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志と理念を持って福祉を推進する人たちへ その1【2010.08】

北海道当麻かたるべの森,ギャラリーかたるべプラス
施設長 横井 寿之

 岩手銀河の里の職員が見学にくるという。ひょっとして岩手銀河の里の創設者は私が剣淵という人口5千人の町の施設長だった10年以上も前に、見学に来た人が創設した事業所ではなかったか?東京の施設を辞めて、岩手でやろうしている事、夢を語られた人の施設の職員ではないか。私はその時、地域生活をする障がい者の自活訓練寮を作り、2階に女性の利用者が、1階に管理人として私たちの家族が住み、そんな生活を始めた頃、そこで語り合ったのを覚えているが、この記憶は正しいだろうか。その時の光景は今でも鮮明に覚えている。なぜかと言えば、東京での施設は「地獄のようだった」と表現されたからだった。私が見聞きする東京の施設は一体誰のための施設かと思うところばかりであったので、彼のこの言葉に共感した。
 堕落した巨大な組織にあっては、一人がどんなにあがいても、できることは限られる。ここではもうやれないという思いは日々強くなる。私も似たような経験をした。私が大学を出て最初に勤務した「道立太陽の園」は大規模施設としては、極めて革新的な努力をしてきた施設だと思う。それでも私は、そこでの限界を感じたし、こういう施設にはしたくないという思いが日々つのり、道北の田舎の施設に誘われて、夢を託して大規模施設を辞めた。そんな経験と彼らの思いを重ね合わせることができたから、強く印象に残っている。
 その彼らが岩手銀河の里を設立した。そして、本当に時折、銀河の里の事を耳にする事もあり、また機関誌をみることもあり、「あー、あのときの皆さんはいい仕事をしている」とうらやましくも思っていた。銀河の里の皆さんの見学を受け入れた後、私は平成10年に剣淵の施設を退職し、当麻という人口8千人の町に移り住んだ。浪人暮らしをしながら、20年使われていなかったという、中学校から借りた物置に事務所を構え、ネズミの糞の掃除をしながら、通所授産施設をつくる準備をしていた。施設の名前は考えて、考えて、「ギャラリーかたるべプラス」という名前にすることに決めていた。法人の名前は「当麻かたるべの森」とした。「かたるべ」というのが、基本的な理念である。利用者と語り合い、話し合って決めていくという利用者との関係が基本でなければならない。職員との関係においても、父兄との関係においても、「話し合い」は私たちの基本でなければならない。そして、具体的な通所施設としての建物は「ギャラリーのような建物」ということを設計事務所にお願いをした。設計事務所は東京の有名な事務所である。「お金はありません」という私の言い分に、破格の金額で設計を引き受けてくれた。今考えてみれば、よくあんな厚かましくも図々しいお願いができたものだと思う。
 「ギャラリーかたるべプラス」と名前をつけたのは「創造的に芸術的」に活動するという理念を掲げたかったからに他ならない。私は、障がい者の芸術活動を援助の大きな柱の1つと思って実践してきた。そうした観点から、日本障がい者芸術文化協会の設立にも参画した。従って、かたるべの森の活動の1つの柱は芸術的で、創作的な活動を目標にした。そういう活動をするためには、それらしい環境が必要だ、そう思い、22f(6万6千坪)の森を退職金と借金をして購入した。この森の中に木工、織物、陶芸などの工房を作っていこうと思った。そして、できればコンサートホールも欲しいし、いずれ美術館も作りたいと、かたるべの森の構想を聞かれる度に、夢を語ってきた。
 夢は限りなくつきなかったが、私自身としては、社会福祉法人としての認可がほぼ確定したときに、借金返しのために平成11年から、札幌の近くの大学の福祉学科の教員として「出稼ぎ」に行くことになった。20名の通所授産施設の職員数と人件費では、借金返しができるほどの給与をもらうわけにはいかなかったからである。
 大学の教員をしながら、かたるべの森の施設本体、「ギャラリーかたるべプラス」という通所施設の建設に始まり、木工と織物の工房の建設、コンサートホールの建設、陶芸棟の建設、森林整備の活動をするメンバーのための活動拠点「ビジターセンター」という建物建設した。さらにグループホームの2棟の認可を得、児童デイサービスの事業所も開設した。そして、平成22年5月に、私たちにとって念願であった障がい者の作品を常設展示する美術館「かたるべの森美術館」を開設した。これは閉校になった当麻町の伊香牛(いかうし)という地区の小学校を借り受け、日本財団の助成を得て改修したものである。この建物は障がい者がいつでも創作活動ができるアトリエと、三教室を「常設展示室」として他に、収蔵庫、喫茶店店舗、陶芸の工房と精神障がい者のための作業室も併設した。
 障がい者のための美術館は私の知る限りでは、日本で3ヶ所目、北海道では初めての開設である。この美術館に接することによって、障がい者の絵画創作活動が身近な地域と市民から関心をもたれることができたら、こんなうれしいことはない。先日旭川の美術クラブの先生が生徒20人を連れて見学に来た。「絵を自由に、好きなように楽しんで描く」、障がい者の絵にはそれがあり、それを生徒に伝えたくて、引率してきたという。60才に近い女性が、あるメンバーの絵を涙ぐんで見つめ、「この絵を売ってくれませんか」と言う。女子高生が「ねえ、この絵めっちゃ面白い」と写メを撮っていく。私たちが思った以上に、メンバーの絵画が人々のこころに何かを残していく。
 さて、指定された原稿の字数に近づいてきた。私は10年ぶりに現場に戻り、まさに浦島太郎の心境になっている。この期間の福祉制度は相対的に劣化してきていると思っている。規制緩和から福祉予算の削減を正当化するための様々な改革は、福祉もビジネスという魑魅魍魎の輩が跳梁跋扈する現状を生み出した。困難を抱えた人と地域を良くするという理念は、金にならないと嘲笑され、まじめな若者達が福祉から追いやられる時代をもたらしたように思う。こんな時こそ、理念を語り、夢に向かい実践する現場の有志の活動が一つの糧となるだろう。
 岩手銀河の里の皆さんの活動を励ましとして、私ももう少し若いスタッフの力 になろうと思う。 (続く)


かたるべの森美術館 入り口より
 

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