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おすすめの本 『陰翳礼賛』【2008.04】

施設長 宮澤 京子
 

 『陰翳礼賛』 谷崎潤一郎 中公文庫 1975. 

 昨年の稲刈りが終わって3か月オーストラリアでホームステイをしながら語学学校に通った。極力日本語を排除して、現地の言葉、文化にどっぷり浸れる環境を意識して、あえて2冊の本しか持っていかなかった。その一冊がこの本『陰翳礼賛』だった。
 はじめの一ヶ月は、広大な自然に圧倒されながらも、そこには歴史や文化の蓄積がなく、どこか人口的で宗教性や霊性を感じさせない空気に、違和感と不安定感に襲われた。滞在した観光地ケアンズは「原始そのもののジャングルの上に、近代が浮かんでいて中間領域が全くない」といった印象だった。地に足のつかないような座標に面食らった。
 そこに住む人びとは一様に明るく、フレンドリーでよく喋った。観光客や留学生を多く受け入れているケアンズにとって、日本人はお金を落としていく大事なお客なのだ。私の片言の英語につきあってくれる人の多くも、合理性・効率性が優先され、お互い表面的なやりとりに終始して心が動かない感じが残る。曖昧な中間領域に身を置いて落ちつく日本人の私には、ものごとを「YesやNo」で割りきりたくない意固地さも加わって苦しい感じだった。さらに食事が雑な感じで腹を下し、結構なダイエットになってしまった。そんなとき夫がこの本を渡してきた。
 ホームスティ先では、いつものように早めの夕食を終え、部屋に戻り腹休みとばかり、この本を読みはじめた。まもなく部屋の電気が消えた・・・私の部屋だけかと思ったら、この地域一帯の停電だった。「Kyoko!Do you have a candle?」と聞かれるが、そんなもの海外旅行の携帯リストに載っていなかったし、「懐中電灯ではなく、ろうそくですか?」と聞き返したいところだった。
 ホストマザーは、ろうそくを皿にのせて運んできてくれた。ほのかに揺れる炎を感慨深く見つめながら、せっかくだからその明かりで読書を続けたのだが、なんと本の内容が京都の料理屋「わらんじや」の下りにさしかかったのだった。まさに電燈をともさず燭台の光で食事を提供する店の話なのだ。
 著者谷崎は日本の漆器の美しさは、ぼんやりした薄明かりのなかに置いてこそ発揮される。昔からある漆器の肌は、黒か、茶か赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれたというのだ。さらに日本の料理は常に陰翳を基調として闇というものと切っても切れない関係にあるという。東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造する。美は物体にあるのではなく、物体と物体とのつくり出す陰翳の綾、明暗にあると言うのだ。まさに現代文明の明るいばかりの光には品位も艶も粋もない、現代をスパッと切ったような心地よさがある。
 私は「ろうそく」の共時をオーストラリアで体験しながら、日本人で良かった!日本人の感性に乾杯!と叫びたくなる。私を襲った異国での座標軸の不安定さは、日本文化としての「陰翳」を意識することで、ずいぶんバランスを取り戻せた。
 まばゆいばかりの光に照らされた観光地に日本の若者が大挙して押しかける。若者達の大半は何の悩みもないかのようにはじけているか、そうでなければ諦めてしらけている。日本人は伝統的に陰翳の意味、明るさだけではなく闇や影の価値を知りそれを基盤に大人の文化を築いてきたのではなかろうか。それが今、世界の流れの中で翻弄され若者にほとんど伝わっていないのは残念としか言いようがない。
 私の英語は大して上達しなかったが、日本と日本の文化の奥深さを発見し実感することはできたかもしれない。現代の高度に制度化された社会はまさに明るさだけの世界になりつつある。陰翳を知り人生そのものに迫る福祉現場を目指すには、一度はこの本『陰翳礼賛』に目を通しておくべきだと思う。
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