語学学校の先生に「非常に危険だけど、フィリピン人の生活を支えている場所だよ」と紹介してもらった、カルボン・マーケットという露店が乱雑に並ぶセブ島で1番大規模な青空市場に行った。


 

 シートの上にパック詰されていないまま乱暴に並べられた魚介類や肉類、生きたままの鶏、色彩豊かで形が不揃いの果物、もみくちゃにされたような衣類、インチキくさい雑貨等、ありとあらゆる物が店頭に並べられ大勢の人とハエとゴミで賑わい、活気に満ち溢れていた。様々な臭いが混じりあって、鼻がひん曲がる程の異様な臭気を発し、脈絡のない電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、人々は好き勝手に小道を闊歩していた。混沌とした空間の中に「生きよう」とする強固な意志とリアリティがそこにはあった。しかも人々の表情には悲壮感のようなものはまるでない。人びとの表情は極めて明るく、開放的な雰囲気があった。


 

 振り返って、物質的にはフィリピンと比較にならない程の高い生活水準を享受している僕達日本人の、悲壮感あふれる顔はどうだ。希薄で平板な生活の落とし穴にはまってしまったかのようだ。村上龍が「希望の国のエクソダス」の中で語る言葉を思い出す。「日本には何でもある、ただ<希望>だけがない」
 僕たち日本人は何を引き替えに「希望」を失ってしまったのか考える必要があるのではないか。フィリピンの街かどや人びとの表情の中にある息吹を感じながら僕は日本と日本人としての自分を振り返らざるを得なかった。 (続く)


 

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