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アートシーン:石川優太絵画展『Door』を見てパート2【2008.01】

宮澤 健
 

 前川さんが心に感じるものがあったと重く語るので、私も最終日ぎりぎりに石川優太の作品展を見に寄った。若いこの作家が死を凝視することで、生を問いかけていこうとしている姿勢が伝わって、我々と同じ匂いがそこにあるように感じた。
 私は広島の山奥の村で育ち、子どもの頃から周辺の山々に分け入ったものだ。子ども同士で山に遊びに行くことは日常だったし、それこそ柴刈りや、たきぎ作りの親の手伝いに行くのも日常だった。
 今思えば山は生命に満ちていた。そして暗く静かな世界だった。山は生活の表ではなく、周辺であり奥なのだが、火や道具を取り出し生活の日常を成り立たせるための支えの源であった。昔話で、ばあさんが川、じいさんが山へ行くのは、生活が山と川で支えられていたということだろう。私は期せずして、昔話の暮らしの実体験をしながら育ったのだと思う。
 3歳くらいから2年間、近所の幼なじみの女の子といつも遊んだ。二つ年上だから私から見れば随分とお姉さんだったその人は小学校に上がったとき。「もう小学生だからあんたと遊ばない」と言った。私はケリをつけられ寂しい思いをしたのだが、それは思春期以降恋愛をするたびにケリをつけられて辛い思いをした、その辛さとほとんど同じものだったように思う。「遊ばない」というのは「一緒に山に行かない」という意味だった。山は深く性とも結びついていたのだ。
 山にところどころ池があった。その一つにつばくろ池というのがあった。小一時間山道を歩かねばならないのだが、それはどこか神秘を漂わせていた。その池まで行くことが目標になったりした。途中には古墳があった。石棺を取り出した空洞の洞窟は不気味だった。その中に入ったのは、中学になって男友達と度胸試しでコウモリを見に行ったときだった。 葬式が出ると、火葬は山で行った。つばくろ池の途中に火葬の小屋があった。たまには山に入って帰らない人もあった。山は死も引き受けていた。
 山は日常と連なった非日常の世界だった。その異界と日常は頻繁な行き来があったように記憶している。今 では山に入るものはいなくなり、ましてや子供が山に入ることはあり得ないだろう。
 日常は異界と乖離しエロスのエネルギーやときめきを失う。 20代の画家が、現代が失った死と性の異界のドアを探っているのかも知れない。そんなことを感じながら、私は子どもの頃過ごした山の記憶を思い起こしたのだった。
 
 
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