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「盗られた話」で盛り上がる【2008.03】

グループホーム第1 西川 光子
 

 92歳だが色気も品格もある現役の良子さん(仮名)。良子さんは男性、特に理事長がお気に入りで、来るたびに、手を取ってキスしたり、帰る時には投げキッスで送る粋な方だ。
 毎朝リビングに来て時計を確かめ、早いともう一度部屋で眠るのだが、ある朝、時計を見て、振り向いたタイミングでバランスを崩し転倒してしまった。転倒は高齢者にとって致命傷にもなりかねない。腰が痛いと訴える良子さんと整形外科を受診する。良子さんとのドライヴはコンサート、舞踊鑑賞、お食事とおしゃれな外出が多い。骨折ではないかと心配をかかえて出かけるのは胸が苦しく、祈る思いでの受診だった。
 診察の結果、幸いにも骨には異常はなく、おまけに骨密度も良い数値と言うことで一安心。気分は一転、嬉しくなってそのまま帰るのがもったいなくなり“おやつショッピング”に立ち寄った。 良子さんにチョコレートを渡すと大喜びで「わあーチョコレート!嬉し〜い。私ね6才のころからチョコレート食べていてね。ねえ食べようよ。はい・・ア〜」と運転中の私の口に適切な大きさに割って運んでくれる。
 腰の痛みもどこへやら“おいしいね”とおしゃべりがはずむうち「あのね、着物3枚に帯、腰ひも、腰巻きにタビまでなくなったのよ。本当に嫌になっちゃう」と「盗まれ話」になった。「盗まれ話」は良子さんの日常茶飯事で、一緒に嘆いたり、怒ったりと気持ちに添いながら、盗まれたかどうかの「事実」ではなく、盗まれた「心の真実」に沿いながらの受け答えをしてきた。
 この日はチョコレートの甘さにひかれて気分もよかった私は「あら(盗ったのは)どんな人だったの?」と聞いてみた。「背は私より3センチくらい高くてね。いつも私の押し入れをかましている人なのよ。」と言う。
 えっ、ドキッ!!「それって私の事じゃない」と思わず言うと。「ウ〜ウ、違う違う。顔の色は黒くて小太りでずんぐりしているの。あなたはね、一目見たときから好きだったもの。あなたのはずないでしょ」と言ってくれたので、安心しちょっと嬉しくなって、さらに質問を続ける。
 「その人っていつも着物着てる人なの?」・・・「そうね、洋服と半々かしら」「婦人部で一緒だった人?」・・・「婦人部ではねえなあ〜」と考え込む。私もしつこく「一回に3枚もっていくの?それとも1枚ずつ持っていくの?」「一回に3枚ではないから1枚ずつなんだね」・・・「まあ〜なくなっても別にいいけどね」と段々どうでもよくなってくるのが伝わったが、私はさらに「その人、タビはいてた?靴下はいてた?」と聞く。「そこまで見なかったわ」と言う。確かにそりゃそうだ「泥棒の足まで見ないよな」と私のクエスチョンは終わる。

 あとで思い返すと“盗られ話”でこんなやりとりができた自分がとても新鮮に感じられた。「盗られた」と言われると、躍起になって「誰も盗ってないよ」と言いたくなるのが自然である。私も以前だとそうなったに違いない、しかし、「盗られた」と言わざるを得ない気持ちがそこに動いているのは事実だ。その気持ちに沿って聞いていくなかで、盗った人の像をイメージで生み出すことの不思議さをこの時体験した。事実をいくら押しつけても内的真実は生き生きとうごめいている。そこが大切なのだと言うことをこの数年の現場の体験から学ぶことができたように思う。良子さんの「盗られる」ものはめがね、服、下着、着物、化粧水など、身につけるものに限られている。良子さんの人肌恋しさと関連があるのだろうか。思いがつのって深刻さが増すと盗られるものは下着など肌に近いものになっていく傾向もある。
 この時私が、イメージを膨らませて、良子さんの盗られた話に入って行けたのは、昨年里の事例研究会で、ユング派分析家の放送大学の大場教授を迎え、そこで事例発表をさせていただき、心が動く深い体験をしたことが大きいと思う。その後、大場先生の本も読み、授業の録音15時間分を感動して聞いたことも影響している。
 「盗られた話」から良子さんの複雑で細やかな広いこころの世界の窓が開かれていくことが実感として感じられる。「だれも盗りませんよ」なんて野暮なことはとても言えなくなる。骨に異常がなかった安堵の嬉しさにちょっと舞い上がりながら、今後も良子さんの心の世界に、自分のイメージを働かせながら添っていきたいと思った1日だった。


 

 
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