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未来への地平 ケアの文化的意味を考える【2010.05】

施設長 宮澤 京子
 

 銀河の里がグループホームとデイサービスを軸に認知症対応型の施設としてスタートして10年目を迎えている。昨年は特養ホームが開設になり、今も立ち上げの渦中にあって苦闘が続いており、銀河の里の新たな局面に立っていると感じさせられる日々だ。
 10年という星霜は、現代においては一昔というレベルをこえて隔世の感さえするのだが、福祉の世界も、制度面では介護保険導入を契機に様々な事業体が華々しく展開するなか、コムスンショックがあり、介護産業のイメージが崩れるなど、まさに激動の日々だった。
 ビジネスや職業としての介護職の人気や評価の浮き沈みは激しいのだが、人類学的な視点からケアという行為を見ると、それは人間を人間たらしめる本質的な要素を内包しており、浮き世の商売や対策の制度ごときに左右されうる事柄でないことが映し出される。
 人間にとって「死とはなにか」という問いは、古代から連綿として人類史上最大のテーマとして常に掲げられ、人々の生の身近にあったはずである。しかし近代に至って自然科学の発達と近代社会の発展のなかで、死は急激に遮蔽され市民から遠ざかり、実感を失ってしまった。死を知らない時代の最先端の文化に我々は生きていると言える。
 近代の医療の成功は多大の恩恵をもたらしはしたものの、死を身近な生活から遠ざけ、実感を失わせた一面もある。医療にゆだねられた死は、医療の「敗北としての死」としてあるだけで、死の儀式と意味を生活と人生から失わせてしまった。

 
「死」は我々の現場ではかなり身近なこととしてある。特養ホームが要介護高齢者の「終の棲家」である以上、「ターミナル」ということを視野に入れた‘覚悟’の日常が営まれていることを実感させられる。事実この1年間で、5人の方々とのお別れがあった。我々の現場は「死」とは何なのかを、改めてこの現代社会の中で捉えなおす必要を迫られているように感じる。
 しかし、だからといって「ターミナルケア」というマニュアルに安易に飛びつき、技術論を問う姿勢では、あまりに軽薄で虚しいものしか残らないだろう。また「個」として出会い、共に生きた人との別れの悲しさや辛さを、「死」についての宗教的・文化的な一般論から説明し納得しようとしても、まるで腑に落ちないだろう。
 実際、これまでの「死」に立ちあった経験では、それぞれの死が、いかに個性的で、その人らしい光彩を放つものか、打たれるばかりの豊かで深いものであった。そこには悲しさや辛さを遙かに超えて、「みごとに最後までその人らしくある姿」に圧倒的な敬服をさせられたり、「穏やかな死顔」に癒され、救われる思いにさせられた。「ターミナル」の方の傍らに佇むとき、そこには次元の違う世界が立ち現れ時が漂う。死の床でいろいろな方の名前を呼ばれたり、地名を語られるときなどは、その方のライフサイクルの総仕上げを完遂の作業を感じさせられた。


 死の床では、そこに横たわる「あなた」に心理的に深いところで触れる時間が訪れる。「あなた」との出会い「あなた」から頂いた一言に思いをはせ、共に暮らした思い出の一コマ一コマが味わい深くめぐる。すでに目をつむったままの「あなた」を通じて、私自身の両親や親しい友人の「死」が重ね合わされる。また私自身の死もそこに浮かび上がってくる「私は、どこでどう逝くのか」「死後の世界はどうなってるのか」という永遠の謎に誘われる。巡っているうちに、「あなたの死」が「私の死」とも繋がっていることが露わに感じられる。時空を越えた不思議なやり取りは、私自身の現実の生を貴重で豊かなものとして照射してくる。
 ターミナル期を共にするスタッフは、生者のケアと死者のケアという両側面を含んだ、厳粛な場に立ち合う経験をすることになる。これから2025年をピークとする日本の超高齢社会では、施設に限らず「死」が隣り合わせという状況になるだろう。そのことは、「死」が医療にゆだねられ過ぎて、「死のリアリティ」が覆い隠され、欠落している現代の日本社会にとって意味があるように思えてならない。
 おそらく、「死のリアリティ」を取り戻し、生の豊かさを照らし出すことは今後の大きな人類の課題と言ってもいいだろう。そうした先陣を切り、医療の「敗北としての死」ではなく、生を照射する豊かな死を実現していくのが、特養をはじめとする、現場の使命だと確信する。
 ともあれこの10年、里の現場では、「ケア」を技術論で括ることなく、「あなたと私」という、つながりの中で、人生の最終章に同行し、共に生きる「ものがたり」を綴り続けてきた。
 こうした考えや実践は、あまりに既存の福祉施設とは外れているようで、ともすれば周囲から奇異な目で見られたり、あそこは「シュウキョウ」だとか、「ややこしい」と揶揄されがちだった。しかしこれまで救貧的な措置であった介護が介護保険で社会化されつつある今、ケアに対する様々な見方や新たな考え方が出始めている。そうした書物も次々と出版されており、我々の実践を理論化し跡づける方向に世の中も動き始めている。
 里は先を行きすぎた感もあるが、今後10年とその先の進むべき方向を模索すべく、最近の新しいケア論を連載で取り上げながら論じてみたい。(つづく)  
 

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